幼い頃からは名前はオレの姉のような存在だった。優しく、時に厳しくしてくれた。暖かく包み込むような存在で。身近ではあるが、自身が年を取るごとに、どこか遠い人のように感じていた。
名前の横顔を度々見ていたが、どこか虚を見ているような水晶玉のように透き通った瞳は、なんだか恐怖を覚えたものだ。

「ノクティス様」
頭上より、玉を転がすように響く声。しなやかな木材で出来た、上品な櫛でゆっくりと髪をとかしてもらう行為も、今日で終わりなのだろうか。出立前の身だしなみと、いつもの鏡面台に座りながら俺は名前に身を委ねていた。

「オルティシエまでの道中、気をつけてくださいね」
「あぁ」
名前は、ところどころ頑固に跳ねているオレの髪を撫で、寂寥感を含ませた細声で紡ぐ。
そろそろ出立の時間なのに、この時間がひどく名残惜しい。

「ノクティス様は、大きく、なられましたね」
「…名前は変わらないな」
「そうでございましょう。」
鏡越しに映る名前の瞳は、水面のように揺れていた。
物心ついた頃から、名前の姿は"こう"だった。幼い頃に唯一聞いたことがあった。名前は老いが通常の人より遅いのだと。それはあまりにも変化が乏しく、緩やかに変わるものを見つけることが難しい。

「オレは、アンタの身長を越した」
「えぇ。」
「この腕を伸ばせば、名前を抱きしめることだってできるのに―」

「ノクティス様、」
名前に言葉を遮られ、ふと意識が戻る。それ以上は口に出して言ってはいけないような気がした。掴まえられる存在ではないと何処かでわかっていたのだ。もしかしたらルーナとは違う憧れのような恋におちていたのかもしれない。

「いや、なんでもないんだ。忘れてくれ。名前…ありがとう」
名前のくちびるは柔らかに弧を描く。
装飾の施されたドアを開いて廊下に出ると、自然と背筋が伸びる思いだった。
オルティシエに行けば、ようやく数十年ぶりにルーナに再開できる。そして、結婚するのだ。たとえそれが政略的に、であっても。

ルシスに戻れば、名前には会おうと思えばまた会えるのだから、こんなにも胸が締め付けられるような気持ちにならなくていいのだと自分を納得させる。
オレは王の間へと進むべく、足を踏み出した。

170108