アルコールの臭いが鼻につく。葉巻の臭いもわたしは生理的に受け入れたくないほど。だけどこれは仕事、仕方ないと割り切って笑顔を繕った。
お尻を撫でる手に気づかない振りをしながら、首に手を回しキスを請う。ねぇ、と甘ったるい声を出しながら慎重に情報を聞き取ってゆく。
平常心を保ち任務を全うしろ。隊長がわたしに言うのはいつもそれだけだ。
脂ぎった口唇に内心嫌々ながら口づけた瞬間、普通とは違う、じとりと蛇のように身体に纏わり付く、殺意の篭った何とも言えない視線を感じた。
すべてを遮断していた両目。仕方なく目を開けてその視線を探す。
「――ッ」
わたしの驚いた声は親父の口唇に呑まれる。睨むような視線の持ち主を理解し心が揺れた。
「んん?どうしたのかな?」
「い、いえ。…少し、貴方さまの口唇に酔ってしまったみたいです」
わたしの異変を感じたのか、ターゲットが口唇を離して問い掛ける。
自分でも身の毛もよ立つような言葉を返し、あの視線から目を反らした。
「そうか、そうかね。」
視線の持ち主は、良く見知っているイヴァンだった。わたしの仕事ぶりを見られたくなかったからのもあり、だから動揺してしまったのだろう。
平常心を保とうとするのに、イヴァンの舐めるような視線がわたしを乱して止まない。
酒場は薄暗いけれどイヴァンの姿を認識してしまってからは、イヴァンが明確に見えてきてしまって集中できなくなった。
「そろそろ、ホテルにでも行きませんか?」
わたしはどうしようもない焦りを感じていた。イヴァンに見られた罪悪感なのか分からない。なにが原因なのか考えたくもなかった。
ターゲットは酒を煽らせた甲斐があり、大分酔っている。鼻の下を伸ばしてわたしの“歩いて”という提案にも賛成した。
暗い夜道を歩きながら、肩に腕を回され密着させられる。口元が引き攣りそうになり、にっこりと笑みを造った。
暗がりの細い道に入ったところで、わたしは肩に触れていた親父の手をたたき落とす。
事情を理解できていない親父にまずは鳩尾に拳を入れ、汚い涎を垂らしながら地面にうずくまる物体に、ポケットナイフという安易な凶器を翳して無常にもそれを振り下ろした。
返り血はないこと二度確認して、直ぐに店に戻る。
珍しく息が乱れていたのだが、酒場の隅の一角の場所にはイヴァンの姿はもう無かった。
隊長に報告を済ませ、カポが用意してくれた部屋に戻る。
そこにはつい先ほど、顔を合わせたイヴァンがベッドの縁に座っていた。
わたしは何も喋らず、否声をかけることもできず、クローゼットに向き合う。肩紐を外し、胸元が開いたドレスを床に捨てた。わたしは下着姿のままパンツスーツを探しているところだった。
「お前、よぅ。…いつもそんな仕事してたのか」
「そうよ、知らなかったの?」
背中からイヴァンの声がかかった。わたしは背を向けたまま、軽蔑した?と問えばイヴァンは押し黙る。その様子にわたしは自嘲を含んだ笑みが零れた。
ベッドが軋み、イヴァンが近づいてくる気配がした。そしてぴったりと背後にいるイヴァンに、わたしは固まったまま動けなくなった。
「おい、こっち向け」
「っ、…ン」
イヴァンの命令口調に怖ず怖ずと顔を向ければ、性急に口唇同士がぶつかり合った。
ガチと嫌な音で切れた口唇は甘く痺れてゆく。頭は押さえ付けられてどこにも逃げられず、イヴァンの舌の侵入を許してしまった。
わたしの腕は必然的にイヴァンの首に回し、先ほどの嫌なことを忘れさせてくれるような気がしてうっとりと両目を閉じた。
もういっそこのまま死ねたらどんなに幸せなことかと思う。
激しくわたしを求めてくれるイヴァンが、やはりどうしても愛おしいのだ。
酸欠で頭が朦朧としてきたわたしの頃合いを見計らったのかどうかは分からないが、いましがた出来た口唇の傷を舐めてイヴァンはわたしを解放した。
わたしは同じように息を乱しているイヴァンを見上げた。わたしのグロスがイヴァンの口唇からはみ出て照り光っている。とても淫靡な光景に胸が高鳴り続けた。
「fuck…ムカつく!お前にそんな仕事を与えるジュリオにもムカつくし、仕事を受けるお前にもだ」
イヴァンの腕がわたしの腰に回る。抱きしめられたその体勢のまま、イヴァンの低音が耳を擽った。
「お前を、俺以外に触れられんのが我慢できねぇ。相手のヤローを殺したいくらいだ」
「イヴァン」
「仕方ねぇってことは分かってる」
ハァと息をついて、イヴァンはわたしの瞳を覗き込みながら真剣な表情で言った。
「仕事以外、お前の時間は全て俺のもんだ」
分かったな?とイヴァンに圧されるように頷いた。
「絶対ぇ離さねぇからな」と呟くイヴァンの頬に手を滑らせてわたしは口唇をそっと合わせた。雪の溶けるような優しいキスにくらくらと眩暈がする。
わたしは背中のホックが外れる音を、どこか他人事のように聞いていた。
110214