冬ごもり


 雪混じりの風が吹きつける中、なまえは食材の入った風呂敷を手に帰路を歩いていた。空を見上げると灰色の雲。息を吐けば白くなる。突風が吹き、小さな雪の粒が顔面に目がけてくるとなまえは思わず目をつむった。風が吹き抜けた頃にそろりと瞼を開き、風呂敷を握りなおして先程までよりも足を急がせた。
 任務で火の国の城下町へ遣いにいった後だから体は温まっている。とはいえそれほど防寒をしていないため首のあたりがいささか寒かった。今朝なまえが家を出た時には、里の空は晴れていたのだ。
 もう何度も通っている道のはずなのに家が見えてくると妙な安心感を覚えた。門を潜り、玄関に入る。できるだけ外の冷たい空気を入れないようにすばやく戸を閉じた。難を逃れたかのようにふうと息をつき、戸から手を離す。
 家の中の空気も十分に冷たい。マダラが帰る前に少しでも居間を暖めておこう。そう考えながら振り返ると、廊下のほうから襖の開く音がした。開いた隙間の低い位置からマダラが顔を覗かせる。改めて見てみると、玄関にはマダラの草履が並べてあった。どうやら先に帰っていたらしい。

「今日は早かったんですね」

 なまえは草履を脱ぎ、マダラのいる居間の前まで行った。中には、火を入れたばかりらしいストーブとその前に敷かれた座布団があった。

「寒い寒いと柱間がうるさかったからな……。本部にいるやつらに早く帰るよう言ってオレ達も帰った」
「そうだったんですね。どうりで人の気配がないと思いました」

 マダラは体勢を戻し、なまえが入れるように場所を開けた。そして、よほど寒さがこたえているのかわずかに眉を寄せながら両手を脇の下に挟む。その様子になまえは思わず苦笑を零す。

「閉めてて大丈夫ですよ」

 そう言って離れようとすると、マダラが何か言いたげな目を向けてきた。寒いんじゃないのか。暖まっていったほうがいいんじゃないか。恐らくそういったことだろう。なまえは笑みを浮かべたまま引手に手をかけた。

「今日は鍋にしようと思います」
「鍋か……」

 つぶやくマダラの眉間のしわがかすかに和らいだ。なまえはそれを見てそっと襖を閉じた。

 すっかり暖まった部屋で鍋を囲むなまえとマダラ。ようやく普段の表情に戻ったマダラになまえも笑みを零す。そして、あ、と思い出したように声を漏らした。

「そういえば、城下町ではコタツというものが流行っているそうですよ」
「コタツ?」

 聞き返すマダラに、なまえは「はい」と頷く。

「見た目は机の脚と天板に布団を挟んだだけのものですが、その中には熱を発する器具が付けられていて、足を入れると暖かいのだとか……」

 なまえは昼に見かけたばかりのものを頭に浮かべながら話す。その拙い説明でマダラも想像しようとしているのか箸を止めていた。

「こっちのほうでも流通するといいのですが……」
「……大名どもがさせんだろうな。職人を直接探してみるか……」

 なまえは何気なく話しただけだったのに、マダラはその気になっていた。

 風呂を済ませた後は寝る時間になるまでストーブをつけた居間にいた。大抵はなまえが眠たくなった頃に二人で寝室へ行く。任務で疲れたなまえが先に寝ていることはあるが、マダラが先に布団に入ることはまずなかった。
 なまえがあくびをして、読んでいた本を閉じたのがその晩の寝る合図となった。ストーブを消し、少しの間だけ窓を開けて換気をする。戸締まりと消灯をして寝室へ移ると、そのしんと冷えた空気になまえは思わず足を止める。後から来たマダラもなまえの後ろで立ち止まった。

「……今日だけ居間に布団を持っていきますか?」

 なまえは斜め後ろを見上げて言った。するとマダラは少し悩んだようだったが、「いや」と首を振ってなまえに布団へ入るよう促した。
 なまえが布団に入ってからマダラが明かりを落とす。真っ暗になった部屋の中でかすかに衣擦れの音がする。まだ体を起こしたままでいたなまえは無言で隣を見つめた。布団を被ったマダラが寒さに息をついたのが聞こえると、自分の布団を掴んで立ち上がった。すぐ隣のマダラの布団へ行き、半分重ねるように被せて中に入る。暗闇に慣れてきた目で、マダラが布団から顔を出したのがわかった。

「い、一緒に寝たら……きっと温かいと思うんです……」

 体がくっつきそうでくっつかない微妙な隙間を残してなまえは言う。少しの恥じらいがその間には残されていた。

「…………」

 マダラは何も言わない。勝手なことをしただろうかと落ち込みかけた時、布団の中から伸びてきた手に腰の辺りを掴まれた。声を上げる間もなく引き寄せられ、背中を向けた状態でぴたりと密着する。さらに手を握り込まれると、すでに冷えかけていたその温度になまえは驚いた。
 もう片方の手を使ってその手を包み返す。これで少しでも安眠できるのであれば何時間でもそうしているつもりだった。
 しかし実際には体を包む温もりに安心してなまえのほうが先に眠ってしまうのであった。



 翌朝。目を覚ますと寝る前と体勢がほとんど変わっていなかった。顔に触れる空気は相変わらず冷たく、なまえでさえ布団から出るのをためらってしまうほどだった。
 体の向きを変えようとするとバキリと骨が鳴る。なまえは極力静かにマダラのほうを向いた。布団に潜り込んでいるためいつもより低い位置に頭がある。隙間から髪が少しはみ出しているのみであとは全て布団の中に隠れてしまっていた。その姿がどうにも愛らしく、気付けばなまえは手を伸ばしていた。
 はみ出た髪を収めるように優しく撫でる。触れるたびに多幸感で満たされていった。起こしてしまうとわかっていても欲求には抗えない。いつもは自分が撫でられる側だったが、そうしたくなるマダラの気持ちがわかったような気がした。

「…………」

 頭がわずかに動く。見下ろすと布団の隙間から視線が向けられていた。なまえははっとして手を引っ込める。

「ごめんなさい、つい……」

 気まずさを覚えながら謝ると、マダラは気にした様子もなく布団を少しだけめくった。

「今日も任務か?」
「いえ……予定はなかったけど本部に行ってみるつもりです。昨日みんなが早く切り上げたなら、任務じゃなくてもやることが溜まってるかもしれないし……」
「……一日くらい問題ないだろう」

 マダラは瞼を閉じて言う。この様子では今日は行かないつもりなのだろう。腰に回されている腕に触れながらなまえは微笑む。

「とりあえず一度行ってみて、何もなければ戻ってきます」

 なまえは布団から出た。マダラは視線だけで追ってくる。昨日と同様、何か言いたげな視線だ。心では思っていても強引に従わせようとしないのが彼の優しいところだとなまえは思った。
 布団をそっと押さえ、自分が入っていた隙間を閉じてマダラが寒くないようにする。

「居間も暖めておきますね」

 それだけ告げて立ち上がる。使わなかった自分の敷布団をたたんでからなまえは寝室を出た。

 身支度を整えて湯を沸かす。その間に居間のストーブに火を入れておく。いつもの茶葉を出して二人分の茶を入れた。まだ温もっていない居間に運び、ちびちびと飲み始める。そうしていると廊下のほうから物音がした。どうやらマダラが起きたらしい。この寒さではすぐには出てこないだろうと思っていたから意外だった。
 しっかり顔を洗ってから居間に来たマダラは「水が冷たすぎる」などとぼやきながら、ようやく熱を帯びはじめたストーブの前に座った。この時期だけは定位置がそこに変わるのがなまえは微笑ましかった。
 茶を飲み終えて、湯呑みを片付ける。それから家を出るのがなまえの朝の流れだった。この日も同じようにして玄関で草履を履いていた時、居間から出てきたマダラに呼び止められた。振り返るなまえを余所にマダラはそのまま寝室へ入っていく。なんだろうかと首を傾げているとマダラはすぐに戻ってきた。その手には黒の首巻きがある。マダラはぽかんと見上げるなまえの首にそれを巻いていった。雑な巻き方ではなく、きちんと様になるような形で。
 なまえは戸惑いながらも大人しくしていた。

「お前はもう少し暖かい格好をしろ。見ているほうが寒くなる」

 少し離れて仕上がりを確認したマダラは満足げに腕を組んだ。

「でも、これマダラさんのじゃ……」
「まだ他にもいくつか持ってる。……それはなまえにやる」

 古いもので悪いがな、と視線を落としてマダラは言った。
 なまえはそっと首元のそれに触れる。ふわふわとして、なんだかとても暖かい。

「ありがとうございます」

 なまえはたちまち笑顔になる。そして、いってきますと言って家を出た。
 心も体もぽかぽかと温かい。首巻きの一つでこんなにも喜んでいるのが自分でもおかしくなるくらいに、どうしようもないほどの嬉しさが胸に込み上げている。
 今なら吹雪になろうとも寒さは全く感じないだろう。その日のなまえは、本部で仕事の手伝いをした扉間に訝しまれるほど笑顔を絶やさずにいた。