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 東の空が明るくなり始めた頃、里は一面に純白の光彩を敷き詰められていた。
 底の冷えるような寒さに目を覚ましたなまえは、首だけを動かして部屋を見渡した。隣の布団にはマダラがこちらに背を向けて眠っている。起こさないよう静かに布団から這い出てそっと障子を引いた。寝巻の隙間から冷たい空気が入り込んできて、なまえはぶるりと体を縮こまらせる。頭が通せる程度まで開いて外を覗き込むと、降り積もった雪が視界を真っ白に埋め尽くした。
 なまえはしばらく呆然としていたが、奥で身じろぎする音が聞こえてそろりと縁側に出た。障子を閉めて地面を見下ろせば、思いの外すぐそばまで白の煌めきが広がっている。靴脱石の雪を掬ってみると羽毛のように柔らかく、指の隙間からパラパラと零れ落ちた。今度は指同士をしっかり密着させてもう一度手の平に乗せる。鼻の先まで持ってきてじっと見つめた後、両手を重ねて握り締めると固まって少し小さくなった。
 団子のように丸めたものをいくつか作って石の上に並べ、ようやく満足したなまえは脱衣所へ回って手を洗った。雪を握っていたせいか水が温かく感じた。
 寝室に戻り布団を畳んでいると、のっそりと体を起こしたマダラがじっと見つめてくる。何事かと尋ねたら「遊んでたな」とボソッと言った。

「……起きてたんですか?」
「顔を見ればわかる」

 なまえは鏡で顔を確認すると鼻が赤くなっている事に気付き、なるほどと納得した。

 茶を入れるため、台所で湯が沸くのを待っていれば、着替えを済ませたマダラが顔を覗かせた。

「少し、出てみるか」
「えっ?」
「里に積もるのは初めてだろう」

 それを聞いたなまえは二つ返事で応じて火を止めた。
 寒くないようにしろと言われたので、なまえはしっかり上着を羽織り、前を閉じた。冬用の手袋も嵌めてマダラと共に家を出る。まだ朝の早い時間のため、誰にも荒らされてない美しい雪の絨毯が二人を迎えた。なまえはなんだか勿体なくて端のほうに寄ると、マダラもそのそばを歩いた。

「雪が珍しいか?」

 きょろきょろと忙しなく周囲を見回しているせいで、気付けば数歩遅れているなまえを振り返ってマダラが尋ねる。

「こんなふうに、ゆっくり眺めた事がなくて」

 なまえが追いついて、再び歩き始める。子供の頃まともに遊ばせてもらえなかったのだろうかとマダラはその横顔を眺めた。
 凍った水溜まりや枝を揺らして落下する雪など、いちいち反応を示すなまえをマダラは足を止めて待った。なまえもそれに気が付いて、やがて互いに意識することで次第に歩調が合い、寄り添うようにして雪を踏み締めていった。

 帰宅すると、マダラはまずストーブに火を入れた。それから上着を脱いだり手を洗ったりして、すぐ居間に戻った。
 水を汲み直して再度お湯を沸かしたなまえは、二人分の茶を入れ居間に運ぶ。ストーブのそばに座っていたマダラに出し、自身は定位置となっている場所に腰を下ろした。茶が少し冷めるのを待っていると、マダラが「寒くないのか」と訝しげな表情をして聞いてくる。

「寒いのは結構平気です」
「痩せ我慢じゃないだろうな」
「……鼻は赤くなってるかもしれませんが……」

 なまえが徐に手を差し出すと、マダラは僅かに間を置いて己の手を重ねた。しかしその直後、驚いたのはなまえのほうだった。

「手……冷たいですね」

 庭で触った雪と変わらないほどの温度だった。もしかしたら寒いのが得意ではないのかなと推測しながら手を戻そうとしたが、離れない。なまえは小首を傾げ、目線だけをマダラに向ける。しかしマダラは重ねた手をじっと見つめて動かない。その様子に、ふと思い至ったなまえは膝をついて少しそばに寄った。乗せられた手に自身のもう一方の手を重ね、熱が伝わるようにぎゅっと握る。

「外、寒かったんじゃないですか?」
「……お前が変わってるだけだ」

 ようやく顔を上げたマダラは「普通の人間は寒い」と湯呑に口を付けた。まるでなまえが普通ではないかのような言いぐさに、心の内で苦笑を零す。包み込んだ手が少しずつ温かくなってくるのを感じながら、ぼんやりと里の景色を脳裏に浮かべた。
 壮観だった。雪化粧を施しただけで、まるで別の世界であるかのように感じさせられた。雪を踏む音も、太陽を反射した眩しさも、今日二人で歩いた道はきっといつまでも忘れない。
 そして、それを「思い出」と呼ぶのだと気付いた時、締め付けられるような切なさが胸の奥から込み上げてきて、なまえはそれごと閉じこめるように両手の力を強くした。

「……また……」

 俯けていた顔を上げると、穏やかな双眸がなまえを見つめた。その瞳の前なら何でも許されそうな気がして、じわ、と湧き起こった望みを、たどたどしく声に乗せる。

「また、いつか二人で……」

 それでも、気後れがするのを拭いきれず、しょぼしょぼと口元が狭まったが、マダラにはしっかり伝わったようで、「ああ」といつもの言葉を返してくれた。その一言に安心感を覚えたなまえは、すっかり熱の移った手の甲を優しく一撫でして静かに目を伏せた。



 積雪の影響と、急ぎの用事もないという理由から、本日の里外での任務は皆一様に中止となった。弾むような足取りで家に引き返す者や、突然の休暇に困惑する者を見届けつつ、同じく手持ち無沙汰となったなまえは、窓の庇に下がるつららを観察していた。
 ぽた、と垂れる雫を追えば、その先で雪の中を元気に駆ける子供達の姿が目に留まる。しかしすぐに体を反転させ、窓に背中を預けることで視線を逸らした。子供達を、あまり直視したくなかったのだ。

「なまえ」

 名を呼ばれて、声のしたほうに顔を向けると、廊下の端から手招きする男がいた。

「柱間さん?」
「少し手を貸してくれんか」

 申し訳なさそうに両方の手の平をくっつけて頼み込んでくる柱間に、断る理由などないなまえは快く頷いて後を追う。辿り着いた一室には、山のように積まれた書物と床に散乱する巻物、そしてそれらを拾い上げているマダラの姿があった。

「前々から資料室を上の広い部屋に移そうかと話していたんだが、なかなかいい日がなくてな……。任務が中止で情報も動かんだろうし、やるなら今日しかないと思ったんだ」

 なるほど、となまえは呟いた。取り扱う数が増えてきてこの狭い部屋には収まらなくなったのだろう。すでに空になった棚は部屋の隅に寄せられており、中身の詰められた箱は入口付近に固められている。「使ってくれ」と柱間に渡された空き箱を片手に、なまえは散らばる巻物の前に膝をつけた。

「中は確認したほうがいいですか?」
「いや、色で分けたらいい。細かい仕分けは上でやる」

 表紙を指で示したマダラに、なまえはわかりましたと返して作業に取り掛かる。
 淡々と拾いながら、それにしても、と辺りを見渡した。棚から書物を抜き出している柱間を一瞥して、どこかちぐはぐな状況に首を傾げると、それを察したらしいマダラが口を開いた。

「あいつが余計な手間を増やした」

 すると、ぎょっとして柱間が振り返り、慌てたように弁明を図る。

「ひっくり返した時はお前も一緒だったぞ」
「先に中身を移せと言ったのに、聞かなかったのは誰だろうな」

 床に散乱しているのは、棚を動かす際に傾けてしまってなだれ落ちたものだった。結構な幅のある書棚なので、その量も凄まじい。それ故柱間はマダラの冷ややかな視線に晒されて、助けを求めに廊下をさ迷っていたであろう事は容易に想像できた。
 口元をへの字に曲げる柱間を見て、なまえは少しだけ笑いを零した。非難の応酬を交わしていても、二人が親しいのだという事は伝わってくる。

「そういえば、お前達……」

 そんななまえの様子に気付いた柱間は、ふと思い出したように漏らす。こちらを見上げる二つの顔に、少しの間押し黙ったが、やがて「何でもない」と首を振った。その奇妙な態度にマダラとなまえは顔を見合わせたが、特に追及する事なく片付けを再開する。
 柱間は、今朝二人が外を歩いているのを見掛けていたのだ。自室の二階の窓からで遠目にではあったが、仲睦まじい姿はしっかり捉えられた。日頃「変わりはない」などと言いつつも、その距離は確実に縮まっているのだとわかって心底嬉しかったのである。それを話そうとしたのだが、ここにこうして二人がいる事さえ微笑ましく、水を差すような真似はしたくなくて思い止まった。特に、マダラがそういう話を好まないのを柱間は重々承知している。
 心配など無用だったのだ。引かれ合った者同士、口出しなどせずともきっとうまくやっていける。自分はただ、そばで見守っている事にしようと、この時柱間は心に決めたのであった。