06

 商店街で出会ったもっさりとしたイケメン、もとい烏丸くんは迅くんの後輩だという。高校の在学期間こそ被っていないけれど、ボーダーではかなりお世話になっているのだと話してくれた。
 なにより、彼がまだ高校一年生だと聞いて驚いた。ずいぶん大人びているから、同級生くらいかとおもっていた。そう言えばまた表情筋の死んだ様子で「あざす」と嬉しいんだかよくわからない返事をした。
 結局烏丸くんに自宅まで送り届けてもらうことになったのは、わたしが迅くんの知り合いであるということと、その迅くんから言われていたにも関わらず、わたしを泣かせてしまった責任があるからと彼が食い下がったからだ。あのとき涙がこぼれてしまったのは決して彼のせいではない。自分の浅慮にほとほと呆れて情けなくなっただけだ。それでも諦めない烏丸くんの説得にわたしが折れるほかなかったのだけど、一体その指示を破ればどんな罰が待ち受けているんだろうかと恐ろしくなる。
「迅くんって、ボーダーでは偉いひとなの?」
「偉い……とはちょっと違いますけど、まぁ立場的に俺のほうが下なのは確かっすね」
 すっかり暗くなった砂利道を歩きながら、ぽつりぽつりとボーダーの話をしてくれる。わたしと太刀川が高校からの友人だと知ったときには目を丸くして「それは、なんというか……いやでも、太刀川さんにもかなりお世話になったので……」と言葉を選びつつ言うから笑ってしまった。
 平静を取り戻した烏丸くんが言う。
「あんな取り乱した迅さん見たの久しぶりだったんで、驚きました」
「え?」
「名字さんのこと頼まれたとき、迅さん、どうしても外せない任務があったらしくて。本当は自分が行きたいけど……って情けなさそうにしてましたよ」
 なにそれ。そんなことを言われたら、また変な勘違いをしてしまう。ぐっと下唇を噛むわたしを見て烏丸くんは「これ以上泣くのだけはちょっと……」と狼狽えていた。
「泣いてない、大丈夫」
「ならいいすけど……てっきり俺は名字さんは迅さんの彼女なのかとおもってたんですけど、違ったんすね」
 烏丸くんといい、太刀川といい、いったい何を馬鹿げたことを言うのか。そんなわけない、迅くんは太刀川を通じて知り合っただけの、ただの高校の後輩だ。
 そんなことを烏丸くんに言う声は、まるで自分に言い聞かせているみたいだった。それを自覚してしまえば自分の本心に気づくのは転がり落ちるようにあっという間。わたしは迅くんに対して、それ以上を求めている。
「……迅くんって、思わせぶりだよね」
「まぁ、否定はしないです」
「他の女の子にもこういうことしてるのかな。いつか刺されそう」
「そのときは名字さんが刺せばいいんじゃないすか」
 物騒なことをまた真面目な顔で言う。迅くんの後輩というだけあってひとの機微に聡そうな彼には、目の前にいるわたしの心の内なんか筒抜けなんだろう。とはいえお世話になっている先輩を迷わず「刺せばいい」だなんて、肝の座った子だ。
「今度会ったら考えてみるよ。って、こんなこと言ってたら会ってくれなさそうだけど」
 迅くんは勘が良さそうだから、すでに危険を察知していそうだ。そんな冗談に烏丸くんは「俺が引きずってでも連れて行きますよ」と援護の姿勢を見せている。なんと頼りになる後輩か。
 家までの道のりはずいぶん短く感じた。烏丸くんもわたしが家の中へ入るまでしっかり見届けてくれていた。これも先輩である迅くんの教えだろうか。
 最後におもいだして振り返り「烏丸くん、おやすみ」と告げると、ちゃんとそこにいた烏丸くんから「はい、おやすみなさい」と返事が返ってくる。彼は迅くんほど神出鬼没ではないらしい。そしておもう。そうか、君はそんなにかわいらしく微笑むのか。

 珍しく太刀川からメッセージが送られてきたのは、もう眠りに就こうかという頃だった。
 提出の迫った課題はなかったはずだから、おそらくまたボーダーの仲間たちとどこへ行っただとか野良猫がいただとか、そういった類に違いない。予想したとおり、通知に表示されているのは一枚の写真が送信されましたという文字だった。
 なんの気なしにそれをタップした瞬間、咄嗟に大声で叫びそうになるのをすんでのところで抑え込んだ。大きく開いた口を抑えたのは、自分の右手である。よくやったと褒めてやりたいが、反対に左手は持っていたはずのスマートフォンを布団の上に放り投げていた。どきどきなんてかわいいもんじゃない、心臓はドッドッとおおきな音を立てている。
 掛け布団に沈み込んだスマートフォンを薄目でおそるおそる覗き込めば、さっき見たのはやっぱり見間違いじゃなかったらしい。画面に映るのはここ最近ずっとわたしの思考を占領し続けている彼、迅くんであった。
 画面の中で少し迷惑そうに眉を下げて笑っている迅くんは、いつもの青色のジャケットを着て缶コーヒーを手にしている。背景はそれを買ったであろう自販機だ。
 太刀川の気まぐれには何度も振り回されてきたけれど、今回は本当にタチが悪い。あの男はいったい何を考えてこの写真を送ってきたのだろうか。そんなことを考えていると、太刀川から再びメッセージが届く。内容は「じんいた」とシンプルかつ何の意味もなさない文章だ。もっと説明すべきことがあるはずなのに。
 恨み言を思い浮かべていればあろうことか、スマートフォンは太刀川からの着信を告げてきた。既読をつけているのに返事をよこさないわたしに痺れを切らしたのだろう。普段はこれでもかとのんびり生きているくせ、こういう自分がたのしいときだけは短気で自分勝手なおとこだ。
「……いや、出るわけないから!」
 呑気なひげ面を思い浮かべながら小さく叫び呼び出し音を強制的に終了させる。そうすれば間髪入れずに再び鳴り始めるのだから終わりが見えない。何度かそれを繰り返したあと、太刀川から怒涛のメッセージが届くのだった。
 おい、でろ、じんいる、きるな、でんわでろ。
 全てひらがななところが太刀川らしいが、この大バカは迅くんがそこにいると聞かされてわたしが電話に対応するわけがないとはおもわないんだろうか。
 それも全部無視したところでようやく通知が鳴り止んだ。ついにもたらされた安眠に少し、ほんの少しだけ油断したのだろう。数分空けて再び鳴り出した呼び出し音を「うるさい!」と切った、つもりだった。
「お、やっと出た」
 スマートフォンから聞こえる太刀川の声に全身から冷や汗がどっと溢れ出る。焦りはわたしの脳の回路をショートさせて、もはや通話をどう終わらせるのか、その操作すら覚束なくなっている。
「おーい、名字、聞こえてんのか?」
 間延びした太刀川の喋り方にさえ苛立ちを感じざるを得ないが、それよりもわたしを動揺させるのは、その声の後ろからわずかに聞こえる迅くんの声だ。
「太刀川さん、たぶん名字さんもう寝るとこだよ」
「? 電話出たんだから起きてんだろ」
「いやそうじゃなくてさぁ」
 迅くんはどうやらわたしの味方らしい。が、今はそんなことはどうでもいい。
「わ、わたし! 寝るから!」
 裏返ったり上擦ったり、全く狼狽を隠しきれない叫びだった。
「おい、迅いるんだぞ」
「さっきから言ってるけど、それ何のメリットにもなんないからね」
 ふたりのそんな会話を聞きつつ、やっとのおもいで通話を切断した。最後の最後に太刀川が「なぁ名字」とわたしのことを呼んだ気がしたけれどどうでもいい。
 今にもはち切れそうなほどうるさい心臓を両手で押さえてベッドに沈みこむ。
 せめて迅くんに、今日のお礼だけでも告げておくべきだっただろうか、なんて、今となっては後の祭りだ。
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