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 トビの瞳術の神威空間。
 シスイの写輪眼を取り返しに行くところを見つかってしまい連れ戻されたなまえ。
 デイダラと行動を共にしているはずのトビがこちらへ来ることはないと思い、ダンゾウとやり合う覚悟さえも決めて里に戻ってきたのだ。突如として現れた彼にどう対応するべきか混乱を極めていた。

「何をするつもりだったのか話せ」

 腕を掴んでいたトビが手を離して静かに言う。先程から視線を合わせようとしないなまえにじっと目を向けながら。
 トビは、致命的とも言えるなまえの欠点をわかっていた。

「…………」

 なまえは口を開こうとしない。シスイの写輪眼を取り返しに来たことを話せば、結局、一族に縋っているのだということがトビにばれてしまうからだ。
 しかしなまえの考えなどトビにはわかっていた。ダンゾウの右目にシスイの写輪眼があることや右腕に埋められているもののことも当然知っている。
 頑なに話そうとしない様子からそれが目的であるらしいことは容易に察することができた。

「……なまえ」

 足場以外に何も存在しない世界にトビの声が響く。
 なまえはゆっくりと顔を上げた。
 今の声はマダラに似せたものではない。
 トビの、否、オビトの本来の声だった。

「昔はそれでよかったのかもしれないが……」

 片手で仮面を覆い、上に傾けて取り外す。
 これまでなまえにも見せることのなかった素顔が露わになった。

「オレはあいつのようにしてやることはできない。お前が何を考え、何をするつもりなのか言ってもらわなければわからない」

 仮面を外した手をゆっくりと下ろす。柱間細胞でも治りきらなかった傷の跡が今も痛々しく残っている。

「オレはお前にここまで曝け出せる。知りたいことがあるなら全て教えるつもりだ。戻ってきたお前を見た時、そう決めた」

 その言葉に嘘はない。オビト心の底からそう思っていた。
 今の自分の始まりを知っているなまえを。同じ道を歩もうとしているなまえをオビトは受け入れた。
 何故なまえが過去にあんなことを聞いたのかも今ならばわかる。うちはなまえという女がどのような人間なのか、オビトは長い時を経てようやく理解することができたのだ。

「これは私が勝手にやっていることだから……」
「オレには関係がないという訳か」

 なまえは否定せずオビトの右目を見つめた。
 口にはしないがそう思っているのは確かなようだ。オビトは溜め息を零しそうになるのを堪えた。

「……確かにダンゾウがどうなろうとオレの知ったことじゃない。だが、お前が関わるのなら話は変わってくる」

 ダンゾウの右目に移植された一つと、右腕に埋め込まれた十つの写輪眼。それが自分を含むうちは一族の生き残りを殺すためのものだということまでオビトは知っていた。
 なまえの実力がどれほどのものであったとしても、あの数の写輪眼を備えたダンゾウが相手ではどうなるかわからない。だからこそなまえがダンゾウの屋敷へ入ったと白ゼツから聞かされた時、連れ戻すためにすぐさま動いたのだ。

「オレも奴が所持しているモノは取り返さなければならないと考えていた。が……ダンゾウをやるべきなのはオレでもお前でもない。もっと相応しい奴が他にいる」
「……イタチのこと?」
「いや……サスケだ」

 予想外の答えに眉を寄せるなまえ。一族抹殺に至った事情を知らなければその反応になるのも無理はない。

「サスケがいずれ必ずダンゾウに復讐する。写輪眼を取り返すのはその時だ。辛いだろうがそれまで待て」

 なまえはじっとオビトの目を見つめていたが、やがて諦めたように視線を下げた。

「どうして……サスケが復讐するってわかるの?」

 足元に目を落としたままなまえが問う。

「イタチの決断の真相を知ればそうなるさ。近いうちにサスケにその話をすることになる。その時、お前も一緒に聞くといい」

 今から事の始まりを話すと長くなってしまう。適当な理由を作ってデイダラの元を離れてきたオビトにそこまでの余裕はなかった。
 オビトは一度深く息を吐きながら、あまり視線を合わせようとしないなまえの横顔を見つめた。
 これまで何が起ころうとも動じず顔を背けることなどなかったなまえ。今回の件をどれほど後ろめたく思っているのか嫌というほど伝わってくる。

「なまえ、お前はオレに弱さを見せまいとしているようだが……」

 言わなければわからないと口にしながら、オビトはなまえが考えていることのほとんどを見透かしていた。

「お前のそれは弱さじゃない。むしろ、うちはに対するその思いがお前を強くしているんだ。……そうだろ」

 なまえをここまで突き動かし、刃を抜かせるもの。命さえかけられるほどの存在。
 一族への執着とも言えるそれはなまえという人間の根底にあるものだった。
 そしてそれに気付いた時、マダラという男にとってなまえがどういう存在だったのかオビトは少しだけわかったような気がしたのだ。

「隠さなくていい。オレは咎めたりしない。お前はうちはなまえとしてそのままでいるべきだ」

 なまえの目を真っ直ぐに見て言う。
 仮面の内側を晒し、心の内も言葉にして伝えた。オビトがどれほど真剣に向き合おうとしているかわからぬほどなまえは愚かではない。
 オビトは再び仮面を付けた。話すべきことは話したのだ。いい加減戻らなければデイダラに不審に思われる。
 なまえは曇った顔をして考え込んでいるようだ。もうダンゾウの屋敷へ向かうことはないだろう。オビトは再度なまえの名を呼ぶ。

「お前を土の国に出す。イタチと鬼鮫がいる場所だ」
「……二人と一緒にいろってこと?」

 なまえが問う。ダンゾウの屋敷で見た時の威勢はなかった。
 オビトは少しの間を置いて答える。

「イタチは病に罹っている。先はそう長くない。今のうちに会って話をしておけ」

 なまえは目を見開いた。イタチの病のことなど知りもしなかったからだ。
 だが、知ったところで今さらどうにかできるものではない。それなのにわざわざ教えたのはなまえのためという以外になかった。
 何かの思惑の下ではなく、ただ純粋に己の血筋を大事にしているなまえ。今ここでイタチに会わせなければ後悔させることになるだろう。
 それはオビトにとって望ましいことではない。

「わかった……」

 事情を知らないなまえは次々に告げられる話を受け止めるだけで精一杯だった。頭の整理が追いついていないのはオビトの目にも明らかだったが、一から説明をしているだけの時間もないのだ。
 オビトはなまえの肩に触れ、神威空間の外に移った。
 土の国の上空も雨雲に覆われており、夜の闇にしとしとと滴を落としていた。

「北にある洞穴にイタチ達がいる。尾獣の封印が終わればここを通るはずだ」

 そう言って息を吸えば湿っぽく冷たい空気が肺に広がる。
 なまえの顔色は決していいとは言えないが、いくらか落ち着きを取り戻しているようだった。

「トビ……」

 言葉なく立ち去ろうとしたオビトをなまえが呼び止める。
 どうしてかなまえからその名で呼ばれることにオビトはいつも違和感を覚えるのであった。

「……ありがとう」

 雨音の狭間に微かに聞こえる。濁りのないその声は確かにオビトの耳に届き、胸の内側で熱となって残る。
 まるで、小さな火が灯されたように。

「……礼を言うのはまだ早い」

 だが、その光に手を伸ばすのは今ではない。オビトはなまえのためにも、自分自身のためにも気付かぬふりをした。
 後ろを向き、万華鏡写輪眼を開く。
 マダラならば、こういう時になまえを一人にしないのだろう。オビトはそんなことを思いながら再び神威空間へと戻っていった。



 一晩ほど経っただろうか。いつも木陰でそうしていたなまえにとって待ち続けることは苦ではなかった。
 イタチと会うのが最後になるかもしれないと知り、何を話すべきか悩んでいると時間が過ぎるのもあっという間だった。
 雨は相変わらず降り続いたまま。膝を抱える手に落ちてきた水滴を見つめていると、微かに人の近付いてくる気配がしてそちらを向いた。
 暁の黒い外套を纏った二人組。イタチと、その隣にいるのが鬼鮫という男だろう。
 腰を上げたなまえは彼らへ向けて歩き出す。二人からの視線を浴びながらフードを外し、およそ十年ぶりとなるその名前を口にした。

「イタチ……」

 大人になっても幼い頃の面影ははっきりと感じられる。だが、オビトの言っていた「病」のせいなのか少しやつれているようにも見えた。

「……なまえか?」

 イタチは僅かな戸惑いの後に口を開く。なまえが静かに頷くと、横にいる鬼鮫が反応を示した。

「なまえ……うちはなまえですか。こちらの方が?」

 なまえの存在については聞き及んでいたのだろう。鬼鮫は興味深そうに観察する。
 だが、その視線はすぐに外された。空を見たかと思うと「こんな時に」と呆れたように呟きながら脇道へと入っていく。
 イタチはそれを横目に見届ける。鬼鮫を呼び出す声が彼にも聞こえていたのだ。
 まるで引き離すかのように片方だけを呼んだこと。そして目の前にいるなまえ。
 この状況が偶然ではないことなどイタチにはすぐに察しがついた。

「話をしに来たの……」

 なまえが言う。年月の経過など感じさせない、あの頃を思い出させる柔らかな声音で。

「場所を変えるぞ」

 仕組まれたものだとわかってもイタチは拒絶しなかった。


 先程までいた道から少し外れた場所の木の根元でなまえとイタチは腰を下ろした。
 木々に覆われた森の中。頭上で重なった枝葉が雨除けの役割を果たす。絶え間なく降り続く雨が周囲に声が漏れるのを防いでくれる。
 同じ方向を向いて座ったまましばし沈黙していたが、やがてなまえが口を開いた。

「ずっと騙していたことを謝りたくて……」

 この時代の生まれではないこと。九尾事件の真相を知りながら黙っていたこと。何も聞かれないのをいいことに里に留まり続けたこと。
 思い返せば彼らの前では偽ってばかりだった。

「……お前とマダラに繋がりがあることを確信した時、殺すべきか悩んだ」

 イタチの言うマダラとはオビトのことだ。
 偽り続けた過去を悔やみながら今も尚それを繰り返している現実がなまえの胸を締め付ける。

「だが……シスイはお前の正体を知っていながら匿っていた。マダラが現れた時、お前はサスケを守ろうとした。オレの目から見てもお前が何かを企んでいる様子はなかった」

 なまえはうちはの人間から突き放されても集落を出ることはせず、ただ里や人々をずっと見ていた。
 そしてその目が自分にも向けられた時、イタチはそこに秘められているものに気が付いた。
 マダラは何故彼女だけを里に置いていたのか。何かを手伝わせるのでもなく、自身に歯向かうことさえも許しながら。
 イタチは次第にその答えもわかってしまった。
 恐らく、なまえの根底にあるものを知ってしまった者は同じことを思うのだろう。
 それはイタチも例外ではなかったのだ。

「なまえ、今もまだうちはを大事に思っているのか?」

 イタチは顔を向けて問う。

「うん、思ってる……。多分、それは何があっても変わらないと思う」
「……そうか」

 その答えを聞いてイタチは少しだけ安心した。

「イタチ……シスイのこと、一族のこと……何も力になれなくてごめんなさい。里と一族の問題なんて本当は私達の時代で解決しておかなければならないことなのに、皆に背負わせてしまって……」

 イタチもシスイも、彼らの両親もなまえからすればうちはの大事な子供なのだ。自分達の時代から生じていた迫害の問題を後の時代まで残し、背負わせてしまったことに責任を感じてならなかった。
 だが、今更謝ってもどうしようもないことだ。それはなまえ自身もわかっている。
 イタチは機敏にそれらを感じ取った。なまえは過去の時代でもその問題に直面していたのだということも。
 だとすればなまえはどんな気持ちでこの時代の里に住み、どんな思いで一族の人間達を見ていたのだろう。
 それらを想像するとなまえの言葉の一つ一つの重みが途端に増すようだった。
 決してその場しのぎに言っているのではない。あの時、助力を願っていれば本当に別の道を見出せていたのではないかと、そんな「もしも」を考えてしまうほどに内に秘められた思いの強さを感じた。

「オレが過去の時代にいたとしても未来を変えることはできなかっただろう。偶然このタイミングで機が訪れ、そして偶然……オレだったというだけだ」

 それは恐らく、いつの時代であろうとも、誰であろうとも、どうしようもなかったのだ。崩壊を目前にして、一族の全員を抹殺するほどの決断ができなければ。
 なまえには到底不可能なことだろう。それほど強くうちはを思っていながら、何故殺したのかと責めることさえできないなまえには。

「どうしようもない現実に直面した時、正常でいられる者はほとんどいない。その時の状況、その時の感情次第で人は簡単に判断を誤ってしまう。あの日の選択が正しかったのかオレは今でもわからない……」

 クーデターを止めるため、木ノ葉隠れの里を守るために一族を滅ぼしたこと。それはイタチの胸にも大きな傷となって残っているのだと、隣で話す横顔になまえは思った。
 そんな彼に何かをしてやるには圧倒的に時間が足りなかった。もっと早くに会って話をするべきだったのだ。
 なまえはまた、彼が傷を抱えていることにも気付かずに自分のことばかりを考えて過ごしていた。
 心の内で己の無力さを嘆く。もう何度目なのかわからぬほどに。

「なまえ……お前にとって命とは何だ?」

 不意にイタチはなまえに問う。
 今のなまえには隠さなければならないことも、それによる後ろめたさを感じることもない。
 なまえの本当の考えを聞くことができるとイタチは考えたのだ。

「命……」

 なまえはイタチから視線を外して呟いた。以前にも誰かに話したことを思い出しながら静かに口を開く。

「命は……人の思いを繋ぐもの。託された願いを繋いでいくもの……。私はそういうふうに考えてる」

 漠然とした問いにも関わらずなまえは真剣に答えようとしている。
 イタチはなまえの横顔に目をやり、続きを促した。

「イタチは、ご両親からこんなふうに生きてほしいって話をされなかった? サスケが生まれた時、イタチはどういうことを思った? 私には子供も下の兄弟もいないからわからないけど……その願いって、自分が味わった苦しみや辛い経験から生まれるものなんじゃないかな」

 それは子供の明るい未来を願うものもあれば、自らの成し得なかった悲願を託すものもある。
 なまえは家族を例に挙げたが、師匠と弟子、上司や部下といった間柄にも起こり得ることだ。
 イタチはなまえの言葉を一つ一つ落とし込んでいく。確かにそうかもしれないと内心で頷きを返しながら。

「お前も何かを託されているのか?」
「私は……ただ生き延びてほしいっていうことだけ。子供の頃はまだ里もなくて戦が絶えなかったから……」

 そうか、とイタチは零す。なまえが生まれ、過ごしてきた背景を知れば考えていることも見えてくるようだった。
 皮肉なことに、なまえは時代が変わった今も生きてしまっている。だがそれも本人が望んだものでないらしいことはなまえという人間を知ればわかることだった。
 なまえは多くの苦しみを抱えながらも多くのものを愛し、その未来を願っている。そんな彼女が時代を超えてまで何かを為そうとしているなど絶対に有り得ないことだとイタチは改めて思った。

「……幼い頃から里の大人達に命の意味を聞き、探し求めてきたが……お前の答えが最も納得のいくものだったよ」

 その安心したような柔らかい声になまえは顔を上げる。
 そこには穏やかな微笑みがあった。
 それを見た時、なまえの胸に切なさが駆け上った。これが最後だと、信じたくない事実を思い出してしまったのだ。
 
「一族と里の安寧を願うお前の思いはシスイの祖父が継ぎ、シスイに託され……そしてオレへと繋がった。オレもお前のように、後の者に何かを残せるよう努めてみるつもりだ」

 サスケのことを言っているのだろうか。なまえは一言一句も聞き逃さぬようにイタチの声を耳に刻む。

「オレよりもお前のほうが長く生きるだろう。だから見ていてくれ。オレが残すものを……あいつのこれからの生き様を。お前のその目で」

 その言葉を聞いた途端、堪えていたものが溢れ出てなまえの頬を伝った。

「泣くな、なまえ。お前はお前のやるべきことがあるんだろう。シスイとも約束したはずだ。こんなところで立ち止まっている場合じゃないぞ」
「イタチ……」
「……お前はこの世界で生きるには少し優しすぎるんだ。だからこそ……お前の愛情に触れた者はお前が何にも苛まれずに生きることを願ってしまう」

 シスイも、イタチ自身も、そしてきっとマダラもそうなのだ。
 傷付いてほしくないから守ろうとする。心配させたくないから知らせずにいようとする。
 なまえがいつも蚊帳の外に残されるのは皆のそういった思いのせいだった。

「なまえ。お前が生かされている裏にどのような思惑があったとしても……オレはお前と出会えてよかったと思う」

 これが最後になるとイタチ自身もわかっているのだ。
 なまえは涙を拭い、しっかりとイタチの顔を見て言った。

「ありがとうイタチ……」
「ああ……。そろそろ行け。鬼鮫も戻ってくる頃だろう」

 話は終えた。これ以上留まっても無為に時間が過ぎるだけだ。
 なまえは立ち上がる。

「なまえ」

 イタチが呼び止める。

「この先自分が何もできなかったとしても決して嘆くな。恐らく……見届けることこそがお前の役目なんだ」
「見届ける……?」

 なまえは首を傾げる。イタチの言っていることの意味がすぐにはわからなかった。
 その時、付近の木々から雫が数滴落ち、鬼鮫が戻ってきたことを知らせた。
 イタチはすでに目を閉じている。行けと言っているのだ。なまえは背を向けて心の内で別れを告げた。
 フードで頭を覆う。唇を噛んで次第に襲い来る悲しみに耐えた。イタチの言葉の一つ一つを忘れないよう頭の中で何度も繰り返しながら。
 やるべきことをやり遂げろとシスイは言った。
 見届けることが役目なのだとイタチは言った。
 これから先、なまえが立ち止まり後ろを振り返った時、二人の言葉は常にそこにあるのだろう。
 歩みを止めてはならない。これからどのような道を選ぼうとも、その先で何が起ころうとも前に進み続けなければならないのだ。
 数々の思いを背負いながらなまえは歩き続けていく。
 ただ一人の子供を救うために。