木曜日。朝の天気予報で、今日は一日中天気が優れないと言っていたけどその通りだ。
帰りのホームルームが続く中、少し離れた位置にある窓を見る。ぶ厚い雲だけの状態を保っていた空は、とうとう雨も加わったようで、窓には小さな水滴がつき始めていた。
それに気づいた窓際の生徒が声を上げれば、教室は一気に騒がしくなってしまった。そのままうやむやにホームルームは終わり、ガタガタと椅子を引く音で一杯になる。

教室をいち早く抜け出して、保健室を目指す。
クロコダイル先生にちゃんと会うのは久しぶりだ。選択授業で会いはするけれど、そのときは一度目が合っただけで、話なんてしなかった。
相変わらず保健室の前の廊下は人けがない。窓に当たる雨の音と、生徒の笑い声が階段の方から響くだけ。
扉に掛けられたボードの字は、やっぱりクロコダイル先生だった。一週間前と一字一句変わらない、「利用可能」になぜかどきりとする。
なんだか、一週間前をもう一度見させられてる気分になって落ち着かない。
ボードの文字を眺めてから小さく息を吸う。置いただけの手に力を入れれば、ドアはすんなりと開いた。

「えっと、保健委員の係で来たんですけど……」

中に入っても、四木先生が見当たらない。今日でいいはずなんだけど。
一度廊下に出てボードの字を確認しても、やっぱりクロコダイル先生の字だ。
もしかして、手伝うことはあるけど一緒にやりたくはない、なんてことなんだろうか。それは流石にへこんでしまう。

とりあえず、と中に入ろうとすれば足音が近づいているのが分かった。

「クロコダイル先生?」
「……ああ、待たせたか?」
 
音のする方に顔を上げれば、クロコダイル先生がこちらに向かっているところだった。
先生は俺に気づくと、ゆっくりと動かしていた足を少し速めて向かって来てくれた。今のやり取りがデートみたいだと思ったのは秘密だ。
クロコダイル先生はかなりの量のプリントを片手に抱えていたから、扉を開いて「どうぞ」と中に促す。
すると先生が目線だけをこちらに向けて小さく鼻を鳴らしたあと、両手を空けるために室内へと向かう。その様につい口元がにやけてしまう。

こういう所が好きなのだ。とても人相が良いとは言えないような見た目なのに、どこか律儀で神経質で、隣にいるとつい背伸びをしたくなってしまう。
クロコダイル先生が大人だから。その一言で片付けてしまうのはもったいない。押し付けられたのであろう大量の紙束を、乱雑に置いたせいでひらりと落ちた一枚にしかめ面をする。そういう所が好きなのだ。

「プリント、いっぱいありますね」
コピー用紙二枚文の大きさの紙を覗き込むように見る。
保健室便りと書かれたそれには、新入生への歓迎の言葉とか、保健室の利用方法なんかが、イラストを交えながら綴られていた。

「今日のノルマだ」
「え」

クロコダイル先生の言葉に顔を上げれば、「これを二つ折りにしろ」と返される。
「これ」の量がいささか多すぎはしないだろうか。

「紙織り機、とかは……」
「故障中だ」

先生に半分に折られたプリント、所謂お手本を手渡される。片手でやったのだろうにも関わらず、ぴっしりと合った紙の角にクロコダイル先生を感じて自分用にもらっていこうと決めた。

クロコダイル先生は自分の授業の進行方法をまとめているようだ。
天候のせいで薄暗く感じる室内には、先生がペンを走らせる音と、俺が折る紙のカサカサという音だけが響いている。さっきちらりと窓の外を見てみたが、雨は既に止んだみたいだ。

「……学校はどうだ?」

なんだか久しく感じてしまう先生の声に、勢いよく顔を上げる。クロコダイル先生は一息ついたようで、右手で左肩を揉んでいた。
目が合うと、先生の顔はまだ高さのある紙の塔に移ってしまい、その視線に慌てて作業を再開する。

「楽しいですよ。クロコダイル先生かっこいいし!」

笑いながらそう言えば、先生が小さくため息を吐く音が聞こえた。本当のことだ。先生が聞きたいのは、そういう事じゃないんだろうけど。

クロコダイル先生の言葉をきっかけに、そこからは手を動かしながら俺の話しになってしまった。本当の自分と、少し見栄を張った自分を、やりすぎない程度に織り交ぜて話す。
クロコダイル先生が、俺のことを聞いてくるというのは初めてのことだった。
先生は時節、俺の話しに「へえ」とか、「そうか」なんて、短く返す。そのタイミングは俺の話しと合っているから、聞いてはくれているんだろう。
大きな体格と声が取り柄の体育教師に関するうわさ話を話せば、悪い顔をして小さく笑うクロコダイル先生がいた。



せっせと半分に折ったプリントが配られたのは、翌日の金曜日だった。
クロコダイル先生と過ごせた時間を思い出せば、口元が緩んでしまうのが事実。けれど、なんかおかしくないか。
俺の机の上には、角が揃っていない二つ折りの保健室便りと、保健室便りを広げたものと同じ大きさの、しかし折れ目のないプリントが並べられている。
紙を折る必要があったのかと考えざる負えない。
まあ、クロコダイル先生と二人きりになれたわけだし。俺が紙織り機になるだけで、先生を独占できるなんて、おいしいよなあ。
さらりとしたプリントの角と角を丁寧に合わせていると、号令の音とともに教室は、椅子を引く音と休日の予定を立てる声でいっぱいになってしまった。




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