掃除用具を持ち、全速力で走りながら携帯で時間を確認する。走っているせいでブレて見えにくい画面をなんとか確認すれば14時33分。
クロコダイル社長から「今すぐ来い」と、その三十秒後に「掃除用具」とだけが書かたメールが送られてきたのはおおよそ三分前のことだ。
上司であるクロコダイルさんからこの趣旨のメールが送られてくるのは何度目だろう。両手足の指で数えられなくなってからは、馬鹿らしくて数えるのを止めた。

休日のため遅い昼食を取っていた時に突然きたメールに返信はしなかった。文字を打ってる時間を移動時間に使えと言われることが目に見えていたからだ。
クロコダイルさんの「今すぐ」と言うのは、遅くても五分以内を指す。それは例え地球の裏側に居ても代わりはない。
遅れて届いた「掃除用具」の一言は、「掃除用具を持ってこい」だと勝手に解釈をした。
もちろん部屋着から着替える暇などなく、バケツにちりとりと雑巾三枚、大きなゴミ袋を突っ込み、箒を手にして家を出た。
目指すのはただ一つ、社長が住んでいるウィークリーマンションだ。


株式会社バロックワークスに入社したのは三ヶ月前のことだ。やっとの思いで事務として入社した私は安泰の日々を送るはずだった。それは入社してひと月も経たないうちに覆されることとなる。
社長の秘書が突如退職したのだ。先輩達からはよくあることだと言われたから気にせずのんびりと昼食をとっていた時、その男が現れた。しん、と食堂が静まり返ったのを、よく覚えている。その男……もといクロコダイル社長は私の傍に来ると機嫌の悪そうな顔で、
「今日からお前はおれの秘書に異動だ」
そう言い放った。
それから私は必死に仕事を覚え、社長の秘書、もとい雑用係として働いている。
クロコダイルさんが怖すぎて何度も辞めたくなったけど、給料のよさに全てを諦めて身を捧げている。

忙しい身で色んな土地を点々としていた社長は、ようやく本社の近くに腰を落ち着けることに決めたらしい。けれど社長が気に入る部屋は中々なくて、どんどん機嫌の悪くなる社長を前にして私はあるひとつの提案をした。
それは調べている時に見つけたウィークリーマンションだった。
社長は小さく舌打ちをしてその資料に目を通すと、手続きを全て私に任せて仕事に戻っていったのだった。



そして現在。出したスマートフォンをポケットに入れることすら煩わしくて、反対の手に持っていたバケツにガシャリと放り込む。
昼間ということもあってか掃除用具をもって猛ダッシュする私の姿はかなりの人の目を引いている。
体力はあるほうだ。けれど、これから何をさせられるのかを考えると足が重くなる。
社長の「今すぐ来い」には本当に嫌な記憶しかない。
掃除ぐらい自分でしてくださいっていつも言ってるのに……!


「つ……つい、た……」

目の前には7階建てのマンション。外観はとても綺麗で、言われなければウィークリーマンションとは思えない。
そういえば社長って何号室だっけ。……しょうがない、電話しよう。
バケツからスマートフォンを取りだそうとすれば、聞きなれた声が小さく響いた。

「やっと来やがったか……。まァいい、ついてこい」

声のしたほうを見れば、マンションの入り口の横で壁にもたれ掛かっているクロコダイルさんがいた。
声からも表情からも機嫌が悪いことが伝わってくる。

「ついてこいって……今日は何なんですか!?掃除くらいいい加減自分で……」
「おれじゃねェ」
「……は?」
「おれじゃねェと言ってるだろう……」

垂れ落ちた前髪をかきあげて目を細めるクロコダイルさんに、違和感を抱く。
社長の様子がなんだかおかしい。不機嫌だし、何というか疲れているみたいだ。
いいからついてこいと言うクロコダイルの後を、バケツを揺らしながら追いかけた。
 
階段を上り二階に着くと、クロコダイルさんは大股で均等に並ぶドアの前を通り過ぎていく。その足は端に近づけば近づくほど速くなるのがわかった。

「ちょ、社長……!速くないですかっ!」

何をそんなに急いでるんだと言う言葉を裏に秘めて問いかける。

「…………」

クロコダイルさんから返される言葉はなかった。
イラつく気持ちを抑え小走りでついていけば、社長は一番角にある部屋のドアの前で立ち止まる。

「……ここが社長の、」
「ドフラミンゴ!!出てこい!!三秒以内に出てこねェとドアをぶち破るからな!!!」

部屋ですか、と聞こうとした言葉はクロコダイルさんの大声によって遮られた。
ドフラ、ミンゴ?一体誰だろう。というか、ドアを蹴らないでください社長!
三秒のカウントをドアを蹴りつけることで行っているクロコダイルさんに呆然とする。
三から始まったカウントは既に一になっていて、ああ、なんの罪も無いドアが壊されるのかと思ったとき。

「昼間っからギャーギャーうるせェよ、ワニ野郎」

ガチャリと開いたドアから出てきたのは、派手なサングラスをかけた大柄の男の人だった。

「出てくるのが遅ェ。おれが出てこいと言ったらすぐに出てこい」
「横暴な男は部下から嫌われるぜ?つか、その女なんだ」
「黙れ。こいつは掃除屋だ。部屋に入れろ」
「あ?掃除屋だァ?」

ジロリとサングラスの男の人の顔がこちらに向くと、独特の空気に圧倒されてしまう。頭からつま先へ、つま先から頭へ視線を送られているのがなんとなく分かり、目が泳いでしまう。

「……タイプじゃねェな」

なにを言ってるんだこの男は。

「おいクロコダイル!連れてくんならもうちょっとスタイルのいい女にしろ」
「こいつは掃除屋だと言ったはずだ」

頭が理解することを拒否している。さっきから社長が私のことを掃除屋などと呼んでいることも気になるがそれ以前に。

「失礼すぎます」
「……はァ?」
「あっ」
「気にするななまえ、コイツは頭がおかしいんだ」
「気にするなって……社長、この人なんなんですか!もしかしてお友達ですか……?」

半ば投げやりにそう言えば、クロコダイルさんは足を降り上げ、ガン!とドフラミンゴさんが支えになっているドアを蹴る。こんなことがあると、先ほどは罪無きかわいそうなドアと思っていたことドアもどうでもよくなってくる。

「俺をこのクソ野郎と一緒にするんじゃねェ」

クロコダイルさんの完璧な否定に少し安堵を覚える。
  
「フッフッフッ、危ねェなァ。そんなに足癖がわりぃと、いつか誰かさんに使いものにならなくされるぜ」

ドフラミンゴさんは動揺もせずにヘラヘラと笑っている。「誰かさん」の可能性が一番高いのはこの人じゃないのかと私は思う。

「社長……、ドフラミンゴさんとはどういう関係で?」
「ああ、言ってなかったなコイツは」
「クロコダイルの親友のドンキホーテ・ドフラミンゴだ」
「黙れ」

それから社長は事情を話し始めた。



「……聞いた話をまとめますよ。社長がこのマンションに来たのは昨日。部屋は707号室で、今いる場所の隣の部屋。つまり今いるのはドフラミンゴさんの部屋の前。隣人に挨拶するわけもない社長がベランダで葉巻を吸っていたら、隣の角部屋から異臭が。最悪ですね。文句を言いに行けばそこはゴミ屋敷。本当に最悪。しかもその部屋の主は社長に負けず劣らず高慢な昔馴染みだったと……」
「その通りだ。……お前、おれにそれとなく悪口を言ってねェか?」
「まさか」

クロコダイルさんに睨まれたので否定する。

「最悪とか言ってたしなァ」
「それは事実です」
「…………」


「結局……私はなんで呼ばれたんですか?」

ずっと聞きたかったことを問いかける。こちとらろくにご飯も食べずに飛び出して来たのだ。どうせ大した理由ではないと思うが、もし理由がなかったとき私はどうすればいいかわからない。

「なんだ、さっきの話でわからないのか」
「わかりませんよ!」
「つまり、おれは隣のゴミ屋敷が鬱陶しくてしょうがない。それならゴミ屋敷をゴミ屋敷じゃなくすればいい。なまえ、お前が持ってきたのはなんだ?」

私が持ってきたもの。雑巾三枚、ちりとり、ゴミ袋、バケツ、箒……。
まさか。

「私にドフラミンゴさんの部屋を掃除しろって言うんですか!?」

その通りだ、と大きく頷かれれば、社長がさっきから私のことを掃除屋と言っていたのを思い出す。
クロコダイルさんのことだ。隣のゴミ屋敷をどうにかしたいが自分でやるのは気に食わない。そこで私を呼んだのだろう。つまり私はいいように使われているのだ。こんなの仕事じゃない。労働基準法に反している。納得がいかない。
強靱であるはずの胃がキリキリと痛み、いっそのこと気絶してしまいたい衝動に駆られる。理由は急激なストレスに耐えかねて、だ。
しかし気絶したところで、クロコダイルさんは冷水をかけるなり揺さぶるなりして私を起こすだろう。改めて考えると酷すぎる。

「おい、ンなことならさっさと掃除してくれ。ぼーっとしてねェで」
「……っ!お、まえが言うな!!私が久しぶりの休日をどう過ごそうと思っていたと……!クロコダイルさんもクロコダイルさんです!隣人問題ぐらい自分で解決してください!労基に訴えます、よ……」

やけくそになって叫ぶ。けれどだんだんと自分の置かれている状況を理解した。特に興味を示さず無表情で自分を見る二つの顔。
十秒ほどの沈黙を経て、クロコダイルさんとドフラミンゴさんは揃って口を開いた。

『いいから掃除しろよ』




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