07

「あ、おまえ」
 目が合って開口一番、不躾なセリフを投げかけてくるのは当然太刀川だ。咀嚼の合間にことばを発したから実際のところは「ぉあ、もまぇ」だったが、その言葉尻には少しばかりの怒りを感じる。そして身に覚えは……ある。
 うどんを啜っていた太刀川は口の中にあったものを飲み下すと、続けて「電話切るんじゃねーよ」と不満をぶつけてきた。思ったとおりの内容だ。
 返事をしないまま向かいの席に座るとさっきまでうどんを持ち上げていた箸の先がこちらを向く。行儀が悪いうえにわたしが先端恐怖症だったらどうするつもりだ。
「聞いてんのか」
 この間とまるで立場が逆転している。違っているのは、わたしがとくに課題に追われていないという点だけ。
「逆に言うけど、いきなり電話かけてこないで」
 天津飯にスプーンを差し込みながら答える。怒っているのはこっちのほうなのだから。
「だからメッセージ送ったろ」
「あのめちゃくちゃなやつのこと言ってる? あと、電話かけるより先にメッセージ送るの、普通は!」
 対抗として天津飯の餡にまみれたスプーンを太刀川の方へ向けてやる。まだ納得のいかない顔をしているが知ったことか。
 それに反論する様子もないのでようやく反省したかとスプーンを下げると、まったくもって悪びれた様子のない声が返ってくる。
「迅が本部に来てんの久しぶりだったんだぞ」
 ふたたびうどんを啜り始める姿がどうにも腹立たしいが、わたしも天津飯を口に運びつつ太刀川の話を聞いた。せっかくの昼食が冷めてしまうのはもったいない。
「そんで、最近名字とよく会ってるらしいなって話になって」
「ほんっとに変なこと言わないでくれる!?」
 いつものことながら、太刀川の話にはつい口を挟まずにはいられない。
 太刀川の物言いはまるで、わたしと迅くんが都合を合わせて会っているような口ぶりだ。もちろんそんなわけはなく、ただ偶然、たまたま、意図せず遭遇しているにほかならないというのに。
 しかし太刀川というおとこはわたしのひと声で黙るような人間ではない。何事もなかったかのように涼しい顔をして口を動かし続けている。
「あ、そういえばお前、京介に会ったんだって?」
「京介……って、烏丸くん?」
「そうそう、そんで迅がめちゃくちゃ気にしてたぞ」
「えっ、な、なんで」
 自分のことながら単純な人間だと呆れてしまう。迅くんが自分の話をしていたとなれば、さっきまで耳障りだった太刀川のことばさえ自ら求めてしまうのだから。
「よく知らねーけど、自分が変なこと言ったかもとか、変なことしたかもとか。ウジウジしやがってめんどくせーから電話したのに」
 変なこと、なんてひとつもない。むしろ、それはこっちのせりふだ。ずっとわたしが迅くんに迷惑をかけて心配させて、いらないことばかり言って甘えて期待している。
「つーか、お前らお互い言いたいことあんなら俺を挟むなよ」
 そう言うと食事を中断した太刀川はスマートフォンを操作し始め、それからその画面を見せつけるように「ん」とぶっきらぼうにこちらへ差し出した。それを受け取りながら問う。
「なに?」
「これ迅の連絡先」
「はい!?」
 眼前の液晶にはメッセージアプリのQRコードが表示されている。これを読み取れば迅くんの連絡先がわたしのスマートフォンに取り込まれてしまうわけだ。そして自分伝いではなく直接連絡を取れと言う。
 左手に太刀川のスマートフォン、右手には天津飯をすくおうとするスプーン。わたしはいま、どちらを捨て置くべきか。
「……いやいや、べつに、迅くんに連絡入れることないから」
 結果、太刀川の前へスマートフォンを滑らせるように置いた。自分の言ったことばは半分嘘であり、もう半分は本当だ。先日烏丸くんに家まで送ってもらったことへのお礼を言うべきかとおもうけれど、これ以上彼と関わることで無駄な期待をしてしまいそうな自分が容易に想像できて嫌になる。
 迅くんと個人的に連絡を取るようになれば、きっとわたしは彼のことばかり考えてしまう。白状するならば、恋に浮かれたお花畑な脳内になってしまうということだ。それほどわたしにとって迅くんというひとは、高校の後輩という枠からいとも簡単に飛び出してしまった。
「お前らほんとめんどくせー」
 心底そうおもっているのだろう。二度目のそのセリフを吐く太刀川の顔はいままで見たことがないほどゆがんでいる。いつもへらへらと笑っている男とはおもえない。
「迅くんだって困るでしょ、急にわたしから連絡入ったら」
「困らねーよ」
「太刀川がそうおもってても、迅くんはわかんないじゃん」
「だから昨日聞いたんだろ」
「は? なんの話」
 噛み合わない会話のせいでおもわず苛立ちを含んだわたしの声にかぶせるように太刀川が言う。
「名字に迅の連絡先教えていいかって。本当はお前のを教えようとおもって電話したのに、切りやがって」
 最後にもういちど恨みごとを吐いた太刀川は眉間にしわを寄せながら食事へと戻った。わたしはことばの続きを言い逃したくちびるを何度か閉じたり開いたりして、ついに何も言うことができなかった。
 もし昨日のわたしがちゃんと電話に対応していて、太刀川にそんなことを訊ねられたら即座にイエスと言うわけがない。だからといってその場に迅くんがいる状況でノーと言えるはずもなかった。迅くんもおなじだろう。画面越しとはいえ本人がいる前でノーとは言わない、彼ならきっと。そうおもうのも、わたしの願いでしかないのだろうか。
 けれど、いまのわたしはここに迅くんがいないのをいいことに、彼の連絡先を知らなくていいと言ったのだ。自分の保身のために。これ以上身勝手な勘違いをしないために。でも、迅くんは?
「……それで、迅くんは」
 わたしがいない場での彼の発言が彼の本心なのだ。知らないほうがいいかもしれないことをどうして訊ねてしまうのだろう。
「迅くんはなんて」
 ひどく情けない顔をしているにちがいない。意外にも太刀川は、そんなわたしを一瞥しただけだった。
「お前って勉強はできるけど変なところバカだよな、俺より」
 うるさいな。失礼にもほどがある。余計なお世話。
 普段のわたしならそんなことばたちを放っていただろうが、今日ばかりは甘んじて受け入れてやろう。というより、返すことばもない、が正しいか。
「迅が教えとけって言うから教えてんだろ」
 いつもどおり、のんびりとした太刀川の声がそう言った。その答えについて考える間も与えないように、テーブルに無造作に置いた自分のスマートフォンが控えめに震える。届いたメッセージの送り主は、目の前にいる太刀川だ。
「こっちは首突っ込んだからには最後まで責任もてとか意味わかんねぇこと言われてんだよ、さっさといい感じのとこに収まってくれねぇと俺も困る。つーか、いい迷惑だ」
 滔滔とつむがれるそれが小言であることは感じとれるが、その真意は図りかねる。けれどもたしかに、ここ数ヶ月は太刀川にいろいろと迷惑をかけたにちがいない……いや、いままでかけられた迷惑を返してやっただけにすぎないのだけど。
 言い終えてからこちらを見据えるその目がなにかを訴えかけている。なにかとは、さっさとメッセージを確認しろということだ。そしてわたしの食指が動かないのは、なんとなく、送られてきたその内容が想像できるから。
 太刀川がたまに見せるその真剣な顔に耐えかねてメッセージを開いた。想像どおり、なんの文字も添えずに送られてきたそれは、迅くんの連絡先に間違いなかった。ここまでされれば観念するほかない。
「……わかった」
 液晶に指を滑らせてしまえばあっけない。迅くんの連絡先はわたしのスマートフォンに記憶されて、太刀川や友人たちと一緒に名を連ねた。ここ最近のことについてお礼を伝えるだけだ。でもとりあえずいまは。
「ご飯食べてからにする」
 そう告げて少し冷めた天津飯を口に運べば、太刀川が小さく笑う音が聞こえた。
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