夏休みになった。来年は進路のことがあるから、高校生活の中で一番楽しい夏休みだろう。
夏休みと言えば嫌でもついてまわるのが宿題だ。課題の量を確認すれば、ただでさえ鈍っていた頭がもっとぼやけていくみたいだった。
でも休み明け、クロコダイル先生に尋ねられたときに、「もう終わってます!」と胸を張って言うためにも計画的に進めないといけないんだ。好感度が少しは上がるんじゃないかと期待している。
けれど課題をまとめた一覧表を眺めていれば、一つの課題用プリントをなぜか持っていなかった。学校へとプリントを取りにいかなければならなくなって、散々と報じられる最高気温が上回ったなんていうニュースを横目に、のろのろと制服に着替えていった。
外はアスファルトが溶けてしまうんじゃないかと思うような暑さで、幾分か涼しく感じる日陰をとおって通いなれた道を行く。
あともう少しで学校だ。
学校についてからすぐ、職員室に向かって担当の先生に課題をもらいに行った。俺のほかにも、何人かもらっていない人がいるようだ。
職員室のドアの横には、連絡用のホワイトボードがひとつある。今日学校にいる先生の名前が並んであって、もらったプリントを鞄にしまいながらチェックする。下のほうににクロコダイル先生とドフラミンゴ先生の名前があったから、保健室に立ち寄ることにした。
保健室のドアを軽くノックして開ければ、やっぱり二人がそこにいた。
「なまえ!」
こっちから挨拶をするよりも前に、サングラスを取ったドフラミンゴ先生からどこか嬉しそうに名前を呼ばれた。
「は、はい!なんでしょう、か?」
「フッフッフッ、おれからのお願いを聞いてくれ」
「ドフラミンゴ……」
ドフラミンゴ先生がにっこりと笑って話しかけてくる。反対に顔をしかめるクロコダイル先生に、ドフラミンゴ先生は「聞いてみるだけだろ」となだめるように声をかけた。
その後にドフラミンゴ先生から伝えられたお願いに俺は一瞬呆けてしまったし、クロコダイル先生はやっぱり苦い顔をしているのだった。
「夏、ですね……」
「七月だからな」
「みょうじ、また倒れるなよ」
「いやあ、さすがにそこまで体弱くは……あ、トンボ」
屋根のない屋外のプールサイドに、クロコダイル先生、ドフラミンゴ先生と一緒に上がり込む。種類もわからないトンボは目の前をひゅおんと通り過ぎ、水面近くを飛んでいる。
ゆらゆらと揺れる水面に、太陽の光が反射して眩しい。暑さを感じている筈なのに、ここにいるとそれも少し落ち着くような気がした。
ドフラミンゴ先生を筆頭に連れてこられたのは、講堂に並んで置かれた屋外プールだ。「お願い」というのは、どうやらプールの衛生管理のことらしい。
クロコダイル先生は、ドフラミンゴ先生の近くにいたら巻き込まれたと、棘のある口調で教えてくれた。
それにしてもこのプール、存在自体は知っていたけど入ってみるのは初めてだ。使うのは体育が選択教科の生徒か水泳部だけだから、そうじゃない俺は外からプールを覆うフェンスを見ているだけだった。
クロコダイル先生がプールサイドに水をかけるとかなんとかで、バケツを取りに準備室の方へ行ってしまった。
ドフラミンゴ先生に検査の手伝いをしてほしいと言われ、ついて行くようにしてプールのへりにしゃがみ込む。
「俺、どうせプールに来るならクロコダイル先生の水着姿が見たかったです」
「……なまえ、それ本人に言うなよ。落とされるぜ」
「プールにですか?」
「あァ。というより、アイツの水着姿なんて幽霊より見たくねェ」
検査用の細長いボトルに水を入れながら、ドフラミンゴ先生が珍しく顔をしかめている。でも、さすがに俺もプールには落とされたくない。クロコダイル先生なら容赦なくやりそうだ。
ドフラミンゴ先生と軽く談笑していれば、青いバケツを持ったクロコダイル先生が戻ってきた。
いつもはしわのないスーツを着ているクロコダイル先生が、今日はスラックスの裾を雑にまくっているのを見て、いいものを見たなという気持ちになる。
「みょうじ、あとはお前に任せる」
「これ、俺の仕事だったんですね」
クロコダイル先生からバケツを手渡される。プールサイドの水撒きは、どうやら俺に託されたようだ。
クロコダイル先生はさっさとプールの端にある、日よけのほうに行ってしまった。
暑いのは苦手なんだろうか。
うつむき加減の背中を見送って、空のバケツを持ち直す。
「ドフラミンゴせんせーい、じゃあ俺、水かけてきますねー!」
「おー、よろしく」
仕事を頼まれたというよりは押し付けられたという方が正しいけれど、あの人らしくてそれでもいいと思えた。そんなクロコダイル先生は日よけの下で、置かれたベンチに気怠そうにして座っている。
プールから水を救い上げて、とりあえずと後ろの床にばしゃりと中身を撒いてみる。飛んだ水がプールサイドにじわじわと広がっていくのが、見ていて楽しい気分にさせる。
ちょっとずつ場所を変えながら、バケツですくって水を撒く、という単純作業を繰り返す。そうすればいつの間にか、クロコダイル先生が休んでいる日よけの近くになっていた。
「先生、足元に水かけましょうか?」
しゃがんで水中にバケツをくぐらせながら、クロコダイル先生の方を向いて話しかける。
「いらねェ。それよりみょうじ、お前落ちるなよ」
「あはは、そこは気を付けてるんでだいじょ、ぶっ!?」
バケツを持ち上げようとした腕がひきつって、そのまま体が水中へと引きずられていく。ああ、落ちたなと瞬時に悟った。
水の冷たさと、ぼこぼこという魚の水槽みたいな音に焦りつつ、重いバケツを一度手放して水面に上がる。
「ぶは!はっ、はあ……」
せき込みながら顔を上げれば、げんなりとした表情のクロコダイル先生がこっちを見ていた。
「っ、わかりますけど、そんな顔しないでくださいよ!」
「まさか本当に落ちるとは……」
先生はあからさまにため息をつく。すると横からドフラミンゴ先生の堪えるような笑い声が聞こえてきて、なんだかいたたまれない気持ちになった。
プールから上がろうと、水中を蹴るようにしてふちへと向かう。へりに手をかけるとクロコダイル先生がその手前まで来てくれて、手を引いてくれたりしちゃうかな、なんて淡い期待が胸をよぎる。
一度先生を呼んでみると、クロコダイル先生が悪い顔でにい、と笑うから、なんだか嫌な予感がしてしまう。
「お前はもう少し、注意して物事を行うべきだ。じゃねェと痛い目を見るぞ、こうやって」
「へ?クロコダイルせんせいちょっとまっ……!」
出されたのは手ではなくて足だった。上がりかけていた俺の肩を、クロコダイル先生の足がぐいと押す。再びプールに押し戻されるときに見た、クロコダイル先生の悪そうな顔に俺の心がときめいている。それと同時に、上がるだろう水しぶきがクロコダイル先生を濡らしてくれればいいなんて思った。