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 買い物中、なまえは派手な装飾が施された陳列台の前で足を止めた。何やら一連の商品が売り出しになっているらしく、購入を促進するための広告がこれでもかというほど貼り付けられている。
 日用品雑貨を取り扱っている店が、なかなか売れず置物のようになっている弁当箱やその用品を売り出すため窮策に出たのである。ほとんどの客がちらっと目をやっただけで通り過ぎていく中、なまえはまんまとそのセンスのない飾り付けをされた陳列台に釣られてしまっていた。

「あ……、あい……?」
「愛妻弁当ですよ」

 あらゆる活用法を講じようとする広告の中に見慣れない言葉があって首を捻っていると、真横から予期せぬ助け舟を出されて、なまえは息を呑んで振り向いた。
 そこにいたのはなまえと親しくしているうちはの若い女だった。彼女も買い物中だったようで、肩に手提げ袋を掛けている。

「愛妻、弁当……」

 新たに覚えた言葉を復唱してみるなまえ。それは文字通り、夫のために妻が作った弁当のことを指す。
 女は陳列台から弁当箱を手に取ってなまえのほうへと差し出した。不思議そうに受け取るなまえに、女がくすくすと笑いを零す。

「お弁当、作って差し上げてはいかがですか?」
「えっ? えっと、それは……」
「もちろん。マダラ様にです」

 彼女にはお見通しだったのだ。なまえの反応からして恐らく一度もそうしたことがないということを。それに日頃から弁当を作っている人間であれば、このような店側の内情が見え透くようなコーナーには冷ややかな視線を向けて立ち去るはずである。
 弁当箱をじっと見つめるなまえは、気後れするどころか良い案を得たとでも言うかのように目を輝かせていた。
 先日、熱を出して寝込んだ際に色々と世話をしてくれたマダラへ礼をしたいと考えていたのだ。あまり顔を合わせたくないであろう扉間へ報告書を渡してもらったことも、後から思えば相当な迷惑だったに違いなく、安易にマダラの優しさに甘えてしまった自分を恨めしく思ったほどだった。ありがとうと感謝は伝えたものの、その一言だけで済ませておくのは誰よりもなまえ自身が耐えられない。

「私、作ってみます」

 僅かに頬を赤らめて、意を決したように言うなまえは同性である彼女の目にもいじらしく映ったことだろう。女は、こんな妹がいれば大層甘やかしていただろうなと思いながら、奮起するなまえへ微笑みを返した。
 陳列台にあった弁当用品の一式を購入した後、なまえは基本的な作り方を女から教わった。好物を入れてあげたら尚良しと言われて、驚くほど何も浮かばなかったが、少し前に柱間が食事の席でそれを言おうとしていたのを思い出す。彼に聞けばわかるかもしれない。
 毎日ご飯を作っていながら好物を知らないというのもおかしな話だが、嫌いな物以外の情報は今まで得ようともしなかったのである。なまえ自身、これと言って好物がある訳ではないためその辺りの関心が薄いのは仕方がないのかもしれない。
 とりあえず明日にでも柱間に尋ねてみて、何かわかれば食材も買い揃えて実行することに決めた。女と別れたなまえは、後日報告も兼ねて改めて礼をしに行こうと思った。



 翌日、任務を終えたなまえは計画していた通り柱間の元へと向かっていた。この時間ならマダラはすでに帰宅しているだろう。あの時、言わせないように柱間の足を踏んだか何かしていたようだったので、本人がいる前で聞くのは避けたかったのだ。
 しかしそう考えると、マダラがそこまでしたことについて詮索するような真似をしていいものだろうかと、なまえはドアを叩こうとした手を止めてしまう。しかしタイミング悪く内側から開けられて、その隙間から柱間が顔を覗かせた。

「なまえか。驚いた」
「すみません」
「何かあったか? マダラならもう帰ったぞ」
「いえ、その……」

 言い淀むなまえに、柱間は事情がありそうなのを察して中へ入るよう促した。なまえは咄嗟に誤魔化すこともできず、招かれるまま入室を果たしてしまう。

「柱間さん、どこかへ行くところだったんじゃないですか?」
「いや、少し気分転換にな。それより、どうした? マダラの事か?」

 その場しのぎに彼の用事を優先させようとしたが、無意味に終わったなまえ。むしろ気分転換に丁度いい訪問となってしまい、柱間には大歓迎だった。それだけでなく、二人の様子が気になっている彼としてはどれほど些細なことでも話を聞きたいので、そのチャンスをみすみすと逃すはずがないのである。
 口を開くのを今か今かと待っているような柱間に、観念したなまえは例の件について尋ねてみる。すると柱間は「その事か」と意外そうな顔をした。

「でも……マダラさん嫌がってましたよね。触れないほうがいいんでしょうか」
「ああ、あれはオレに言われるのが癪だったんだろう」

 マダラの気に障ったのは、妙に出しゃばろうとする柱間の態度だったのだ。だから別になまえに知られるのを嫌がった訳ではないと柱間は言った。それを聞いたなまえは、それならあまり気にしなくてもよさそうだなと安堵を零す。

「やっぱり気になるのか? 改めて聞きに来るとは思っていなかった」
「実は……少し面倒をかけたことがあって、そのお礼をしたいんです」

 気恥ずかしいのか伏し目がちになまえが言った。柱間は目を丸くした後、一途にマダラを思っているらしい可憐な姿に温かな笑顔を浮かべる。色々と悩みながらも彼女なりに尽くそうとしているのだ。傍から見ても胸をくすぐられるのに、それを向けられる本人はさぞかし幸福に満ち溢れることだろう。
 事細かに聞き出すのは流石に野暮かと思い、柱間はそれ以上尋ねることはしなかった。代わりに、そのかわいらしい企てが上手くいくよう胸の内で祈願しながら、なまえが求めた情報をこっそりと教えてやる。
 意味もなく声を潜めた柱間に、なまえも耳を傾けるようにして聞き込んだ。その意外な事実に驚愕を浮かべつつしっかりと記憶する。それは、これまでを振り返っても食卓に出したことは一度としてなかった。そんなものを突然弁当などに詰めて出したら露骨すぎやしないだろうかと不安が過る。
 しかし、そんな心境を感じ取ったのか、柱間は笑顔のままなまえの背中を押すような言葉をかける。

「なまえ、恐れずに何でもしてやるといい。あいつならきっと喜ぶ」

 その励ましはなまえに心強さを与え、迷いなどあっという間に取り除いてくれた。太陽のような男は、惜しげもなくその温もりを他者へ分け与えるのだ。
 小さく頷いたなまえは、礼を言うと、幾分か晴れやかになった表情で部屋を後にした。早速、明日の朝にでも実行することにして、必要な食材を買って帰宅する。夕飯の支度をしながら仕込みを済ませ、事前に知らせるのは小っ恥ずかしいのでその日は特に伝えることはせず早めに就寝した。


 朝から料理をするのも久しぶりだった。なまえは彩りよく詰め込んだ弁当箱を見下ろして、こんな感じだろうかと腕を組む。初めての割に見栄え良くできたそれは、女に教えてもらったおかずを綺麗に並べ、柱間に聞いたマダラの好物だと言う稲荷寿司を詰めた稲荷弁当である。
 後は渡すだけだが、それがなまえには最も勇気がいることだろう。そろそろ起きてくる頃合いなので、蓋をして割り箸と共に風呂敷で包んだ後、茶を入れる準備をする。朝から料理をしている時点で色々と察せられてしまいそうだが、それは致し方ない。
 マダラが身支度を整えて居間に入ったのを見計らい、なまえは湯呑と風呂敷を手にしていざ向かった。まず先に茶を出して、一口飲むのをじっと見ていると、それに気付いたマダラが無言で見つめ返してくる。なまえはあからさまだったかと瞬時に反省しつつ、できるだけ平然として弁当を渡すための話を切り出した。

「あの、今日ってお昼の予定ありますか?」
「特にないが……」
「……これ、お弁当、よかったら……」

 平然など数秒も保てなかったなまえは、消え入りそうな声を添えながら、献上するかのように両手を伸ばして弁当を机に置いた。これにはマダラも想定外だったようで、湯呑を持ったまま目をぱちくりとさせる。
 何を言われても耐えられそうにないなまえは、マダラが物を言うより先にさっと立ち上がった。

「じゃあ……私、先に出ますね」

 頬を僅かに染めながら、「すみません」と何に対してかもわからない謝罪を残してなまえは出ていった。残されたマダラは、弁当が包まれているらしい風呂敷をしばし眺めた後、茶を一息に飲み干した。
 早くから料理しているらしいのは物音や匂いでわかっていたが、よもや弁当を作っていたとは。今度はどこから影響を受けたのだろうかと考えを巡らせながらそれを手元に寄せる。
 来たばかりの頃と比べてなまえが随分と朗らかになったようにマダラは感じていた。会話することさえ遠慮がちだったのが、今やこうして自分のために色々と施すようにまでなった。恐らく、変わったと言うよりは本来の性格を現しつつあるのだろう。多感で、少しマイペースで、穏やかに微笑むような。
 自分と過ごすことで心が解れているのなら何よりだとマダラは思う。そして、そんななまえの思いがたっぷりと込められているであろう弁当を片手に、どこか上機嫌な様子で仕事へと向かうのであった。



 昼を誘われたマダラが特に事情を明かさずに断ると、柱間は彼らしい無遠慮さでしつこく理由を聞こうとした。何も言わずつんとそっぽを向くマダラに、柱間は唇を尖らせながらも、立て込んでいる訳ではなさそうなのにと考えを巡らせる。
 だが、こうなってはこれ以上誘っても聞き入れないだろうなと一人で出ることを決めた時、ふと頭に過ったのは昨日のなまえとの会話。そして今のマダラは、なまえとのことを詮索しようとする自分を煙たがるような態度と同じだった。

「……そういうことか」

 その二つのことから合点のいった柱間は、自分に知られたくないらしい友のために、さっさと出ていってやるかと部屋を後にする。
 大方、なまえが昼食を用意してやったというところだろう。彼女が関わると、柱間にはマダラのことが面白いほどにわかってしまうようだった。しかし愛妻弁当とは。少しばかり羨ましく思ったのは内緒にしておこう。


 その日、帰宅したマダラはなまえに「うまかった」と言葉を添えて弁当箱を返した。感想をもらえるとは予想だにしていなかったなまえは目を見開き、通り抜けようとしたマダラの背中にぴょんと飛び付いた。喜んでくれるだろうかと不安に思っていたのが解消されて、途端に嬉しさが溢れ出たのである。
 またいつか作ろうと心に決めて、しばらくの間その背中に纏わり付いていた。