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 日が沈み、すっかり夜の闇に包まれてしまった木ノ葉の里をなまえと扉間は歩いていた。なまえが見つけたと言う、はぐれた忍達が住む集落を訪ねに行った帰りだった。
 実際には訪ねたという生易しいものではなく、木ノ葉と対等な立場で関係を築きたいなどとのたまったのを、扉間が直々に粛清をしに赴いたのである。所詮は烏合の衆でしかなかったようで頭を潰せばあっさりと解散した。この程度でよくあそこまで大きく出られたものだと扉間は嘲笑を漏らした。同行したなまえは特に出番がなく見ているだけだった。
 なまえは、頭が切れて実力も兼ね備えているとなると誰も敵わないだろうなと隣を歩く扉間を見上げながら、全く関係のない話を切り出そうとする。最近出会った、共通の知り合いらしい彼の件だ。

「そういえば扉間さん。カガミのことなんですけど」
「ああ、お前と会ったそうだな」

 扉間はすでにカガミ本人から話を聞いていたようだった。あの日以降きちんと学校へ通うようになったカガミは、勉学に励むだけでなく、扉間を見つけては修行をつけてくれとせっつき回るようになったらしい。
 扉間は、なまえを目指すようにと言ったものの、まさか直接会いに行くとは思いもよらなかった。それほどまでにカガミは子供ながらも苦悩していたのだと察せられたが、なまえが上手いこと助けになってくれたお陰で無事に立ち直ったらしく、扉間としても一安心だった。
 なまえはあの男に対応できるくらいの柔軟性を持ち合わせているのだから、子供達一人一人にも寄り添うことができるような、先生としての素質もあるはずだと扉間は考えた。例の件を克服したら提案してみるのも悪くないかもしれない。優しいなまえは、あっという間に子供達の人気者になることだろう。

「今度、カガミに稽古でもつけてやれ」
「えっ……私がですか?」

 扉間が提案するとなまえは困惑したような表情を浮かべた。そんな反応をしてみせても、いざ頼まれると断れないであろうことは、日頃の柱間とのやり取りを見ていれば明らかである。次にカガミと会った時、それとなく唆しておこうと扉間は思った。
 なまえはカガミと接することで子供に慣れてもらって、カガミにはなまえの良いところを存分に吸収してもらう。互いの成長のためにも二人は関わり合うべきなのだ。
 その後もカガミの話をしながら、なまえは扉間に連れられて執務室へと到着した。何やら渡す物があるらしい。静まり返った室内で、扉間は奥の収納からゴソゴソとそれを取り出した。部屋の真ん中で立っているなまえに手渡すと、これは何だと当然の反応を示される。

「額当てだ」
「額当て?」
「木ノ葉隠れの里の忍である証だ。今後任務に出る際は必ず着用しろ」

 そう言われて、なまえは手元のそれに目を落とした。名前の通り額に当てるものらしいそれは、銀のプレートが照明を反射して輝いている。中央には渦を巻いたような紋が彫られていて、これが木ノ葉隠れの里の印なのだとなまえはすぐにわかった。

「お前の働きぶりは皆高く評価している。もちろん、オレもその内の一人だ」
「……扉間さん……」
「明日からも精々励め」
「はいっ。ありがとうございます」

 なまえは嬉しさを表情に滲ませた。扉間は滅多にそういうことを口にしないので、その分喜びも大きなものとなるのだ。
 額当てを懐に仕舞ったなまえに、扉間は帰宅するよう告げた。集落を処理した件は扉間自身が当たったことなので報告を上げる必要もなく、最早なまえがここに留まる理由はない。

「扉間さんは?」
「オレはまだやることがある」
「手伝いましょうか?」
「いらん。さっさと帰れ」

 冷たく言い放たれてなまえは引き下がるしかなかった。気持ちは有り難いが、扉間は必要以上になまえを拘束したくない。それは他でもないマダラのためである。なまえには、自分よりも彼を優先してもらわなければ困るのだ。
 なまえは大人しく踵を返した。扉間の厳しい口調はいつものことなので今更凹んだりはしない。部屋を出る間際に額当てを忘れないよう念を押されて、子供じゃないのにとなまえは思ったが、そう思うこと自体が子供っぽいのだと自分で気付いてしまう。そしてばつが悪そうに「はい」とだけ返すと、扉間は見透かしたかのように鼻先で笑った。
 からかわれたのだ。居たたまれなくなったなまえはそそくさと執務室を後にした。


 明日からあちこちでこの額当てを目にすることになるのだろう。確かに、人口が増えて忍の数も多くなってきたので、これがあると外でも判別がつきやすくなりそうだ。なまえは懐に仕舞ったその重みを感じながら、いつもの定食屋で食事をして家に帰った。
 風呂に向かう途中、居間から明かりが漏れていたので覗き込むとマダラが起きていた。時間的にはそろそろ寝る頃だったが、なまえが丁度帰ってきたので留まったのだろう。声をかけるとぼんやりとした視線を寄越してきたので、眠たいのかなとなまえは思った。

「もうお風呂済みましたか?」
「ああ」
「じゃあ、私入ってきますね」

 上がるまで待っていそうなマダラに、なまえは先に寝るよう促して脱衣所へ入った。小物を外し、額当てと共に除けてさっと服を脱ぐ。湯船はまだ温かかったので、のぼせない程度に浸かって体の疲れを癒した。疲れるほど今日は働いてないが。
 居間に戻るとマダラは寝室へ移ったようで姿は見えなかった。気を遣って起きていられるよりは、そうしてくれたほうがなまえには良かった。
 団扇で風を送り、体を冷ますついでに髪を乾かした。机に置いた額当てが明かりの下でキラキラと光っている。

 なまえが忍としてあり続けることを望んだのは、生涯をかけて尽くしてくれた兄の思いを忘れないため。そしてなまえにとっての里とは、うちはマダラという男がいてこそ守りたいと思えるものであった。それは、彼の元へ嫁ぐ以前から抱えていた、恋慕と言うよりは、憧憬のような淡い憧れの感情だった。
 うちはと千手が対立していた最後の日。夢を諦めなかった柱間が、腹を切るほどの覚悟があることをマダラに見せつけて、信用を取り戻した日の光景。なまえは恐らくその場にいた誰よりも、マダラが柱間の手を止めた瞬間に心を打ち震わせたに違いない。
 集落にいた頃、マダラは兄弟を大事にする男だという話をよく耳にした。子供の頃は千手柱間と仲が良かったらしいという噂も聞いた。一族の人間から休戦協定をのむよう求められているところもよく見かけた。深手を負って助かる見込みのない弟から眼を譲り受け、移植したということも知った。
 何よりも大切だった兄弟を失い、その眼と共に託された思いを捨てられず、一方で、もう戦いはたくさんだと疲れ果てる一族の人間達に、未来への一歩になるならと自害を躊躇しなかった柱間。
 弟の思いと、一族の願いと、かつての友との絆。全てがせめぎ合って、最後の最後まで迷い、悩んだはずだった。それでも、柱間が刃を構え腹に突き立てるまでのほんの僅かな間に決断したのだ。最も守りたいのは違うもののはずなのに。マダラは柱間を信じることを決め、一族の声を汲み、休戦を受け入れて平安の里作りを始めた。
 マダラは皆のために自分のことを諦められる人なのだ。そんな人が一族の長であることをなまえは心底誇りに思った。そして、その決断を経て誕生したこの里を、マダラがいるこの里を、誰よりも大切に守っていこうと決めたのである。
 しかしその時のなまえは、こうしてマダラと人生を共にすることになるとは一寸たりとも想像していなかった。初めこそその現実を受け入れられずに困惑するばかりだったが、今は毎日が楽しくて幸福に満ちていた。

「木ノ葉、隠れの里……」

 額当ての、木の葉を形取ったであろう刻印を優しく撫でる。里をそう名付けたのがマダラだということをなまえは知らない。
 ここに置いておけば忘れはしないだろう。それは机に置いたまま、なまえは明かりを消して寝室へ移った。布団に入り、すっかり馴染んでしまった隣の存在に微笑みを零す。
 なまえは、マダラが誰よりも優しく愛情深い人間であることを知っている。そして、同じにしてしまうのもおこがましいが、なまえが兄の思いを捨てられないでいるように、彼もまた、弟に託された思いを胸の奥に潜めているであろうことも知っている。自分でさえそうなのだから、彼は尚更そうだろう。マダラの心情を思うとなまえの心も痛むようだった。
 マダラがそうしてくれたように、いつかは自分もそこに寄り添ってあげられたらいいなと、なまえは愚かしくもそう願わずにはいられなかった。



 翌朝。家を出る前に、なまえはマダラへ一つお願いをした。

「マダラさん。これ、着けてくれませんか?」

 そう言ってマダラに差し出したのは昨日受け取った額当てだった。マダラは何故そんなことをと思ったが、普段頼み事をしないなまえが言うのだから何か意図があるのだろうと察してそれを手に取った。
 なまえは少しばかり緊張の色を漂わせながら、それが前髪の下に通されて、頭の後ろで結われるのを待った。キュッと縛られると、何だか気持ちも引き締まる感じがした。

「……できたぞ」

 マダラが手を離すと、なまえは嬉しそうに笑った。
 なまえにとっての里はマダラがいてこそのものだ。だからこそこれを、木ノ葉隠れの里の忍である証をマダラに着けてほしかったのだ。

「じゃあ、いってきます」

 今日からまた頑張ろう。彼がいる里を守るために。マダラには明かすことのない思いを胸に秘めながら、なまえは新たな気持ちで里の大地を踏み締めて歩いた。