平穏の狭間




カラン、と扉のベルが鳴った。
少し前まで騒がしかった店内も今は落ち着いていて、緩やかな雰囲気の中で振り返る。

「いらっしゃいませ」

ゆったりとした足取りでカウンターへ向かって来るその人は相変わらず無愛想で、笑みひとつ浮かべないままわたしの斜め前へ座ると、酒を頼むと一言告げた。

「はい。ロックでよろしいですか?」
「あぁ」

氷を入れたグラスに液体を注ぐ。宿屋兼酒場で働くようになってアルコールの匂いには幾らか慣れてきたけれど、彼の好むこの酒の匂いにはまだ慣れない。度数が高くて少しだけ癖のあるそれを頼むのは殆ど彼だけで、帝都にはそれ程馴染みのあるお酒ではないのだと、女将さんが言っていた。マドラーでくるりと混ぜて、彼の前にグラスを置いて。カウンター内に置かれた椅子に腰掛ける。

「お久しぶりですね」
「あぁ」
「また遠くまで行かれたんですか?」
「いや…帝都にはいたが」
「もしかして缶詰状態だった、とか」
「…あぁ」
「隊長さんも大変ですね」

シュヴァーン・オルトレイン。帝国騎士団隊長首席。その名前と肩書きを知ったのは二度目に彼と会った時だった。ある程度上客であるのは初めて顔を合わせた時に理解していたけれど、まさかそんなお偉方が下町の酒場に一人で来るなんて誰が思うだろうか。失礼はなかったかと肝を冷やしたけれど、間隔は疎らでもひと月のうちに1、2回は来てくれて、更にはこうしてわたしの前に座ってくれるあたり、少しは気に入っていただけたようで嬉しい。

「ユーリ・ローウェルは」
「最近は、大人しくしていますよ」
「…そろそろか」
「そうですねぇ、たぶん、そろそろ。大事には至りませんでしたけど、今日も騎士団の誰かと少し揉めていましたし」
「そうか」

彼がわたしに訊ねることは、大体が帝都の住人以外の人間の町への出入りについてとユーリの近況だ。初めてユーリのことを聞かれた時には何事かと身構えてしまったけれど、確かにあれだけ騎士と揉めていれば隊長首席の耳にも入るだろうし、仕方ない気もする。次はいつ揉めて牢に入れられるのかと予想をするのも、これで何度目だろうか。大人しくしているユーリは、言ってしまえば『嵐の前の静けさ』だ。ふと、そういえばここ暫くは騎士に捕まってないなと思い出したころに大きな揉め事を起こすから、なかなか適切な表現だと思う。

「町の様子は」
「ここひと月は、あまり変わりありませんよ」
「そうか」

帝都外の人間の出入りについては治安の問題もあるのだろう。特に、宿屋であり酒場でもある此処は集まる情報も多岐に渡る。質の良い物や気のいい商人、怪しい人。最近の流行りはどういったものか。情報とも呼べないだろう些細なことしか話せなくても、彼はそれでいいと短く頷くのだ。ユーリは騎士団を嫌うけれど、こうして下町まで様子を訊ねに来るシュヴァーン・オルトレインという騎士しか知らないわたしはユーリほど騎士団を嫌えない。もちろん、時々やって来ては無理な徴税をして横暴に振る舞う一部の騎士は嫌いだけれど。それでも、印象の良い隊長首席とのほうがその騎士より関わりが多い分、天秤の傾きなど計るまでもない。

「そういえば最近、花を贈るのが流行っているみたいです。2、3本を束ねて綺麗に包んで、大切な人に贈るそうです」
「…。」
「恋人や親子が多いそうですけど、女性は友人同士で贈りあったりとか。男性同士はさすがに花は贈らないみたいですけど、代わりに少量のお酒を贈るらしくて」
「…。」
「だから市場では最近、お酒が小瓶で売られているんです。商人の方は流行に敏感で、さすがですよねぇ」
「…あぁ」
「記念日はもちろんですけど、日頃の感謝とかそういうささやかな贈りものにも好まれるそうですよ」
「…。」
「ふふ、素敵ですよねぇ」
「…そうだな」

無口で無愛想で相槌もあまりない。あっても、あぁ、そうか、そんな一言だけ。けれど彼は、わたしが話を切れば続きを促すようにこちらを見る。グラスを傾けてじっと話を聞いている。この人がどんな意図でわたしの話を聞きにきていて、実際にこの下町をどう見ているのかは、わからないけれど。それでもなんとなく、彼とユーリがいるのなら下町の人達はきっと変わりなく過ごしていけるのだろうと、そう思った。

「また来る」
「はい。お待ちしています」





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花ひらく頃、想いこがれる