戯曲的逃避行



 面会は案外簡単に許された。どうせ、と思って部屋に入ると、彼の両脇に二人、私が座るよう用意された椅子の両脇に二人、警備員がいる。部屋の隅には記録係まで。予想通り、と思いつつもその重い空気に顔をしかめながら、私はその簡素なパイプ椅子に座る。
「…何故来たんですか」
ガラス一枚隔てられた向こうに、彼はいた。ひどく、窶れた顔。
「嫌味の一つや二つ、言ってもバチは当たらないと思いまして」
にっこり返す。
 「全く、悪を名乗るのなら自分の痕跡くらい消せなくてどうします」
私の所にまで警察が来たんですよ、と続ければ、彼は項垂れる。
「お前を隠し通した、つもりだったのですが」
「残念でしたね。時間からして、貴方の顔が割れてから比較的短時間で私に辿り着いたと思いますよ?」
今日はシチューにしよう、なんて考えながら買い物に行って、帰って来たら家の前で待っているのは警察で。期待でもしているのか、私には未だに警察の監視が付いている。向こうはバレないようにやっているつもりだろうけど。
「私の平穏な日々を返してください」
「それは、無理ですね」
時間が経ったからなのか、いつもの彼が戻ってきたように思える。
「ロケット団の最高幹部に愛された女に、平穏な日々などあるとお思いで?」
にこり、と笑うその表情に毒気はないものの、舌の上に乗った毒に気付かない私ではない。もう長い付き合いになるのだ、それくらい。
「…そうですね、私、貴方に愛されていたんですよね」
「今更何を言いますか」
「いえ、それがどれだけ不幸なことなのかと思いまして」
勿論、不幸だなんて思っていない。彼と過ごした長い時間は、とても幸せだった。…そして、これからも、それを他人に奪わせるようなことはしない。
「酷いですねぇ…仮にも恋人が檻の中にいるのですから、もう少し気を遣ってくれても」
「自業自得でしょう、そんなの。それに、今生の別れでもないのに、どうして気を遣わなくてはならないんです」
眉間に皺を寄せて問えば、返ってくるのは驚いた表情。
「また、来てくれるんですか」
「貴方、私をどれだけ非情な人間だと思っているんですか」
「いえ…」
少し彼は言い淀んで、私を見つめた。上目、遣い。
「ただ、私がこんな人間であると、隠していましたから…」
愛想を尽かされるのかと。寂しげに小さく言った言葉に、私は呆れるしかできない。
「それに、昔、警察をやっていたと聞いていましたからね」
言った覚えはないが、彼のことだ、勝手に調べたのだろう。全く、プライバシーもくそもない。
「それでも貴方は私を愛してくれたのでしょう?」
「ええ、過去がどうであろうと、好きになったのは現時点のお前ですからね」
双方甘い言葉を放っているにもかかわらず、そこの空気は冷たいまま。
 どのくらいの時間をそこで過ごしたのかは分からない。言いたかった文句も、冷たい愛の言葉も尽きた私は立ち上がった。
「また、来ますよ」
「楽しみに待っています、イヅミ」



 留置所の警報がけたたましく悲鳴を上げたのは、その日の夜のことだった。
 警備員があたふたと走り回っている。どうかしたのだろうか、そう思いながらも、アポロは読んでいる本から顔を上げなかった。
「西棟に侵入者が…」
「西棟機能停止だそうです!」
「騒ぐな!!」
警備員たちの声で何が起こっているかは何となく分かる。ここは東棟のはずだから、ごちゃごちゃとは考えなくても良いだろう。…しかし、警察機関に侵入とは、なかなかだと思う。こんな状態でなかったら、是非ともロケット団に勧誘したい。そんな風に考えていると、突然電気が落ちた。
「何だ! 停電!?」
「くそ、電気がやられた!」
非常灯のぼんやりとした光が辛うじて届く。これくらい光があれば、まだ本が読める。本に意識を戻そうとすると、
「!?」
建物が、揺れた。
 「西棟で、爆発が…!」
「増援願います!」
「ほら、お前ら行くぞ!!」
ばたばたと慌ただしい音がして、沈黙がやって来る。警備員たちは残らず西棟へ向かったらしい。会話を聞く限り、さっきの揺れは西棟の爆発だったようだ。侵入者はとんでもないことをする。はぁ、と一息吐いて本に視線を戻した時、カコ、と頭上で音がした。アポロは本を置く。
「何なんですか一体…」
音の方をじっと見つめていると、天井の隅が四角く開いた。あんな所から屋根裏に出られたのか、と軽く感心する。なかなか上手く隠してあるため、すぐに気付くことは出来なかった。続いて顔を出した侵入者に、目を見開く。
「…イヅミ」
「迎えに来ましたよ、王子様」
悪戯っぽく笑う彼女は紛れもないアポロの恋人で。
「一体、何が…?」
「早くしてください。システムが復旧してしまいますよ」
聞きたいことは山ほどあったけれど、今はそれどころではないと一蹴される。とりあえず、椅子やらベッドやらを積み上げ、屋根裏に這い登った。
「予定より早く動けてますね、上出来です」
にやにやと笑う彼女は、今まで見たことのないもの。
「…全て終わったら、説明を要求しても?」
「要求しなくても、話して差し上げますよ」
洗いざらい全部、と耳元で囁かれる。
「さて、行きましょうか」
行き先を告げられずに、手を引かれるままだけれど。こういうのも悪くないと、アポロは大人しく従った。
 イヅミの手際は驚くほど良かった。まるで、芸術作品のような犯罪。数十分後には近くの森を抜け、もう追っ手のいない所まで来てしまっていた。
「休憩、しましょうか」
少しだけ上がっている息を落ち着けるように、イヅミが笑った。



 「何から話しましょうか」
楽しそうにそう言うイヅミをアポロは見つめる。
「では、何故このようなことが出来るのか、から…」
 「アポロさん、貴方、私の退職理由も知っていますよね?」
「…何故です」
「前に、犬ポケモンは嫌いですか≠チて聞いてきたじゃないですか」
さり気なく、さり気なく聞いたつもりだった。その後自分の手持ちの話に移して、不自然さを失くしたはずだったのに。
「…ガーディにとことん嫌われていた、と」
調べ上げた彼女の退職理由は、とても不思議なものだった。どこへ行ってもガーディに嫌われ、それが業務に差し支えるレベルなので、依願退職、と。こんなあほらしい退職理由があっていいのかと、最初に見た時は思ったものだ。疑いもしたが、退職理由を追及するなんて真似はしたくなかった。
「事実なんですけどね、こうして聞くとやっぱり笑えますね」
ふふ、と唇を歪めるイヅミを、アポロは見やる。
「警察ではガーディを支給してくれるんですが、どの子とも合わなくて、最初は支給なしで頑張ったんですよ? でも、次第に他の方のガーディも私を敵視するようになって、仕方なく」
「そうなんですか」
そう一種類のポケモンに嫌われるなんてこと、あるのだろうか。
「私が悪いんでしょうけどね」
笑って続けるイヅミ。
「支給のガーディですから、警察で訓練を受けてるんですよね。だから、きっと、分かったんだと思います」
視線が戻ってくる。吸い込まれそうな光を宿している瞳。同じ、いろ。
「私が、悪、だと」
 自分が劣悪な環境で育っていると知ったのは、もう随分大きくなってからだった。食べるものがないから盗る、着るものがないから盗む、本が読みたいから奪う。生きるための当たり前が否定されたのは、いつだったか。親が死んで、施設に入れられて、一通りの一般教養を身につけた私は、気付いたらそこから逃げ出していた。不幸だったかと問われればそうではない。ただ、自分の生きる世界はこっちなのだと、思っていたから逃げ出したのだろう。
「それからはそれなりに賢く生きたつもりです。お金を稼げばそれなりの生活が出来ると分かりましたし」
前と違う、でも今まで通りの生活。それなりに真っ当に生きていると感じた私は、警察に入ろうと思った。
理由は簡単。犯罪者の思考回路が分かる私なら、手柄を立てるのも容易いと考えたからだ。それは間違っていなかった。誤算があったとしたら、ガーディのことだけ。仕方なく私は退職して、前の暮らしに戻った。悪いことだろうと良いことだろうと、働くのはそれなりに楽しいと、
そう分かっただけで十分だった。
「それからは在宅の仕事を中心にやってきましたね、良いものも悪いものも」
貴方と会った時も仕事中だったんですよ、と言えば、困ったような、呆れたような表情を向けられた。
 「さて、これで終わりです。そろそろ行きましょうか」
「もう一つ、聞いても良いですか」
立ち上がったイヅミを、アポロが制す。
「お前はこの先、どうするのですか」
「この先、と言いますと?」
「私を助けて、その後です」
ああ、と頷くイヅミ。
「ちゃんと考えてありますよ」
笑って手を引く。
「ほら、行きましょう?」
腰のモンスターボールからオオスバメを出して、イヅミは急かす。アポロが曖昧に頷くと、二人でその背に乗った。
「このまま海へ出ます」
「行き先はもう決まっているのですか?」
風の中で身を寄せながら会話を続ける。先程の質問ははぐらかされたままだけれど、アポロは聞いた。
「とりあえずはシダケタウンに」
「ホウエンですか」
「あそこには私の隠れ家があるんですよ」
楽しそうに笑って、
「静かな場所です。だから、そこで、全員で今後どうするか、決めましょう?」
「………全員?」
聞き返す。もしかして、と淡い期待が過ぎる。
「ええ、全員です。アテナさん、ラムダさん、ランスくん」
数日しか離れていないはずなのに、非道く懐かしい。
「そうですか、三人とも、無事で…」
「どこかの馬鹿上司がのこのこ捕まったものですから。それに乗じて一旦は逃げることに決めたそうですよ」
元々部下たちを逃がすために囮になったのだ。これで逃げてくれなくては困る。しかし、気になることが。
「…何故、お前は彼奴らの名前を知っているのです?」
「そりゃあ、会ったからです」
「いつ?」
「貴方が囮になっている間に、ですかね」
まとめると、こうだ。アポロが警察の目を引いている隙に脱出した三人は、ランスの提案でイヅミを訪ねた。大まかな事情を把握したイヅミは三人に先に行くように告げ、こうしてアポロを助けに来たのだと。
 「全く、お前には敵いませんね」
「ふふ、ありがとうございます」
夜の闇にピジョットが溶けていく。
 ただ、二人で在れることが、幸せだと思った。





(ランスのことは前から知っていたんですか?)(はい。ちょっとした事情があって)(事情?)(それはまた今度話しますよ)


















404 / next

ブラウザバックor戻る
ALICE+