「社長……!おれ、俺もう、もうどうしたらいいんですっ……!?」
「……しらねェよ」

一般人じゃ到底行く事もないだろうお高い飲み屋の座敷の片隅で、俺は我が社の社長であるクロコダイルさんにだる絡みに次ぐだる絡みを極めていた。どんなに酔っ払っていても自分が最悪な絡み方をしている自覚はあるのだから困ったものだ。他の社員たちが焦った様子で俺の名前を呼ぶ声がする。腕を掴もうとしてくる他人の手を跳ね除けてグラスを持つと、氷が溶けて薄まった酒を飲み干してテーブルに置く。もう誰も俺の事は止められないのだ。
飲酒万歳!飲酒万歳!!飲酒万歳!!!

「あのね、えっと、聞いてます?」
「……あァ」
「だから俺、来週末に同窓会があってね……もう、嫌の極みっつーか、ほんと、みんな馬鹿にすんだよ絶対俺のこと……」
「ヘェ」
「どーせみんな結婚とか子供とか彼女の話とかで盛り上がってさぁ〜!俺どうなんの!?なんもないよ!?仕事だけ!」

ずび、と鼻を啜る。じんわりと目頭が熱くなって胃を捻りあげられたみたいな呻き声が口から出てくる。「なまえくん、今日はもうこの辺で……」という他の社員の言葉を、社長のひっくいひっくい、でも聞き心地のいい声が遮った。

「で、同窓会とやらはどこでやるんだ?」
「あ〜、ほら、あの……ここと同じ駅の駅前にある、あの、ポテサラが美味しいとこ」
「あァ……」

なんとも言えない返答が聞こえてきたから、隣をちらりと覗き見ると、店の場所を聞いた社長の眉間のシワが深くなっていた。どうせ社長のお眼鏡には叶わないような店でしょうよ。なんか汚いし。店の人もそんな愛想よくないし。でもそこがいいの!それがいいの!ポテサラが美味しいの!
ついにテーブルに突っ伏して項垂れる。

「クハハ、仕事だけはちゃんとやれよ」
「やだー!!!」



気がつくと家の玄関だった。誰かがこの状況を見ていたら、眠るというよりも落ちていると表現するだろう。どうやって帰ったかすら分からない。ぽん、と俺の肩を叩いた手が、社長の手だったのかすらあやふやだった。

許容量をオーバーした酒のせいでガンガンと痛む頭に加え、失態に次ぐ失態でキリキリと痛む胃。その両方を手で抑える俺はこの世の理を嘆くビジュアル系バンドのボーカルみたいだ。とりあえず社長に謝らなきゃ。他の社員さん達にも謝らなきゃ。全てに対して謝らなきゃ。てか今何時だよ。
パンツのポケットに詰め込まれていたスマホの電源をらつけると、そこには昼過ぎを伝える画面の文字盤、そしてその下に大量の着信履歴が通知として残されていた。あ、吐きそう。


+++


今週の俺はよく頑張った。沢山謝ったし沢山仕事をした。でも社長には謝れなかった。
社長は俺が住んでいる場所から飛行機で約3時間もかかる場所に出張中らしくて、会社にいても会うことは叶わなかったし、まして会いに行くことも、遠い……というより金がかかるからできないし、個人の電話番号に電話をしても留守電用メッセージが虚しく俺の耳に届くだけだった。
そんなこんなで今日は土曜日。サタデーナイトフィーバー、ではなく、陰鬱ごみかす同窓会ナイトなのだった。


久しぶり。元気してた?今何してるの?彼女は?
久しぶり、元気だよ。俺は仕事してるよ。彼女はいないよ。
妻がどうとか旦那がどうとか、ましてや子供とか、彼氏とか、はたまた彼女とか、持たざる者にはどうでもいい会話を右から左に聞き流しながら酒を煽るしかない。俺の味方はもはや、かつて好きだった女の子がみんなに配ってくれた一本の薔薇しかいなかった。
やけにトイレに行きたくなるのは飲酒量のせいなのか気まずいからなのか。もうどっちでもいい。だって今の俺の安息地はここしかないのだ。


個室に入り深くため息を吐いてスマホを見る。そういえば社長は今日こっちに帰ってくるんだっけ。やっぱ社長も彼女とかいんのかな。いや、アレはいないだろ。いても愛人とかそういうのじゃない?
自問自答する頭の中とは裏腹に、俺の指先は的確に社長に繋がる電話番号へと着信を繋いでいた。なんだかもう限界だった。縋る先が勤め先の社長だなんて変な話だ。
変と言うか、悲しいと言うか、複雑。そう、複雑。

スマホを耳にあてる。
ワンコール。ツーコール。スリーコール。そろそろ切るべき?いやもうちょっと。

「……なんの用だ」
「しゃ、社長〜!」

呆れた声だった。俺には待ち望んだ声だった。

「俺、今日同窓会ちゃんと来れたよ〜!」
「そりゃよかったな。楽しめてるようでなによりじゃねェか」
「あのね、ぜんっぜん楽しくない!!」
「ほぉ」
「こんなことなら社長の怖い顔見て飲んでた方がマシですよぉ!」
「…………」

つー、つー、つー。電話が切れた音がトイレの個室に静かに響く。なんてことだ。俺はとうとう社長に見捨てられたのだ。そりゃそうだ。あーあ、俺そろそろクビになるかも。

トイレの鏡に映る自分をちょっとイケた感じに戻してからみんながいた席に戻る。
時間は夜の22時。同窓会はまだまだ続く。

全てを諦めて会話に参加して暫く経った時、ガラ、と居酒屋の木製の引き戸が開け放たれた。
貸切の店に突如現れた来客にその場にいた人間の目が向く。

「え、誰」

社長である。株式会社バロックワークスの社長で、俺の上司で、名前はクロコダイル。黒髪をいつも撫であげて額を出して、威圧感たっぷりで、怖くて、厳しくて、金持ちで、こんな居酒屋になんて到底来るようなタイプじゃなくて。あれ、ほんとにこの人社長かな。
俺は周りの人間の例に漏れず社長であるはずの人の方を見たまま、声を出すことができなかった。

「なまえ」
「……え、あ、はい?」
「行くぞ」

そう言って社長は店を出て行ってしまった。本物の社長だった。みんながこっちを見る。え、知り合い?って目で見る。俺の頭の中はどうして社長がここにいるのかとか、同窓会どうすんのとか、そういう色んなことで思考の線が複雑に絡み合っていたけど、でも社長の発した「行くぞ」は、今の俺にとって第一であり、絶対であり、優先事項なのだった。
急いで椅子から立ち上がり、薔薇を忘れないように持って、ついでに荷物も忘れてないかチェックして、それからみんなに感謝を伝えて、またねって言って、店を出た。


外に出ると社長は既にどこかへ向かっている途中で、大きな背中がどんどん遠ざかって行ってしまうから急いでその姿を追いかける。

「しゃ、社長なんで、なんでいる?」
「……お前と酒でも飲もうと思ってな」

そっか、なるほど。俺と酒が飲みたかったんだ。頭の思考の線は未だグチャグチャにほつれていて、人間を始めたばかりのフランケンシュタインみたいな話し方になってしまう。一歩が大きい上に歩く速度の速い社長に着いて行くために自然と両足の回転速度が速まると、久しぶりに走った足は簡単によろけた。

「うわっ、あっぶね……」

倒れる寸前のところで持ち直す。社長がぴたりと足を止めて、小さくため息をついた。

「お前……とりあえず水飲め」
「え、あ、ありがとうございます」

近くにあった自販機で社長が水を買ってくれた。ガコン、と落ちてきた重みのあるペットボトルを取り出して蓋を開ける。ひと口飲むと、体の中の水分が全部入れ替わったみたいな清々しい気分になった。水ってこんなに美味しかったっけ。

「どこに飲み行くんすか?」
「うるせェ客がいなくて酒と飯が美味いところだ」
「……え、もしかしなくても奢り?」
「…………」

答えは沈黙だった。
今日の社長は随分と優しい。
酒を飲んでるといいことがある。昔慕っていた先輩がよく言っていた言葉だ。それってこういうこと?もしかしなくても。
ひんやりとしたペットボトルを小脇に抱え、貰った一輪の薔薇を包装紙ごとぎゅっと握りしめながら、歩き始めた社長の隣に並ぶ。

「あ、あとね、俺花瓶が欲しいんすよ、花瓶」
「甘えんじゃねェ、クソが」

もしかしたらとビッグウェーブに乗ろうとした俺のおねだりを却下する冷たい言葉とは裏腹に、社長の顔はどこか楽しそうだった。




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