やさしい微熱
夕食片手に戻ってきたユーリは、テキパキと食事の用意を始めた。なんだかお母さんみたいだなんて考えながら、その様子をぼんやりと眺めていた。ベッドの足元では相変わらずラピードが丸まっていて、こちらを上目で伺っている。
「ラピード、ありがとな」
あまりの手際の良さに何も出来ずにいたわたしを気にすることもなく、彼は相棒に礼を言いながらわたしにスプーンを差し出した。受け取ったスプーンはほんのりと彼の温もりを灯していて、けれどすぐに冷めてしまった。
「さっきみたいなの、よくあるのか?」
訊ねてから、ユーリはぱくりとスプーンを口に運んだ。なんてことないような調子で、けれどもその目は強く問うていた。誤魔化すつもりはひとつもなかったけれど、曖昧な答えでは納得してもらえなさそうだ。
「前は結構あったけど、ここに来てからは初めてだから…今はどうなんだろう、わからない」
「…そっか。あと幾つか聞いていい?」
「ん、大丈夫」
ユーリに続くようにしてスプーンで掬ったそれは少し熱くて、はふ、と息が漏れた。あっさりしたトマトリゾットはいつもと違ってチーズが入っていない。代わりに半熟卵が乗っていて、なんだかとてもやさしい味がした。
「どっか体に悪いところがあるとか、命に関わることじゃないんだよな?」
「うん、それは大丈夫」
「なにか条件とかあるのか?」
「……目が覚めたとき、」
「うん」
「……。」
言おうとして、思わず言葉に詰まる。ユーリが馬鹿にしたり笑ったりしないのはわかっているし、わたしにとっては間違いなく真面目な話なのだけれども、言葉に置き換えてしまうとまるで小さな子どものようで恥ずかしい。とはいえ、話さないわけにはいかないわけで。落ち着かなくて左手の爪に触れた。
「目が覚めて、"ひとり"だって認識するとなるの」
「…1人じゃなけりゃ大丈夫ってこと?」
「うん。目が覚めたときに自分以外の誰かがいれば普通に起きられる」
こうして話すと尚のこと、まるで親がいなくて寂しがる赤ちゃんのようだ。齢二十にもなる人間がいったい何を言っているのだか。やっぱり恥ずかしくてユーリの様子を伺ってみたけれど、彼はいつも通りの顔でワイングラスを傾けていた。
「そういや、レナの好きな食べ物ってなに?」
「え?」
「好きな食べ物」
「えーと…こ、金平糖…」
「他には?」
「ちょ、これーと…?」
「ふはっ!菓子しか出てこねぇの?流石だな」
突然の話題転換に、戸惑いが酷い。真面目な顔で幾つか聞いていいかと言ったから、いつからだとか原因だとか、もっと深く踏み込んでくるのかと思っていた。ユーリのことだから、あえて聞かないでいてくれるのだろうけれど。原因を話すとなると…なんてすこし気分が沈んでいただけに、予想外すぎて思考が追いつかない。なにせ食に対して不精すぎるわたしは、さほど───というよりほとんど───「食べること」に比重を置いていない。だから衝いて出たのはやっぱり食事のメニューではなくて。くつくつと笑うユーリを後目に考える。食事、好きなもの。朝食から夕食まで思い浮かべて、思い当たるものは。
「えぇー…あ、」
「ん?」
「おむすび」
「…は?」
「ユーリのおむすびが好き」
「……お前な…」
「違うの。適当に言ってるとか、思い付かないとかじゃなくて、」
呆れたように膝の上で頬杖をつくユーリに、慌てて首を振って否定を示した。ユーリの作るお料理はなんでも美味しいし、ほかの誰が作ったものより好き。そんな中でのこの選択は、ただ思い付かないとか何となくだとかそういうことではなくて。
「だってね、わたしの為に作られたものを食べることってなかったの」
これまで生きてきて、それはもちろんたくさん食事をしてきた。いくら不精とはいえ食べないと死んでしまうし、お腹がすかないわけじゃない。だけどもそれは、わたしに提供されたもの、わたしのお腹を満たす為のものではあったけれど、”わたしを思って作られたもの“ではなかった。
「ユーリがいちばん初めに用意してくれた食事、あのおむすび。わざわざ握ってくれたでしょう?」
本当なら器に盛れば良いだけのそれを、わたしが食べやすいようにとわざわざ握ってくれたことがとても嬉しかった。必ずしも要るわけではないその工程を、“わたしの為に”してくれたことがくすぐったくて、面映ゆい気持ちで飲み込んだのをよく覚えている。
「だからかなぁ。どんなおむすびを食べても、ユーリが作ってくれたやつがいいなぁって。おむすびだけは、絶対にそう思うの」
「ふぅん…。金平糖にチョコレートにおむすび、ね」
ふ、と笑ったその吐息がすこし甘く聴こえたのは、彼がわたしを見るその顔が今まででいちばん、穏やかで、優しかったから。
「……ははっ、かわい」
その声音に、どうしてかぶわりと頬があつくなる。否、どうしても何も、その声に込められた熱のせい。それがわからないほどわたしは子どもではないし、彼もそう。見られないように俯いたけれど、たぶん彼には見えていた。彼とわたしは、きっと同じ熱を宿している。