いつか繋がる手の先に



「お前も難儀なやつだよなぁ……」
「どうしたの、急に」


唐突にしみじみと言われ、私は人をダメにすると評判のソファからちらりと彼を見上げた。
私の隣で頬杖をついている彼は至近距離から私をじっと見つめている。
暫くの間同じように見つめ返していた私だったがやがてそっと目を閉じた。
そうして私の唇に温かな感触が、


「いやいや、無茶言うなって」
「そこは根性でなんとか」
「根性論でどうにかなる問題だったらもっと早くやってる」
「そりゃそうだ」


触れなかった。
ちぇ、と口を尖らせる私に目の前にいる彼は呆れたような表情を浮かべている。
しかしその耳がほんのりと色づいていたのを私は見逃さなかった。
私の想い人がこんなにも可愛い。
仮にも年上だろう男性を相手にそんなことを考えるなんておかしな話だがこれは仕方がない。
自分の体勢で自在に形を変えるクッションに思い切り体重をかけて寝そべりながら、ぼんやりと隣にいる彼を眺める。
年上で、黒髪。
猫を思わせるような目に整えられた髭。
整っているものの愛嬌があり、くるくると変わる表情のせいか近寄りがたさは薄い。
昔はさぞモテただろうなぁ、と思わず口に出せばきょとんと目を丸くされる。


「いや?どちらかといえば相棒の方がモテたから俺はそうでもなかったぞ?」
「うっそだぁ……それって絶対にお兄さんが気づいてなかっただけってパターンだよ……」


そしておそらく彼を好きになる女性は軽い気持ちからではなく、本気で好きになってしまう女性が多そうだ。
想像したら胸が痛んだが彼の年齢から考えても恋愛の一つや二つしてきているだろう。
表情に出ないようにと心がけていたけれど、観察眼に優れている彼の前では取り繕うことが出来ていなかったらしく私の様子を見て苦笑を零す。


「ねえ、お兄さん」
「なんだ?」
「好きだよ、すっごく」
「……お前な、それを俺に言ってもどうにもできないっていつも言ってるだろ?」
「手も出せないし?」
「そうそう、って何を言わせるんだ……この体じゃ無理だってことだよ」


そう言いながらすっと私の頬に彼の手が伸ばされて、触れることなくすり抜けていった。
そうなることがわかっていながらもつい彼の手に頬を摺り寄せようとしてしまう。
私のその行動に、触れることはかなわなかったにも関わらず彼がほんの少しくすぐったそうに口元を緩める姿が見たくてつい。


「気にすることないのに。ちょっと人よりも透明感があるだけじゃん」
「透明感、というより実際に半透明なんだけどな」
「別に生きてようが死んでようがお兄さんであれば大歓迎だよ?私」


だからいい加減告白を受け入れてくれないかなー。
彼を見上げながら両手を広げてハグ待ちの体勢をとる私に、彼は頭を抱えてしまった。
自分の頭を抱えたその手を私の背中に回してくれるだけでいいのに、頑固な人だ。


昔から人の目には見えない類のものが見えた私が好きになったのは、雨の日の夕暮れ時道の片隅で所在なさげに佇んでいた彼だった。
自分が死んでいるということは理解できている様子だったがここがどこだかわからず、また天国にも地獄にも行けずにじわじわと『よくないもの』に変化しつつあるのがわかる。
今までにも『よくないもの』に追いかけまわされたり怖い目にあったことも一度や二度ではなかったのに、今この瞬間を逃せばもう会えない気がした私は思い返しても羞恥で顔が赤くなるほどの勢いで彼に詰め寄って言い放ったのだ。

『好きです、一目惚れなんです。だから私と一緒に来て下さい』

半ば叫ぶように口走ったその言葉に、陰鬱とした表情を浮かべていた彼は何が起きたのかわからないといった様子で目を瞬かせる。
まさか自分の姿が見える人間がいるだなんて思ってもみなかったらしい彼が呆然としている今がチャンスだとばかりに、思いつく限りの言葉で彼を口説き落とすべくあれこれ話しかけ続けた。暫くそうしていたけれど近所の人たちが誰もいないところで一人で話している(ように見える)私を遠巻きからひそひそし出したことに気づいたお兄さんが場所を変えようと言ってくれて。
どさくさに紛れる形で『なら私の家に』とまんまと持ち帰ったというのが私たちの出会いだ。

毎日毎日、来る日も来る日も好きだの愛してるだの言い続ける私に、初めのうちは幽霊相手に何を言っているんだと呆れたように返していた彼だったが最近にでは何かを耐えるような苦笑を返してくるようになった。
彼なりに色々と思うところもあれば葛藤するところもあるだろうけれど、それでも私はこのスタイルを貫く所存である。
そもそも別に彼は地縛霊というわけでも私の背後霊というわけでもない。
行こうと思えばどこにでも行けるし、日頃私のまわりをついて歩く義務だってない。
それでも私の側にいてくれるということは少なからず私を嫌っているわけではないのだろう。


「せめて俺が生きてたらまた話は別なんだろうが……」
「そこで私を殺して自分と同じ幽霊にしちゃえば万事解決、って考えないから私につけこまれるんだと思うよ」
「俺が?お前を?するわけないだろ」
「……お兄さんさ、ほんともう諦めて私に落ちてくれない?」


私の言葉に返事を返すことはせず、彼はただ曖昧に笑うだけだった。
まあでも良いことを聞いた。
彼が生きていたら話は別だったということは脈がないわけじゃない。
そして彼は私のこの気持ちが一過性のものだと思っているのだろう。
後々幽霊ではないちゃんとした男性が私の前に現れて、私の気持ちが薄れていくものだと。

自分でも難しい恋をしているという自覚はある。
けれど彼は知らないのだ。
そもそも私が彼と会うよりもずっと前から、彼のことが好きだったということを。
私の部屋には漫画もテレビもないから彼が知ることはこれからもきっとないだろう。
自分が名探偵コナンという漫画に出てくるキャラクターで、彼が出てきたその瞬間から恋に落ちていただなんて。
紙の中の存在が幽霊とはいえ目の前に現れた。
三次元が二次元になったというだけでもありがたい話じゃないか。
幽霊になってからの逆トリップ、だなんて新しいなと呑気に考えながら私はにんまりと目を細めて笑ってみせる。
猫の様な目をした彼よりも、きっと今の私の方がずっとそれらしい顔をしているに違いない。


「なんとなくこのままの関係で終わる気がしないんだよねぇ」
「……今の俺ではお前の気持ちには」
「ああ、うん。『今の俺では』ね。その言葉忘れないから」
「は……?」


二度あることは三度ある、ってよく言うじゃないか。

幽霊になってからの逆トリップなんて珍しい現象があるのなら。
二人そろって逆行トリップなんてことも起こり得るのでは?なんて不思議な確信があった。
そしてきっとその日は遠くないだろうという自信も。

そんなこと知る由もない彼は私の言葉に怪訝そうにしているが、今はせいぜい私の愛の言葉に慣れてしまえばいい。
記憶によーく焼き付けてその時がきたら探し出してくれるように。
触れることが出来ないというもどかしさを十分に実感した彼が、ふと気づいたら見知った場所で逆行していて毎日のように愛を囁いていた私が隣にいないとなれば喪失感もひとしおだろう。
まあ私も彼の姿が側にないという状況になるわけだが、出来るだけ我慢しよう。
私は目的の為に必要な我慢は甘んじて受け入れるつもりだ。

まあでも、私がそんなことを企んでいるだとかありえない現象が起きる確信があるだとかそんなことは。


「まだ秘密の話だよ」




余談だが私の予想通り逆行トリップを果たした結果、私の予想よりもはるかに速いスピードで彼が私を見つけ出しぎゅうぎゅうに抱きしめながら今までの反動のように私が注いだ分の愛情を返してくれるようになったり。
逆行したせいで思いのほか年の差が開いていた結果漫画の中でよく見かけた褐色肌の男性がロリコンを見る目で彼を凝視していたりといった事件が起こるのはまた別のお話。



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