馬鹿ほど愚かな嘘をつく


 私のようなゴミの誕生秘話を敢えて明かすような必要なんて微塵もないと思うけど、むしゃくしゃするから心の中で叫んでやろうか。うるさくするとカス男に殴られるのでね。
 私はね、この目の前のカス男が性の吐き出し口に使われた哀れな女の股からずるんっと産み落とされたっていうどこかで聞いたような悲惨な出生のクソガキなんだよ。意外性も何もないよね。
 こんなぼっろぼろのアパートの一室にあるのはそんな三人と寝心地最悪の床と空の缶詰にこんもりと詰まった煙草に、がらがらと並べられた大量の身体に悪そうな安酒。それから、明らかに治療の用途で使われてない注射器。キッチンなんてもはや生ごみ放棄場と化してるの笑っちゃうね。あんな場所で作られた料理なんてどんなにちゃんと作っても衛生観念上、生ごみにしかならない。まるで食材の墓場だ。
 一つだけ言っておきたいけど、私の家がこんなゴミ溜めになったのは決して私のせいじゃない。そして、母のせいでもない。全てこのカス男が生み出した現代アート。
 ゴミ溜めをいくら綺麗にしようとしてもまた新しいゴミが放棄されるだけだってのに、このカス男を見限ることの出来ない心優しい馬鹿な母は、今日もせっせと袋に空になった缶を詰めている。眠気眼を擦りながら私は今日が缶ゴミの日だということを思い出した。じゃあ、今日はパン屋に食い物をせびりに行く前にお母さんと一緒にゴミ捨て場を回らなきゃ。いくらもらえるかなぁ。母子二人でゴミ捨て場を漁る姿に白い目をされるのにはもう慣れたもんだ。
 私が起きたと同時に家中の缶を集め終えたらしい。母がゴミ袋を抱えたまま玄関にさっさと玄関に向かうため、私は慌てて彼女を追いかける。もちろん、まだ寝ているカスを起こさぬよう音を立てずに。私が半ば奪うようにゴミ袋を取り上げると、母は少し驚いたような顔をしたが、すぐに眉を下げて「ごめんねシズちゃん」と謝った。お世辞にも可愛げのある子供、とは言えない私はそれに「別に」とだけ返す。だって別に、母は何も悪いことしていない……それでも敢えて、何か謝ることを挙げるとするなら、それは途方もないくらい馬鹿だってことくらいだ。
 働きもせずに昼までグーグーと寝ているカスに気付かれないようにこの時間帯を狙って扉を開くくせ、夕方にはまたこの家に引き寄せられるように帰る。「あんな奴置いて二人でどっか行こうよ」って何度言っても必ず「でも、あの人には私が居なくちゃ駄目なのよ」なんて返すんだ。馬鹿でしょ?あのカスはあなたが居てもいなくてもどっちにしろ駄目なんてことくらい、まともな教育も受けちゃいない子供の私にだって分かるのに。
 ガシャンガシャンと音を立てながら缶を集めて回るとたまに変な輩に絡まれるので、母の代わりに私が缶を積んだ自転車のハンドルを引き、母は倒れないように荷台を支えている。何故か私は昔から音を立てない、気配を消すってことには誰にも負けないくらい秀でていた。まあ、比べることが出来るような相手なんていないけど。
 私がハンドルを引いていると後ろから母が「ごめん、ごめんねシズちゃん」と謝ってくる。私はいつも通りため息を吐いてこう言うんだ。「別に」って。
 怒ってるわけじゃないけど、許してるわけでもない。そんな謝罪をするくらいなら、こんな朝の缶集めとか、睡眠時間も貞操観念もすり減らして出稼ぎに行くのもやめて私を連れて逃げてほしいのに。
 それはそれで苦労も多いだろう。しかし、逃げた先がたとえ地獄でも、今よりマシなんじゃないかとは思う。私のこの特技を活かせば盗みなんてお茶の子さいさいだし、食う物に困って死ぬことはないだろうに。そう提案しても呆れるほどにどこもかしこも汚されているのに、心だけは綺麗な馬鹿の母は「シズちゃんの綺麗なおててを汚すようなことはさせられないわ」ってなんて言うから。
 垢だらけ傷だらけのこの手にどこに綺麗な要素なんてあるんだろうっていつも思いながら、私は未だに犯罪に手を染めることはしていない。こんなちゃちなもの守って何になるってんだ、なんて考えてしまうような、ゴミみたいな私の吹けば飛ぶギリギリの清らかさを必死に守ろうと身を粉にして働いたって、その金は全部酒とかタバコとかヤクとか、あいつのクソみたいな悦楽を満たすだけのゴミに代わるだけなのに。
 綺麗な手なんていらないから一緒に逃げようって言う私とあんなカス男と一緒の生活を天秤にかけて、未だにあのボロアパートを私の帰る場所にする母が……私はどうしても許せないのだ。



 暫くの間、母が帰らなくなった。別に珍しくもないことだ。私が産まれて一年くらい経って終わったらしい『斉廷戦争』とやらのおかげで街の治安はあまりよろしくない。まあ、私が十歳になってだいぶマシになった方だとは聞くが。それでも戦後、間もないこのご時世じゃ碌な娯楽もないせいで、母みたいな見目もよく従順な女は重宝されては駆り出されやすいのだろう。しかも、私みたいなお荷物がいるのだから余計にだ。
 家を出る前に「ごめんね、ごめんね。なるべく、はやく、すぐ帰るからね」と言いながら私を抱きしめて行く母親が私は憎くて仕方ない。「すぐ」なんて言ってもその間は私はあのカスと二人で暮らさないといけないってことでしょ?ああ、母が家を空けている間に、あの金食い虫をぶち殺して生ごみの日に出してやろうと何度思ったことか。寝込みを襲えば簡単だろう。どうせ、自分が殺されていることに気付かずに死んでいくんだろうな。だけど抱きしめられた時の体温と私の清廉さを願う女の呪いで、私の殺人衝動は毎回塵となって消えていく。
 この女は想像したことあるだろうか。こんなカスとゴミしかしない家に本当に帰ってきてくれるのかと震えながら眠れぬ夜を過ごす娘のことを。本当にその辺の考えが足りないとしか言いようがない。でも、こんなどうしようもない家に毎回帰ってくるっていう点だけを見ればその馬鹿さ加減も悪くないかなって思っちゃう私も大概だ。
 さて、今日は何をしようか。そうだ、暫く身体も洗えてないから川で身を清めに行こうか。お風呂は家にあるけど、水道は止められているし、そもそもあの場所は既にカビだらけの腐海と化している。本当にどこもかしこも汚い家だ。とりあえず、私には温かなお湯とは無縁だってことはずっと前から分かっている。
 今着ている服も一緒に洗わなくては。こういう時のために一枚のバスタオルともう一組の服だけは常に用意していたりする。私には二日分の服しか持っていないのでこれを何とかローテーションで着回しているのだ。



「ねえ、きみはどうしてこんなに泥だらけなの?靴もボロボロ!っていうかそれ最早、靴じゃなくない?ほら、その靴の生地のせいできみの足の表面擦り切れているよ?裸足よりはマシだろうけど新しい靴買っちゃえばいいのに。それか靴下履けば?」
 
 こいつマジ何なん?って思考になる私はおかしくないと思う。
 私は今、この辺では見かけないやけに身綺麗なお坊ちゃんにずっと付きまとわれている。お坊ちゃんと言っても私よりいくつか年上だろうか?私が口にしたこともない、目が痛くなりそうな色した物体のついた棒……あれはキャンディってやつか。それを咥えながら私に次々と疑問を投げかけてくる。
 なんとなく分かるが別に馬鹿にしてるつもりはないのだろう。純粋に疑問なんだ。彼にとって真逆の世界に住んでいるであろう私の醜さが。憐れまれるよりかはだいぶマシだが本当にうざったいったらありゃしない。
 無視してもずっとずっと付いてくるの本当に何なんだ?さっさと帰れ、と願っていたのだがとうとう目的地の川に着いてしまう。仕方がないと私はため息を吐きながら、未だに「ねぇねぇ!何するの?」とうるさい男に言葉を返した。

「水浴びするんです。どっか行ってください」
「あ!やっとこっち見てくれた!」
「……」

 聞けや。
 もういい。この男は居ないものとするか。私はそう考えて服を脱ぐ。「きゃあ!えっち!」なんて楽しそうにはしゃぐ男なんて知らんし見えん何も聞こえん。私は何度もここで水浴びをしているのだが、あまり人の来ない場所ではあるが全く人が通らないわけでもない。なので、なるべく気配を消して身体を洗っていたのだが最初から見つかってしまっているのではもうどうしようもない。
 一つ言っておくが、私が気配を消して水浴びをするのは全裸を見られることへの羞恥ではなかった。ぶっちゃけそんな恥じらいを持てるような精神的余裕は私にない。ただ、文字通り丸裸の小娘を見た者が邪な考えを持たないとは限らない。金に飢えている者に攫われて売り飛ばされるか、肉穴さえあればそれでいいような性欲を持て余した男に純潔を散らされるか。どちらも避けたい事態である。
 本来ならそこの男の前でも脱ぐこと自体は憚られたが、金も持っていそうで女にも困っていなさそうな男がわざわざこんな小娘が脱いでも手を出すことはないだろうと踏んだのだ。もしも、少しでも怪しい動きを見せたら迷わず金的でもして逃げようとは考えている。

「……?」

 暫くして、キャイキャイ何かを言っていた男の声が、いつの間にか聞こえなくなっていることに気づいた。存在は感じているだけに不気味だ。不思議になって振り返ってみる。

「……」

 男は黙って私を見ていた。その表情は無視されていたことに腹を立てているだとか、物珍しいものへのわくわくだとか、そういったものではない。まるで絵画か何かでも見るようにほぅと息を吐く口を押え、しげしげと観察するように見ているのだ。一体何なのだろうというのか。
 別に裸を見られて恥ずかしいなんて思ってなどいないが、こうもジロジロと不躾に見られるのもあまり気分の良いものではない。喧しいのよりは幾分かマシだが。
 服も一緒に洗おうと思っていたが、この男がいる前で暢気に洗濯するのも嫌だなと思った私は、さっさと水浴びを済ませて服を着る……その間も男の視線は私の頬に突き刺さっていたが。
 
「……さっきから何なんですか」
「いや……」

 いい加減その視線もうざったらしくなってきた。何か用があるならさっさと済ませてほしい。それか今すぐここから立ち去れ。そんな思いを込めて睨んでやると、男はぎくりと言う音が聞こえるほどに身体を硬直させ、先ほどまでの飄々とした様子とは裏腹にもごもごと何かを言い淀んでいた。
 何度そう思ったかは分からない「何なんだこいつ」と思考と共に、私はその場を立ち去ろうとする。聞いてもすぐ答えない男の返答を待つほど、彼の心の内に私は興味を持ち合わせていない。
 そんな私を見た男は何か慌てた様子で「待って!」と叫ぶ。待つ気などさらさらなかったので歩みは止めなかったが、顔だけは彼の方へと向ける。するとそこには存外真剣そうな顔をした男がいた。

「きみのことがとても綺麗だなって!そう思ったんだ!」

 ……その言葉を聞いた私の心臓はどくりっと跳ねた。思わず立ち止まり、目を見開きながら体ごと振り返る。
 男の目には一点の曇りもなかった……本気なのだろうか?こんな、泥だらけ垢だらけの不潔な私に、清廉さを見出したというのか?そんな考えが私の頭の中で駆け巡ったかと思えば、ざわざわとした喧噪が胸をかき鳴らすような焦燥感を覚えた。
 逃げなくては。単純に、簡潔にそう思った。とにかく、私はこの場に留まっていることが出来なくなり衝動のまま駆け出した。男はもう一度「待って!」と私に声をかけたが、私はもう二度と振り返ることも立ち止まることもなく、家へと転がるように逃げ帰った。
 そこには、父親の代わりに母親が居た。私が水浴びに行っていた間に帰っていたみたいだ。ただならぬ様子の私を見た母は「シズちゃん、大丈夫!?」と大袈裟に心配する。いつも通りの母が目の前にいるという安心感からか、私は母に飛びつきその服を少しだけ涙で濡らした。



 ほどなくして、また母が家を空けることになった。一昨日帰ってきたばかりだというのに、こんなことは初めてだ。母はまた私を抱きしめているが、その体は妙に強張っていたしいつもより長い時間をかけている気がする。それがなんだか不安に思えて私は「すぐ帰ってくるよね?」と聞けば「……うん、すぐに帰るわ」と返してくれた。なら大丈夫だ。母は私を置いて行ったりしない。

「シズちゃん……」
「……お母さん?」
「大好きよ、愛しているわ」
「!」

 母はいつも出ていく際は「ごめんね」ばっかりだった。それが初めて「大好き」と言って出て行った。きっと、やっとこの家を出ていく決心がついたんだと強い根拠もなくそう思った。だから、ほんの少しいつもと違ったんだと。やっとこの街から離れることが出来るのだと。
 ああ、もう酒で暴れたり、煙草の灰をまき散らしたり、ヤクに金を溶かす父親と離れて暮らすことが出来るのだ。そうだ、どうせこの家に帰ることもなくなる日も近いのだから、予めこの家の金を別の場所に移していつでも持ち出せるようにしておこう!場所ならもう分かっている。でもどうしようか、ゴミだらけのこの家に十分な収納スペースなんて他に見当たらないし、かといって外に隠すのも誰かに盗まれてしまう。
 そうだ!いつも売れ残りのパンを分けてくれる時にもらうレジ袋はどうだろう!あの袋は紺色で中身が見えないようになっているから、あれに入れて持ち運べば中身が金だとは簡単に分からないし大丈夫だろう。今まで父親が無駄遣いしていた分、私が持ち出しても罰は当たらない。そもそも、この金は全部お母さんが稼いできたものだ!あのカス男が自由にしていいお金なんかじゃない!
 ああ、そうそう!いつもお世話になっていたあのパン屋さん!私達母子がこの家で生きてこれたのは偏にあのパン屋の店主が売れ残りのパンを分けてくれていたおかげだ。あのパンがなかったら飢え死にしていてもおかしくなかった。もうすぐ会うこともなくなるだろうから今のうちに挨拶に行ってこよう!
 私はいつもよりやけにずっしりとした札束を包んだ袋を片手に、ボロボロの靴を履いて家から飛び出した。