罪で繋ぎ止める欲望
『殉職者。対刳雲特選部隊――張間梓弓、具柄一、卯月清彦、笠原誠』
彼らの名前を見たのはそれが最後だった。
*
私は今日も幼馴染の萩原幾兎の見舞いに行く。
「イクト、生きてるー?」
「……死んでるようなもんだ」
「じゃあ生きてるね」
『バリバリ生きてるぜぇッ!』
「ハジメ、ここ病室」
正確に言えば、幼馴染二人の見舞いをするつもりになるわけなんだけど。
「……また来たのか。俺みたいな無能に会う時間が勿体無いって何回も言ってるのに」
「私はお礼の言葉が聞きたいなー。ねーハジメ」
『アリガトナァ!』
「はーい、どういたしましてー」
イクトは三週間前からずっとこんな調子だ。両足を失ってから妖術を使わなくては満足に歩くことも出来ない。十年以上も共にいた隊員のみんなが殉職したことが原因で精神もすっかり病んでしまい食事もすっかり喉を通らなくなってしまった。それどころか、意識の混濁から無意識に仮面を妖術で動かしては幼馴染のハジメの幻覚まで見始めている。
ちなみに、私には仮面がついた砂鉄の塊である物体が生きているハジメであるような幻覚なんて見ていないし、本当はハジメの声だって聞こえちゃいない。
それでも私が簡単な会話を出来ているのは一重に私が彼らの幼馴染として長く過ごしてきた経験があるからだ。イクトが微妙に動かしたハジメの仮面と会話の内容から『ハジメならこう言うだろうな』という予想を立てて適当な相槌を打っているだけ。
これが結構難しいし、会話が成り立っているのか私には判別しようがない。まあ、今のイクトは会話のチグハグさなんて気にしていられるような精神状態ではないだろうから、そこまで心配しなくてもいいのだろうけど。
皆が皆、このような状態になったイクトはもうおしまいだ、と言っている。しかし、彼のことを診ている医者が言うには、自身の妖術をまるで他人のように思えている状態は究極の無意識であり、今の戦闘ポテンシャルは今まで以上なのだとか。
だから、私は通常業務に加えてイクトの精神が落ち着くまで彼の幻覚に付き合ってメンケアするようにと、上司から託けられてしまったのだ。
全く世話の焼ける男だ。昔からいつもいつもそうだ。決まってイクトとハジメが無茶してやらかしては私が頭を下げることばかり……私が二人の一つ上だからって、お姉ちゃんってわけじゃないのに。
そんなだから私は彼氏に「いつも他の男の尻ばかり追いかけて本当は俺のことなんて好きじゃないんだろ」とか謂れのない罵倒と共に振られたりしたんだ。いや、多分別れて正解だったけど。
しかし、最近そこにいない人物と会話するようになってから一人で買い出しの時に「ハジメ、林檎は買わないよ。もう家にたくさんあるんだから……あっ」なんて口走って周りの人からヒソヒソされて赤っ恥をかいてしまったことは本当にいただけない。イクトには一刻も早く回復していただきたい所存だ。
なんて、心の中で愚痴をつらつらと並べながら私はいつも通り持ってきた林檎の皮をショリショリと剥いていく。
「また林檎を持ってきてくれたのか……そんなに、用意して大変だろ、俺にそんなことする価値なんてないのに……」
「昔から言ってるでしょ。私の親戚の林檎農家のおばさんが『林檎好きよね!』って言いながら売り物にできない林檎大量に送りつけてくるもんだから余りまくって仕方ないの。むしろ持ってこない方が大変なの。食ってくれ助けてくれ私を」
『美味そうだな萩原!』
「そうそう。ハジメもイクトも私の家の林檎いつも食べてたし、今更だよね」
適当に言いながら、切り分けた林檎を盛り付けて皿に乗せてやればイクトは無言のまま林檎に手を伸ばしてそれを口に含む。シャクリ、シャクリ……とゆっくりだがしっかり林檎を齧るイクトに私は少しばかり安心する。彼は出される料理はほとんど食べられないらしいが、ハジメといつも食べていたこの林檎だけは完食してくれるのだ。本当に何も食べられなくなったら今度こそ死んでしまう。それだけは何がなんでも阻止しなくては。
「そろそろ、私は行くから。明日はもっと食べなよ。ハジメだっていつまでもあんたの嫌いなもの代わりに食べてあげるような子供じゃないんだからね」
「わかねえよ食欲なんて」
「じゃあ、明日も食べれてなかったら多めに林檎剥いといてあげるから、それ食べといて。林檎なら比較的食べられるみたいだしね。ハジメも覚えといてね、イクトだけだったら忘れてそう」
『任せとけ!』
「はいはい、余ったらハジメも食べていいから静かに。ここ病室って言ってるでしょ」
今日も私は砂鉄の物体に呆れた表情を向けて適当なことを言いながら病室を出る……イクトの目が届かなくなったあたりで、私は『幼馴染二人の前の私』をやめた。
なんて虚しいのだろう。死んじゃった友達がそこにいないと分かっているのにまるでいるように喋るのは疲れる。いっそ私も幻覚を見るほどに疲れきって仕舞えばいくらか楽になるのだろうか……疲れた方が楽になるなんて、とんだワーカーホリックだけど。
上も厄介なことを押し付けてくるもんだ。そりゃあ、生き残ったイクトとカザネが一番辛いのは分かっているけれど、私だって仲の良かった四人の死が辛くて乗り越えられていられない状況だってのに。無理やりそれに向き合わせておきながら、知らないふりをしろだなんて無茶を言うのも大概にしてほしい。
それに加えて数日後に控えている楽座市で競り落とす予定の真打のために切り詰める予算書の作成とか、刳雲を持ち出し姿を消した六平国重の息子を名乗る男の調査のために戸籍の洗い出しとか、溜まってる仕事だってあるのに私を殺す気かってんだ。
イクトの前では出せない陰気を私は廊下でため息とともに吐き出しては、私はもう一人の病人に顔を見せにいくためにリノリウムの床を蹴るのだった。
*
「カザネー」
「……あっ」
「調子はどうかな。金属でかぶれたりとかなさそう?」
「そういうのはないです。ありがとうございます先輩」
「ん。よかった」
先輩は俺達が妖刀に敗れてからというもの、欠かさず見舞いに来てくれる。仕事の内容が治療でもなく、大量の事務仕事をこなしながら毎日毎日。
戦闘担当ではない彼女と知り合えたのは萩原さんと具柄さんの幼馴染という関係だったからだ。隊に入って日の浅い新参の俺よりも、きっとみんなと仲が良かっただろう。
「……すみません。俺があの時、ちゃんと『怪魑』を使えていたら」
「まだ言ってるの? 非戦闘員である私に言われても説得力ないと思うけど……相手はあの双城で使っていたのが妖刀っていうのなら無理もないって」
「でも……」
「カザネが報告してくれた、六平国重の息子……本当に息子なのかは分からないけど、そいつがしっかり仇を討ってくれたのは事実。でも、そこまで双城を追い詰めたのは特選部隊の功績。特選部隊は自分達の役割をしっかり果たした。カザネも……勿論、萩原もね」
「先輩」
「いいって、私のことは気にしなくっても。後輩は先輩の心配をするもんじゃありませんっ」
先輩はそんなことを言いながら椅子に座ってカバンから林檎と果物ナイフを取り出した。
「食べる? カザネは。萩原には食わせてきたけど」
「あっ嬉しいです。是非……先輩の持ってきてくれる林檎マジで美味いので」
「ほんと持つべきものは林檎農家の親戚だよねー」
先輩はそう言いながら林檎の皮を剥き始めた。彼女の手捌きはまるで手品のようでみるみるうちに林檎が裸になっていく。聞いたところによると、先輩は昔はよく萩原さんと具柄さんのためにこうして林檎の皮を剥いていたらしい。流石、年季があるというか。
「それにしても、カザネが林檎食ってくれてありがたいわ。最近、林檎食ってくれる奴が一人居なくなって困ってるんだ」
「……それって」
「あっ違うよ。彼氏のこと」
「かっ……!?」
「っていうか、元彼? 自分はしょっちゅう浮気ギリギリのことばっかりやってるくせに、仲の良い隊員の見舞いに行ってるだけで『浮気者!』って言って勝手に勘違いして私のこと振ってきたクソ野郎」
「な、なんでそんな奴と付き合っちゃったんですか……」
「自分でもわかんないや。付き合ってる頃ってそういう欠点って些細なことと思って気にすることが出来ないっぽいんだ。恋愛って人の脳を馬鹿にするらしいから」
そんなことを言いつつも、一切手を止めることなくあっという間に林檎を切り分けた先輩は、タッパーに入れて差し出してきた。ご丁寧に爪楊枝まで用意してくれているおかげか手を汚さずに済む。もう俺には右手を拭くための左手はないから、という気遣いなのだろう。
「……聞きました。先輩のこと」
「え、何を? まさか、私ったら自分で気付いてないだけで本当に浮気まがいのことを……?」
「いえ、じゃなくて、萩原さんの見てる具柄さんの幻覚に付き合ってるって」
「……はァ!? 無神経にも程があるでしょ、誰がカザネに言ったの!? 薊さんにチクってやる」
「違っ直接言われたわけじゃなくて……! 風の噂で聞いたというか、なので、その、人命に関わるようなことには……」
想定よりずっと先輩が怒らせてしまって、俺は慌てて取り繕う。薊さんの耳に入るようなことがあったらコトだ。あの人の鉄拳は制裁で終わらず消滅までいきかねない。
先輩はそれを聞いて額を抑えながら「だからカザネがまた気にしちゃったのか。全く余計なことを……」と独りごちていた。
「本当にあの時のことは私に関して気にすることはないよ……私はカザネと萩原が生きてくれていただけでも凄く嬉しいから」
先輩はぎこちない笑顔で俺にそう言った。それは本心ではあるのだろう。嘘ではないんだと思う。
でも、隠されている本音はきっと『みんなが生きていたらもっと嬉しかったんだけどな』なのだろう。当たり前なことだけれど、本音の見える下手な笑顔が俺の胸にちくりとした痛みを生んだ。
「正直、先輩が萩原さんのこと気にしてくれてるのは俺も嬉しいです。でも、先輩だって辛いはずなのに、ずっとそれに付き合う必要なんて……」
「いい。いいんだよカザネ……心配してくれるのは嬉しいけど」
先輩はそう言いながら、顔を伏せた。彼女の前髪で隠れた表情どのようなものか、俺には見えなかった。
「私はなんだかんだ言って、あいつの見舞いに行くのはそこまで嫌じゃないんだ。利用しているみたいで卑怯かもしれないんだけどさ……」
でもきっと、困ったような笑みを浮かべているに違いない……先輩が萩原さんや具柄さんのことを話すときに、そういう表情をよくするから。
昔はこうして苦労をかけられた、とか。
でも、あの時はああして助けられた、とか。
それにしても、まだあの癖は治ってないのか、とか。
「あそこに行くと、もう出来ないはずのハジメとイクトとの三人の会話が出来るから……」
二人を下の名前で呼んでは俺の前でだけこんな風に弱音を吐く時とか……そんな表情をする先輩のことを俺はずっと見てきたから。
先輩が、萩原さんの幻覚に付き合うことを卑怯と言うのなら、こんな先輩を見る特定席を譲ろうと思えない俺は一体なんだと言うのだろう……何かを口走る前に俺は無理やり、彼女の持ってきた林檎をしゃくりと齧っては自分の口を封じる。
罪の味が、するような気がした。