08

 会話のはじまりはむずかしい。気の置けない友人であればともかく、だれとでも簡単にとはいかないものだ。
 まずは頭の中で伝えなくてはいけないことを整理する。太刀川から連絡先を聞いたこと、ここ数ヶ月で何度もお世話になったこととそれへの感謝の言葉、それから……などと考え始めてしまえばいつまで経ってもこのメッセージを送ることはできないだろう。
 文末で点滅するカーソルが続きはまだかと催促しているみたいだ。それにせっつかれるように文字を入力しては消して、それを何度か繰り返してはため息が出る。
「早くしねーと日が暮れちまうぞ」
 向かいからヤジを飛ばすのは太刀川だ。わたしとおなじく空きコマらしい太刀川は、SNSの広告でよく見るスマホゲームで時間を潰しながら、わたしが迅くんにメッセージを送るのを見守っている……というよりは監視と言ったほうが正しい。
「改めて考えると何送っていいのかわかんないんだって」
「そんなもんテキトーでいいだろ」
「太刀川って本当に能天気でたまにうらやましくなる」
「今のはさすがの俺でも悪口だってわかるぞ」 
 しかしながら、太刀川の言うことも一理ある。これだけ悩んだって時間のムダで、それこそ適当に、ありきたりな挨拶と感謝の文面を送ってしまえばいい。奇をてらう必要などこれっぽっちもないのだから。
 これほど悩んでしまっているのは、彼に良い印象を与えたいとおもう自分がどこかにいるからなんだろう。まったく意味のない自尊心だ。
「うん、太刀川の言うとおりだね。もう適当に送っちゃう」
「なんだよ、急に素直になって」
「変に取り繕ったって、今さら意味ないもん」
 そう、思ってみれば今さらなのだ。散々恥ずかしいところや情けないところをさらしているのだから、今さら取り繕うことなんて無駄でしかない。これで迅くんとの関係が終わるならそれは仕方がない。そもそも、まだ何も始まっていない。
 開き直ってしまえば早かった。あくまで他の友人に送るのと同じように、助けてもらったあの日からの感謝を打ち込む。余計なことは伝えない。彼にとってわたしは、近界民から助けた一般市民のうちのひとりでしかないから。そう言い聞かせて。
「……よし。太刀川もありがとね、いろいろ」
「おー、今度肉奢れよ」
「それは無理、わたし今無職なんだから」
 そうだ、これで気持ちを切り替えて、とりあえずは新しいバイトを探すところから。求人アプリを開くわたしを横目に「そんじゃあ迅に奢らせるか」と太刀川がまたのんきに言った。

 忙しくしているであろう迅くんから返事が来たのは、そのつぎの講義が終わるタイミングだった。いつもなら講義室から流れ出していく人波に紛れてそそくさと帰るところだけど、かばんを持ち上げる瞬間に、まるでタイミングを見計らったかのようにメッセージが届くものだからふたたび座席に腰を下ろした。
 返事が予想より早かったというよりも、そもそも返事なんて来ないんじゃないかとおもっていたから驚いた。いや、来なければいいとおもっていたのかもしれない。あれだけひとに寄り添えるひとだ、礼儀として何かしらのアクションを起こしてくれることは想像に易いのに。
 心臓がきゅうと痛むような感じがしたのは一瞬で、原因はびっくりしたからに他ならない。そんなふうに冷静に分析できてしまうほど穏やかなきもちだ。うん、いい感じに切り替えられている。なんて、本当は少し強がりもあったかもしれないけど、それに気づかないふりをしてメッセージの通知をタップした。
 しゅぽっと勢いよく画面に現れた文面は、定型分であろう「どういたしまして」の文字が記されている。それだけで構わないのに、彼のメッセージには続きがあった。
 どういたしまして。久しぶりに名字さんに会えてよかった。今度ご飯でもどう? ふたりが嫌なら太刀川さんとか呼んでもいいし。
 思考が停止するとは、こういう感覚なのだろう。何度かこのメッセージを頭から読み返してその意味を咀しゃくできたとき、講義室に残されているのはわたしだけになっていた。

「行けばいいだろ、飯くらい。わざわざ俺に言うなよ」
 おおきな手でちまちまとポテトを食べながら言う。その反対の手には期間限定のハンバーガーを持っていて、時おり大きな口を開けてかぶりついている。ふたり掛けの小さなテーブルはふたりぶんのトレーを載せるだけで精一杯だ。
 ついぞ迅くんへの返信を送ることができなかったわたしは結局、お昼に別れたばかりのこの男に助けを求めるはめになった。わたしからの着信に3コール目で応えた太刀川は「たまたま任務のない俺に感謝するんだな」とかなんとか言いながら、大学近くのファストフード店前で合流したときにはおもしろくて仕方がないと言わんばかりににたにたと笑っていた。
「太刀川だって無関係じゃないんだから」
「無関係だろ」
「迅くんが太刀川も誘っていいって言ってた」
「行かねーよ」
 にべもない言葉は追いすがる余地もない。しかし、この場の代金は少額とはいえわたし持ちなのだ。多少のアドバイスなりなんなりをくれてもいいだろう。昼にも主張したとおり、今のわたしは無職なのである。
 とはいえ、気が動転して反射的に太刀川を呼びつけてしまったけれど、そもそも彼の言葉がただの社交辞令の可能性も高い。いっそのこと、その判断も太刀川に委ねたいところである。彼がどういうひとであるのか、実のところわたしは全然知らないままなのだ。
「……これって本気にしない方がいい? ただの社交辞令かな」
 何の意味もなさないけれど、なんとなく声をひそめて訊ねた。口の端にケチャップをつけた太刀川が何度目かのため息を吐く。
「迅のやつがどう思ってようが、お前がどうしたいかだろ。向こうから言い出してんだから、本心では行きたくなかろうが自業自得だ」
「やっぱり本心じゃない可能性もあるってこと?」
「それは知らん。少なくともお前が気にすることじゃねーってこと」
 実に太刀川らしい答えだ。そして、その答えは正しいのだろう。すべての言葉の裏を読みはじめてしまえばキリがないし、それを怖がっていれば何ひとつ事態は進展しない。それがどっちに転ぶことになろうとも。
 太刀川の何気ないセリフがいつもわたしの背中を押す。だからわたしは太刀川になんでも相談してしまうのだ。
「太刀川には敵わないや」
「それは褒めてんのか?」
「うん、すっごく、これ以上ないほど」
 わたしの言葉にまんざらでもない顔をして太刀川が言う。
「名字とも長い付き合いだしな。あと、迅にも恩を売っておいて損はねぇ」
 なにやら悪巧みをしているのだろう。にやりと笑った太刀川の視線のむかう先はわたしではなくどこか宙を見据えていて、どうやら未来のことを想像しているらしい。
 まるっきりわたしと正反対な太刀川は、すべてが善い方へ進むと信じて疑わないのだろう。彼の口からネガティブなことばを聞いたことは記憶のかぎりいちどもない。
「わたしっていろんなこと考えすぎなのかなぁ」
 ぽろりとこぼせば「なにをいまさら」とでも言いたげな太刀川と目が合った。
「気づいたんならはやく返事しろよ。おれが本部に行く時間がなくなるだろ」
「今日休みって言ったじゃん」
「休みでもおれは忙しいんだ、なんせ隊長さまだからな」
 隊長さまがどれほど忙しいものなのかわからないが、たしかに太刀川は毎日のようにボーダーへ赴いている。ふつうのアルバイトならありえない頻度で。なんならボーダーから直接大学へやって来て、講義が終わればまたボーダーへ帰っていく日さえあるのだ。
 おおきなひとくちでハンバーガーを食べ終えた太刀川は包み紙をくしゃくしゃに丸めてトレーの上に転がした。なんとなくそれを自然で追っていたら頭上から太刀川の声がする。
「お前は迅と仲良くなりたいんだろ」
 思わず顔を上げると思いのほかまじめな顔をしているものだから驚いた。単純でこれほど本能のままに生きている人間を見たことはないけれど、その実なにを考えているのかわからないそのひとみがわたしをつらぬく。
「……うん」
 仲良くなりたい、ということばに収めるのがすこしはばかられるのは、どこかよこしまなきもちがわたしの中に生まれてしまっているから。
 ついさっきまで宙をただよって未来をさぐっていた視線が、今度はわたしの奥底まで見透かすようだ。だからわたしの口からも本心がこぼれ出す。
「わたし、迅くんのこともっと知りたい」
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