湿度が高くなり出して、歩くだけでも過ごしづらい季節になった。ただでさえ気だるい月曜日の放課後。生徒たちが部活や下校のため校舎から出ていくなか、足を速めて保健室に向かう。
生徒の早退や欠席を記入する、シートの予備が無かったのだ。何枚か貰っておく必要がある。
ついでだから、ドフラミンゴ先生にクロコダイル先生の情報が欲しいってねだってみるのもいいかもしれない。

ドアを開けようと手をかけると、中から誰かの話し声が聞こえてきて、つい呼吸と身動きを止めてしまう。
目を瞑って、自分の呼吸すらはっきり聞こえるようになれば、聞こえてきたのはドフラミンゴ先生の笑い声と静かなクロコダイル先生の声だった。
二人いると気付いた瞬間にドアを開ければ、中にいた二人は少し驚いた様子でこちらを見る。

「おー、みょうじじゃねェか。また怪我でもしたか?」
「いや、来月用の出欠管理用のシートが無かったんで、貰いに!」
「だってよ、クロコダイル。怪我をしてんのはてめェのほうだもんなァ」

その言葉に驚いてクロコダイル先生の方を向くと、先生はシャツの袖を軽くまくって丸椅子にドカリと腰掛けている。
間違い探しのように視線を動かせば、右手の甲に、正方形の白い絆創膏が貼ってあるのに気付いた。
するとクロコダイル先生は、「大したことじゃねェ」と、何事もなかったように椅子に座りなおしてしまう。

「壁の低い位置に釘が飛び出してて、引っ掛けたらしいぜ」
「うわ、痛そう……」
「ペラペラペラペラと、人の事情を他人に話すのはどうなんだ、保健医として」

機嫌の悪そうにため息をついたクロコダイル先生に対して、ドフラミンゴ先生は表情を崩しもしない。
今来たのはまずかったのだろうか。ちらちらと二人を交互に見ていれば、俺の戸惑いに気付いたのか、クロコダイル先生が口を開く。

「……悪ィな」
「っ!いや、へーきです!」

一呼吸してそう呟いたクロコダイル先生に、へら、と笑ってごまかした。



「手、ホントに大丈夫なんですか?」
「大したことじゃねェと言ったばかりだろうが」

普段と変わらない様子のクロコダイル先生は、大丈夫だとも思うし、いや違うんじゃないかとも思わせる。

「まァ、そこまで深い傷じゃねェしおれがちゃんと手当てしておいたから痕も残らねェよ」
「例え痕が残っても気にすることじゃねェだろ。女ならまだしも」
「そうは言っても、本当は病院に行って検査したほうがいいんだぜ?ただでさえ片腕しか使えねェくせに」
「……右腕も使えなくなったら、俺が介護しますからね…!」

クロコダイル先生にじとりと睨まれる。
どうして。クロコダイル先生を思いやった言葉なのに。
けれど、片腕しかないクロコダイル先生がもし残りの右腕も使えなくなるようなことがあったら笑い話じゃ済まない。そう考えるととても大事なものに思えてきて、先生の右腕を見つめる。
覚えているのは、告白をしてからかわれた時に首に触れられた、少しカサついた感触だけだった。
自分の手を見えやすい位置まで上げて、それからクロコダイル先生の手と見比べる。

「結構、違うもんなんですね」
「ほお」

ふむふむと顔を左右に動かしていれば、突然俺の手が引っ張られる。

「え、あ、え!?」
「なるほど、確かに違ェな……」

あわあわと混乱する頭でやっと理解できたのは、クロコダイル先生の右手が俺の手を掴んで弄っているということだ。
確かに、触られてるだけでも先生の手が、ゴツゴツと骨張っていることがわかる。だけどそんなことではなくて。なんでそんな簡単に手とか握ってしまうのだろうか。
一向に落ちつくことのできない俺を放って、クロコダイル先生は「みょうじの手は柔らけェな」なんて、感心するように呟いている。
嬉しいと思う反面、このままでは気を失ってしまいそうだ。助けを求めようとドフラミンゴ先生のほうを振り向くけど、彼は面白そうな表情をするだけで、口出しなんてしてくれそうにない。

クロコダイル先生の指先が、俺の中指をするりと滑って爪の方へ走る。そのまま爪の形を確かめるように撫でられれば、目の前がぐるぐると回っているような錯覚に陥っていく。
このままじゃ俺がダメになってしまう。

「……く、クロコダイル、せんせい」
「あ?」
「すみませ、おれ……それ以上されたら……た、たっちゃう」

「何が」なんて、「ナニが」である。半ば涙目になりながら口にした言葉に、クロコダイル先生が俺の手に爪を立てたのと、ドフラミンゴ先生が吹き出したのではどちらが速かっただろうか。

「っい、いったあああ!痛い痛いいったい!もう大丈夫、大丈夫ですちゃんと静まったんで、逆に小さくなっちゃあああ、今のなし!」
「フッフッフッ……みょうじ、トイレなら、ぐふ、ここを出て右、だぜ……」
「ドフラミンゴ先生!笑ってもいいですからクロコダイル先生をどうにかしてくださいよお!」

それでもドフラミンゴ先生はゲラゲラと笑い続けている。けれど、やっとクロコダイル先生の力が緩んだのに気づき、そこからサッと急いで抜け出した。
なんだか、クロコダイル先生の手に触ると痛い思いしかしてない気がする。
ひーひーと息を切らすような笑いに変化したドフラミンゴ先生と、額を手で抑えてため息をつくクロコダイル先生に、物凄いことを口走ってしまったのではと項垂れる。
でも、あれはしょうがないと思うんだ。みんな誰でもああななるはずだ。恐らくは。
自分で自分を庇いながら、どうしようかとも考えるが、勝手に帰ることもできない。俺にできるのは、この場を唯一なんとかできる筈のドフラミンゴ先生が、笑い終わるのを待つことだけだった。




もどる / HOME