忘却の姫子
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青の剣士 
 町の東に聳えるトレア山はレゼリュウス町で一番大きな山だった。そのトレア山から太陽が顔を出した朝。
 ミルフィはいつもの朝に加えて、妙な違和感を覚えてふと目を覚ました。
 まだ瞼が開かず、思考も半分以上が夢の中だ。視界がぼやけて小さく瞬きを繰り返す。
 朝だというのは分かったが、ブランケットとシーツの温かさと気持ちよさに再び眠りに入りかけた。
 洗い立ての柔らかなシーツを指先で探りながら、身をくねらせて寝返りをうつ。しかし弾力のある温もりに肩が触れてわずかに眉間を寄せた。
 鼻腔を刺激するのは、嗅いだ覚えのある匂いだ。
 それはシーツやブランケットの匂いではなかった。人の匂いだ。
 幼い頃からよく知っている──。
 その時だった。頭上から低い声が落っこちて来た。

「起きたのか? まだ早い。もう少し寝ていたらどうだ」
「え?」

 その時になって初めて、ミルフィの思考は大きく動いた。いきなり視界が開ける。

「ユージン……?」

 なぜユージンの声が、温もりが、匂いがここに在るのか。
 寝起きの舌足らずな声音と寝惚け眼で首を巡らせて見上げてくるミルフィに、ユージンは低く喉の奥で笑った。

「ユージン。どうしてここにいるの?」

 どうして一緒の寝台にいるのか、状況が咄嗟には理解が出来ない。

「なんだ。覚えていないのか? 夜中に俺のベッドに潜り込んで来たんだぞ」

 へ? と何とも間の抜けた声で呆然とするミルフィに再びユージンは肩を震わせて笑った。
 ユージンは寝台に身を起こしていた。まだ寝間着姿だ。どうやら本を読んでいたらしい。
 パタンと閉じる音がしたと思ったら、ギシリと寝台のスプリングを軋ませてゆっくりと身を屈めて来た。

「寝惚けているのか? ここは俺の寝室だぞ」

 その途端。ミルフィの悲鳴が家中に響き渡った。


忘却の姫子