わたしをみて
(ラゴウのあと、カプワ・トリムのあたり)
嫌だ。悔しい。納得がいかない。
言葉にしてしまえば、それだけのこと。
けれども、それをどこかにぶつけることなんて出来なくて、すこしでもこぼしてしまう前にと 飲み込んだ。
01.
食事のあとの寝るまでの時間をひとりで過ごすようになったのは、いつ頃からだろう。初めは離れていても誰かしらになにか声を掛けられていたけれど今ではそれもなくなった。わたしにとっても皆にとっても、これが当たり前になるくらいには、時間が経っているのだと思う。
宿泊する部屋の中、それぞれのベッドの近くで話をしているユーリたちを見ていたくなくて、宿を出る。リタとカロルのいつもの掛け合いもエステルを気にかけるユーリの声も、今は何も聴きたくなかった。鈴を転がすように軽やかなエステルの声が、耳から離れない。
これまでずっと、ユーリの隣にいたのはわたしだったのに。それこそ物心つくころから下町を出るまでは、呼んだら振り向いてくれて、追いかければ触れられる距離にいたのに。だけれどエステルが現れてから、気が付けばそこには、彼女が立っていた。わたし以外の誰一人としてそれに違和を覚えることなどない。まるで初めからそうだったかのように、それが当たり前だというように。彼女も、周りも、みんな。
──ユーリでさえも。
わたしの居場所が、なくなっていく。ユーリがわたしから、離れていく。その抗いようのない事実が痛くて、すこしでもそれを見なくてすむように自分から距離を取って。そうしてまた、離れていく。
潮の香りが、なんだか切ない。心のささくれたところに沁みてじくじくと痛んで、右手で胸を押さえた。おだやかな波の音色は優しいのに、この感情が揺れるのは、たぶん、わたしを包む夜の色がユーリを思わせるから。
「ユーリはあたしのなのにって顔してるわよ」
「…見てないくせに」
「見えなくたってわかるくらいの背中してるんだから同じでしょうよ」
隣に立って笑ったレイヴンを軽く睨んで、そのまま視線を足元に投げた。レイヴンが共に行動するときは、独りの時間が少ない。こうやって離れるわたしを追いかけては声をかけるから、必然的に話すことになる。エステルを見つめて微笑むユーリから意識を逸らせるから、確かにありがたいけれど。こんな風に構いたがるのはわたしのこの感情を知っているからだろうか。
「別に、ユーリはわたしのものじゃないもん。…ちゃんとわかってるよ」
「うん?」
「離れてほしくないのに、自分から離れてる。言いもしないのに気付いてほしいなんてただの我儘だよね。…わたしが子供なだけ」
「…そうねぇ、」
「えっ、わわっ、」
近付いてきたその大きな手に、わしわしと頭を撫でられる。ユーリとは違って、ゴツゴツした男の人の手。お父さんってこんな感じかなぁ、なんて思ったら、自然と頬が緩んだ。
「ふふ、」
「あら意外と元気?もっと落ち込んでるのかと思ったけど」
「ん…。落ち込んでたけど、レイヴンに撫でてもらってちょっと元気出た」
「可愛いこと言うじゃない」
「お父さんってこんな感じかな?」
「いくら何でもおっさんこんな大きな子がいる歳じゃないわよ!」
まったくこの子はもう!なんて今度は頭を軽く叩かれた。やっぱり、お父さんみたい。口調はちょっとお母さんっぽいけど。
「ま、自分が子供だって理解してる分くらいは大人になれてるんじゃないの?」
「そんなの、ほんのちょっとだもん…」
「…そうねぇ。嬢ちゃんに対してなんて、結構露骨に態度に出てるしねぇ〜」
「…。」
それは、自覚してる。
ユーリがエステルを見ているとき。エステルがユーリを見てるとき、2人が話をしてるとき。わたしはユーリの袖を引いて、名前を呼んで、わたしを見てって遮るんだ。それが子供じみたやきもちなのはわかっているけれど、やっぱり嫌なものは嫌だ。ユーリにはわたしを見ていてほしい。だけどそういうときはいつも、彼女はすこし寂しそうに笑ってユーリの傍を離れて、ユーリは、たぶん呆れてる。何も言いはしないけれど、わたしの話なんて早々に切り上げて、エステルのところに向かうから。
「レナちゃんはさ、年齢のわりに結構大人よ?考え方とか、精神的なところが」
「?」
「だけど恋に関してはねぇ…。きっとまだ恋の仕方をひとつしか知らないから、子供みたいに妬くわけ」
「…よくわかんない。恋に、ひとつとかふたつとか、大人とか子供とか、関係あるの?」
レイヴンは顎に手を当てながらわたしを見て、少し考えてから答えた。
「関係あるなしで言っちゃえば、ないけども。う〜ん、ちょっと意味が違うのよねぇ」
「意味?」
「…今のレナちゃんは、少なくとも大人の恋をしてるとは言えないわ」
「…わたしのは子供の恋ってこと?」
「ま、端的に言っちゃえばそーゆうこと」
「それはつまり、やっぱり、わたしが子供ってことじゃないの?」
「うーん、説明が難しいわねぇ…。とにかく、今のレナちゃんは押せ押せな状態なわけ」
「…だってそうしないと、ユーリは振り向いてくれないもの」
「そーね。…ま、子供の恋も悪くないわよ」
そろそろ寝ましょーよ、とレイヴンは宿に戻るように促したけれど、もうすこしだけこうして考えていたくて、首を振る。
「そう?んじゃ、おっさんは先に戻るわ」
「うん、おやすみ」
「…レナちゃん」
「うん?」
「ゆっくりでいいんだよ」
そう言って宿屋へ向かったレイヴンの背中が、じわりと闇に溶けていった。ゆっくりでいいとレイヴンは言ってくれたけれど、それはたぶんわたしが苦しい。行き場のない想いを抱えて、鎮める方法もわからないまま、ユーリの隣には立てずに、ただエステルを傷付けるなんて。
ユーリのこと、自分のこと、これからのこと。仲間のこと、この感情のこと。
大人の恋と、子供の恋。恋の仕方。
レイヴンの言葉を反芻してみても、わたしにはやっぱりよくわからない。でも、たぶん大切なことなんだと思う。このままぶつけるだけではきっと何も変わらなくて、それどころかいつかこの関係は崩れて、失うことになる。わたしが漠然と感じているそんな予感みたいなものも、たぶんレイヴンにははっきり解っているんだ。だからこうして、ヒントをくれる。
わたしが旅をしているのは、ユーリが旅をしているからだ。下町を助けたいのだってユーリが生きている場所だから。わたしがユーリを好きだからユーリもわたしを好きになって欲しい。でも変わらなければいけないのかもしれない。
──だけど何を、どんな風に?
繰り返す疑問の答えは見つからないまま、夜の色から逃げるように目を閉じた。