気付かなかった開幕

あのまま新一を置いて一足先に勤務先である帝丹高校に着けば、そのまま職員室に向かいデスクで授業の準備を始める。今日は一年と三年の受け持ちしかないから新一と会うのは放課後だろうか。


「おはようございます、久木先生。」
「岸本先生、おはようございます。」


準備をしていれば校門での生徒指導が終わったのか、体育教師である岸本が職員室に戻ってきた。
新一の通う高校と勤務先が一緒のため、公私を分けるために書類上は工藤姓だが普段は久木姓で読んでもらっている。というのは建前で実の家族を忘れないため、正式な場以外では久木紗良と名乗っているのだ。もちろんこのことはお父さんやお母さん、新一も理解してくれている。恐らく、わたしと新一が血の繋がらない家族だと知っているのはこの学校では彼の幼馴染くらいだろう。少し前まで海外にいたし。閑話休題。


「今日は工藤が遅刻ギリギリでしたが、寝坊でもしたんですかアイツは。」
「ははは、今日はゆっくりしてましたからね…うっかり時間を忘れてしまったんでしょうね。」


気を付けるよう言っておいてくださいね、とそう言いながら山岸は自分のデスクへと向かった。申し訳ない、新一。自分と話していたせいで早起きしていたにも関わらず危うく遅刻するところだったらしい。今日は新一の好きなものでも作ってあげるか…早くも今晩の夕飯のことを考えながら予鈴が鳴る前に受け持ちのクラスへと向かった。







キーンコーンカーンコーン

下校のチャイムとともに鞄を手にし、すでに片付けを終えたデスクを後にする。

「お先に失礼します。あとすみません、朝礼の時も連絡させていただきましたが研修で二週間留守になりますのでよろしくお願いします。」
「お疲れさまー。あ、そうだ久木先生って明日から海外研修でしたっけ?気を付けてくださいね。」
「お土産待ってますね!」
「ありがとうございます。研修だからお土産は期待しないでくださいね。では。」
「ええ、明日はいってらっしゃい。」
「いってきます。」


仲のいい正職の同僚たちが見送ってくれる中、一足先に学校を後にする。準備そのものは終わっているがなにせ出発は明日だ。早く帰ることに越したことはない。
途中、声を掛けてくれる生徒に挨拶を返しながら自宅に向かっていると前方でじゃれあっている見知った後ろ姿を見つけた。




「―――― 一度やったらやめられねーぜ…たんていはよー!!「なーにがやめられないって?平成のホームズくん?」げっ紗良…」
「あ!紗良さん!こんにちは。」

「こんにちは、蘭ちゃん。新ちゃーん?げって何よげって…あとお姉ちゃんでしょ!呼び捨てしない!」
「紗良は紗良なんだからいいだろ別にー。」


本当に何度言っても聞かないやつだ。いつの頃からか新一はわたしのことを姉と呼ばなくなった。昔は姉さん姉さん可愛かったのに…。


「…今日アンタの好きなもの作ってやろうと思ってたんだけど…レーズン入りのカレーにしてやる。」
「なっ!!レーズンだけは勘弁してくれ!!!頼むお姉様!!!!」
「たく、調子だけはいいんだから…あ、ごめんね蘭ちゃんお邪魔しちゃって。」
「え、あ、気にしないで下さい!相変わらず仲いいですよね、新一と。」
「そうねぇ…ま!年も離れてるカワイイ弟だしね!!あ、照れたでしょ。」
「うるせぇ…確かに、小さいころから一緒だったし、血は繋がってなくても姉弟だしな。」


「うらやましいなぁ…わたし、一人っ子だから…。」


姉弟の何気ない戯れを眺める蘭も目には羨望が表れており、紗良は小さく笑うといたずらっぽく笑った。


「あら、わたしは蘭ちゃんも妹みたいに思ってたけど?」
「え、」
「めいわく?」
「そんなことないです!うれしい…」
「今度一緒にご飯でも行きましょ?」
「はい!」


「それはいいけどよ、そろそろ帰ろーぜ?腹減った。」
「あ…新一、明日の約束、忘れてないでしょーね?」
「「約束…?」」
「いったじゃないの!?わたしが都大会で優勝したら遊園地に連れてってくれるって!!」


約束を知らない紗良と一緒になってとぼける新一に蘭の足技が繰り出される。
素早いソレを見極め避ける新一に紗良は相も変わらず流石我が弟!!と感心していた。運動はからっきしの自分は止めには入れないので傍観に徹する。


「あれー、何の事?」
「もお、いいわよ!!別に新一となんかいきたくなかったし!!あ、紗良さん一緒にいきませんか?」
「わたし?お誘いは嬉しいけど、でも折角なんだし新一と一緒のがいいわよ?絶対。アレはすっ呆けてるだけでちゃーんと覚えてるし。」
「そうそうジョーダンだよ、ジョーダン!ちゃんと覚えてるよ、明日10時にトロピカルランド!」
「…全部新一のおごりっていうのも忘れないでねっ」
「げ…そうだっけ?」


なんとか丸く収まったらしい。流石に高校生に全部おごりは大変だろうからお小遣いくらいやるか…。










翌朝

「新一ぃ!そろそろ出かける時間なんじゃない?大丈夫??」
「ああ、今でかけるとこー。」
「折角のデートなんだしちゃんとエスコートするのよぉ?おっとこーのこっ」


弟が女の子と二人で出かけるということで姉は嬉しそうである。それとは真逆に当の弟は不機嫌そうな顔をした。


「蘭と遊びに行くだけだろ、デートなんかじゃねぇよ。」
「何言ってんのよ!男と女がプライベートで二人きりで出かけるんだからデートでしょ!!そんでさっさと蘭ちゃんに告ってきなさい!!」
「な!!!!別に蘭とはなんでもねぇって言ってんだろ!!オレが好きなのはっ」
「好きなのは?」
「っなんでもねぇ!!行ってきます!!紗良も気をつけてけよ!!!搭乗前に連絡!!!」
「え、ちょ!いってらっしゃい!!アンタも気を付けるのよー!!!!」


顔を赤くしてさっさと出かけてしまった新一の後ろ姿に一瞬の予感が走った。
なんだろうか、何かが起こるような、嫌な予感。しかしいくら考えても答えは出ず、自分も出発しなくてはいけない時間が迫っていた。弟が事件を引き寄せやすいこともその事件に首を突っ込まずにはいられないことも十二分に知っていたこともあり、紗良はその予感を振り切り部屋へと向かった。




一昨日のうちに準備しておいた荷物を玄関へと運ぶ。お隣により、阿笠博士に留守の間新一のことを頼むと伝えれば事前に言っていたこともあり二つ返事で了承してくれた。少し話し込んでしまったせいか、挨拶もそこそこにタクシーを拾い空港へ向かえば着いたのはギリギリの時間で。急ぎ搭乗手続きを済ませ予定の飛行機へと乗り込む。その際手早く行ってきますとだけ新一にメールを送り電源を切る。
次に日本に戻ってくるのは二週間後。今頃新一は蘭とうまくやっているだろうか。事件に首を突っ込んでいないだろうか。そんなことを思いながら研修先の異国の地に思いを馳せた。






この時は夢にも思わなかった…



弟に、新一に会えなくなるということに…。




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