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 朝の風が動き始め、明るさが訪れる頃になまえは任務に向かう準備を始めていた。
 今回任されたのは護送任務だ。この里で店を構えたいという仕立屋の親子と荷物を無事に送り届ける。経路を見てもそれほど危険がなさそうなので、二日あれば到着する見込みだった。
 必要最低限の物をポーチに詰めて腰に着ける。なまえは飛び道具を使わないためこういう時でしか着ける機会がなかった。少し揺らして外れないことを確認した後、畳に放っていた手袋を掴んだ。
 そのまま玄関に向かおうとしたなまえだったが、マダラに予定を伝えていなかったことを思い出し寝室へと踵を返す。昨日の内に知らせておくべきだったなと心の内で反省した。
 眠っていたマダラはなまえの呼ぶ声にうっすらと瞼を開く。

「……なんだ……」
「これから任務に行ってきます。伝えるのを忘れてて……明日までかかる予定です」
「わかった……」

 マダラは煩わしそうに体の向きを変えた後、「怪我するなよ」と寝言のように零した。それを聞いたなまえは「はい」と返して今度こそ家を出た。


 まだ朝といえる時間に現地に到着したなまえは、仕立屋の店を探して宿場町を歩いていた。
 積み荷の載った荷車を見つけ、そのそばにある平屋から出てきた年配の女に声をかける。どうやら今回の依頼者で間違いないようだ。なまえは身分を明かして里から来た旨を伝えた。

「ごめんなさいね。ちょっと荷物が多くなっちゃって」
「いえ。私も手伝います」

 彼女の息子らしい男が平屋と荷車を行き来しており、なまえが手を貸すと爽やかな笑顔で感謝をした。
 荷を積み終え、名残惜しむように平屋を振り返る二人と共に町を離れる。なまえは荷車を押すのを助けながら、この調子だと到着は予定通りになりそうだと考えていた。

「お天気に恵まれて良かったわ」
「母さん、疲れたらすぐに言ってくれよ」
「ええ、ありがとう。ねえなまえさん、あなたは忍……なのよね? 忍って話しかけてもいいのかしら?」
「はい、大丈夫ですよ」

 おしゃべりが好きならしい女はなまえの横に並んで優しい笑みを浮かべる。それから里の様子や服装の傾向を尋ね、なまえの返答の一つ一つに表情をころころと変えてみせた。
 分かれ道に差し掛かり、方向を指示するためなまえが口を開きかけた瞬間、左方の木々の間から黒い影が抜けてきた。クナイだ。
 なまえの目はそれをしっかり捉えており、軌道上にあった女の体を素早く引き寄せた。敵の気配を辿りながら、すぐに息子をそばに呼び荷車の影に身を潜めさせる。
 山賊の類だろう。荷を攫って金に換える腹積りなのは容易に察しが付いた。
 なまえは腰の白鞘を抜いて相手が動くのを待つ。上方と正面から一人ずつ飛び出してきた。――上は陽動だ。
 上方に雷遁を流した短刀を投げ、正面から迫るクナイの突きを躱しその腕を曲げた。呻き声を上げる顔を殴り飛ばすと、短刀を弾いた際に肩まで痺れを負ったらしい残りの方へと詰め寄る。

「その背中の紋……うちは一族か……!」

 こちらは目敏くなまえの背を見ていたようで、忌々しそうに舌を打ち鳴らした後、林の中へ駆け出した。元より殺す必要はないと判断していたなまえはそれを見届け、気を失っている方はこのまま置いておくことにした。
 短刀を回収し、積み荷と親子の無事を確かめて移動を再開する。

「なまえさん強いのねえ。びっくりしたわ」
「お二人に怪我がなくてよかったです」

 相手が手練れではなかったから二人を巻き込まずに済んだのだ。大方忍ではない人間を狙って事を起こしているのだろうが、なまえの存在は確認できていたはずだ。女だからと甘く見て観察を怠ったとすれば恐るべき誤算である。

 なまえは体術や武器に雷遁を織り交ぜて戦うのを得意としている。直感的に扱える雷遁は、状況によって臨機応変に動くなまえと相性が良い。火遁は陽動や目眩ましに使うのがほとんどで、攻撃の手段として用いることは滅多になかった。
 戦闘すること自体が減ってきた近頃では写輪眼の出番もなく、情報収集で幻術をかける程度となっている。
 だが、戦いがなくなるのは良いことだとなまえは思う。皆同じ人間なのだから共存できるならするべきだ。無駄に命を散らす必要などない。だからこそ平和への第一歩となったあの日の光景をなまえは心に強く刻んだ。うちはと千手が手を取り合った日を、忘れてはならないと思った。
 この親子もこのような遠方から里へ移ることを望んでくれたのだ。何としても無事に送り届けなくてはと、荷車を支える手に力を込めた。


「この辺りで休憩を取りましょう」

 なまえは小川の近くで丁度いい場所を見つけて提案する。太陽も天辺まで昇っており、昼の頃合いだった。
 女は風呂敷を広げておにぎりを取り出していた。なまえは川のそばに膝をつき、手袋を外して水の流れを遮ってみる。ひんやりとして頭が冴えるようだった。息子はなまえの隣で顔を洗っていた。秋の日差しといえども荷車を押しながらでは流石に汗もかく。
 周辺に気を配りながら、木陰に腰かける二人を見守っているとおにぎりを一つ勧められた。

「仕事中は食べないんですよ」
「あら……お腹に何か入れておかないと、倒れちゃうんじゃない?」
「お気持ちだけで十分です。ありがとうございます」
「そうかしら……」

 女は残念そうにしたが、外で出される物に警戒するのは普通の事だ。
 食事が済むのを待ち、少し時間を置いてなまえは口を開いた。

「今夜の事ですが、このペースだと宿に着くのは遅い時間になりそうです。野宿でも私がお守りするので心配はいりませんが、どうしますか?」
「私はどちらでもいいけど……」
「いや、宿を取ろう。母さんに体を壊されちゃかなわない」

 きっぱりと言った息子が荷車の空いたスペースに女を載せ、幾分か速度の上がった足で出発した。

「それにしてもなまえさんって、若いのにしっかりしてるのね。感心するわ」
「同じくらいの人は皆こうですよ」
「うちの息子なんてもういい歳なのに……そうだ。これも何かの縁だし、どうかしらなまえさん」
「えっ? ……すみません、私は結婚してますので」

 女の言わんとしている事を察知したなまえは、期待を持たせないようはっきりと事実を告げる。すると女は目を真ん丸に変えて「まあ」と驚愕を露にした。

「それは失礼しちゃったわ。そうよね。こんな素敵な子、皆放っておかないわよね」
「いえ、そんなことは……」
「ね、いろいろ聞いてもいい? 馴れ初めはどうだったの?」

 生き生きとして質問を投げかける女を前に尻込みするなまえ。話せるほどの事も持ち合わせてないが、少しならいいかなと付き合うことにした。

「知り合いの紹介です……多分」
「多分?」
「向こうは私を知っている様子だったので……」
「旦那さんのほうが惚れちゃったのね。羨ましいわ」

 なまえは首を傾げた。マダラは人に惚れるような男だろうか。そもそも柱間が間に入っている時点で、柱間がマダラに働きかけたと考えるほうが妥当であるように思う。しかし憶測に過ぎない事を語るのは止めるべきだと判断して口を噤んだ。

「じゃあ、決め手は何だったのかしら?」
「決め手ですか? うーん……」
「何かピンと来るものがあったから、受け入れたんじゃないの?」
「…………瞳を見たら、なんとなく……」
「まあ。きっと優しい目をしているのね」

 女は上品に笑い、慈愛に満ちた表情を浮かべる。

「旦那さんはどんな人なの? 結婚後も外に働きに出るのを許してくれるなんて、そうそうないでしょう」
「いえ、まだ五日目だから何とも……」
「えっ? 五日目って新婚さんじゃない!」

 どうして先に言わないの、と騒ぐ女に戸惑いつつなまえは謝罪した。
 新婚。確かに世間から見るとそうなるのだが、なまえもマダラも新たな環境に目を輝かせるような無邪気さは持ち合わせていない。

「今が一番楽しい時期ね。大丈夫……たくさん会話をして、お互いを見つめ合っていけば、いつの間にか知らない事よりも知ってる事のほうがいっぱいになってるはずよ」
「……会話、ですか……」
「お喋りは苦手かしら? でも、私とこんなに話せているじゃない」
「目の前の事以外に、何を話せばいいかわからなくて」

 なまえが悩むとすればそこだった。やはり生活を共にする上で会話によるコミュニケーションは外せない。だが、マダラが何を話してどんな話題を好むのかなまえはわからない。

「話題なんて何でもいいのよ。歩きすぎて足が疲れたとか、今夜は冷えるからお風呂が気持ち良さそうとか……今私がそう思ってるんだけどね。相手の求める事ばかり話すのが会話って訳じゃないわ」
「なるほど……」
「何かに対してどう感じたって伝えるだけでも、自分を知ってもらうための一つの話題になるのよ」

 なまえは深く納得がいった。それは自分が求めていた答えのような気がした。

「それに、なまえさんの旦那さんでしょう? なまえさんの話す事なら何だって聞いてくれるわよ」

 優しく微笑む女を見てなまえは頷く。彼女の言葉は不思議とすんなり受け入れられた。「今すぐにでも旦那さんの元へ帰ってほしいくらいだわ」と女が言うので、流石にそれはできないと断ると残念そうに眉尻を下げた。

 その後予定よりも早く宿場町に着き、一番に宿を取った。早い時間だったので空きは十分にあったようだ。
 荷車を預り所に頼み、町を散策する親子に付き添う。あれほど歩き続けたのに平気なのかとなまえは少し心配になった。
 夕食の誘いは例の如く断ったが風呂は付き合ってもらうと聞かなかった。なまえは女と共に温泉に入った後、部屋の前で解散を告げる。

「隣の部屋にいますので、何かあれば遠慮なく知らせてください」
「ええ、わかったわ。おやすみなさい」

 自身が借りた部屋に戻り、長いようで短い一日が、まだ終わらなかった。
 山賊が再び荷を狙う可能性がないとは言い切れない。この宿を選んだのも預り所を見張るためだ。思った通り、ここからだとよく見える。窓辺に腰を下ろすと、なまえの長い夜が始まった。


 翌朝、各々支度を整えて二日目の移動を開始した。幸いなことに夜の来訪者はなく、静かに夜明けを迎えられた。女はあらかじめ荷車に載せ、休憩を挟みつつひたすら歩く。雑談も交わしながら歩みを進めていくとあっという間に里に到着した。
 入里管理の担当者に二人の事を伝えて許可が下りるのを待つ。親子は辺りをきょろきょろと見回して感嘆の声を漏らしていた。
 積み荷のチェックも受けてようやく任務は完了したが、なまえはそのまま二人の家まで付き添った。

「助かったわ、なまえさん。本当にありがとう」
「ありがとうございました」
「いいえ。こちらこそ、いろいろ聞いていただいて……」
「私でよければいつでも相談に乗るからね」
「店が開いたら是非いらしてください」

 サービスしますよと息子が爽やかに笑う。
 最後に「頑張ってね」と女が肩を叩いてきたので、なまえは感謝を伝えて任務の報告に向かった。