清掃員さんと動物言語
「では次は教科書133ページ目の実験から行う。事前に実験方法に目を通しておくように」

 クルーウェルがそう言うと、生徒たちは息も揃えず「はぁい」と気の抜けたような返事をした。
 まったく、今年の一年は勢いだけが売りのような問題児揃いというのに、勉強のこととなると急に元気がなくなるからどうしようもない。そのうえオンボロ寮の生徒まで抱える羽目になったのは災難と言うほかなかった。大体は上の学年になるにつれ少しずつ従順になっていくものの、この学年に限っては、果たして卒業までどれだけ問題を起こされるか分かったものではない。
 クルーウェルはぞろぞろと教室から出て行く生徒を見送りながら眉間を揉んだ。やっと午前中の授業が終わり、休憩が取れる。
 教科書一式を抱え教室から出て廊下を歩いていると、中庭に最近よく関わり合いになる清掃員を見つけた。
 暖かな陽が差す木陰でしゃがみ込み、楽しそうに何かを撫でまわしている。

「あ、先生良いところに」

 清掃員――ヒトハ・ナガツキはクルーウェルの姿を見つけると大きく手を振った。良いところに、と言うくらいだから呼ばれているのだろう。さすがに無視できず、気が進まないまま中庭に降りると、ヒトハは手元の毛玉を抱きあげてクルーウェルに突き出した。

「この子、さっき見つけたんですけど、どこに連れて行ったらいいですか?」

 この子と呼ばれた毛玉は、片手に抱えきれる程度の小さな犬だった。すんすんと空気を嗅いでは忙しなく周りを見渡している。
 ヒトハは犬の腹を撫でながら人語で「どこから来たのかな?」と問いかけていた。

「動物言語を使えばいいだろう」
「あ、確かにそうですね」

 ヒトハは犬を地面に降ろすと、軽く咳払いをした。

「わんわん、わん、わぉん、おぉん」
「?」

 犬はヒトハを見上げて何とか聞き取ろうと何度も首を傾げて見せたが、最後には困ったように「クーン」と小さく鳴いて、クルーウェルの方を見上げた。

「何ひとつ伝わっていないが」
「おぉん……」

 ヒトハは犬と同じように眉を下げると「動物言語、苦手なんですよねぇ」と言い訳をし始めた。苦手と言うにはあまりに酷かったので、そもそもちゃんと勉強したかどうか疑わしい。
 クルーウェルは犬に「シット、ステイ」と言いつけて、ヒトハに犬語の簡単な質問文を聴かせた。どこから来たのか問う、教科書の十数ページ以内にはある基礎中の基礎だ。ヒトハは難しそうな顔をしながらも、クルーウェルに続いて同じ文言を繰り返した。

「そう――そこは舌を巻いて、そこは巻かない。――違う、語尾は下げて――――……ビー クワイエット! おい、魔法士養成学校を出ていると言ったな?どんな手を使って卒業したのか言ってみろ! 生まれたての仔犬の方がまだマシな発音だぞ!」
「わん……」

 ヒトハは眉を下げるどころか肩まで丸めてしょんぼりとした。生徒を叱る時に見る姿そのままである。犬はクルーウェルとヒトハの顔を交互に見てハラハラした様子だ。
 動物言語は専門ではないが、ここまでくると一文くらいは完璧に言わせたくなる。出来の悪い犬は徹底的に躾をしなければ気が済まない。

「先生、理系科目専門なのに動物言語もできるんですね」
「理系科目しかできない教師がいるものか。もう一度」
「えぇ……」

 指揮棒を手のひらに打ち付けて見せると、観念したのかヒトハはまた意味不明なイントネーションで「わんわん」と繰り返したのだった。
 そのやり取りを数回繰り返してやっと形になってくると、だんだんと意味が通るようになってきた。このまま夜になるかと思ったくらいだったので、学歴詐称レベルから平均レベルまで引き上げられたのはなかなかの達成感だった。まさか専門外の教科を他人に指導する羽目になるとは思わなかったが。
 ヒトハはクルーウェルのやっと納得のいったような顔を見て、しゃがみ込んで改めて犬に話しかけた。

「ワンワン、ワォン、オォン、ワン(どこから来たのですか?)」

 何十分もかけて念入りに指導され、意味の分かる発音で話しかけた結果、犬が返したのは「ワォン」という一言だけだった。

「……なんて言ってます?」
「東から、垣根の隙間を潜ってきたらしい」
「全然わからなかったです」

 ヒトハは少し納得のいかない様子で再び犬を撫でまわし始めた。このままでは犬を撫でまわして一日が終わる。

「スタンドアップ」

 そう言うと、犬はともかくヒトハまで立ち上がった。

「そういえば、先生は犬の動物言語もできるのに、なんで犬にコマンドを使うんですか?」
「……なぜ指示する側が、指示される側に合わせなければならない」
「たしかに……?」

 分かっているのか分かっていないのか、ヒトハは曖昧に納得した振りをしたが、クルーウェルにはお見通しだった。この清掃員、隠しているつもりでも大体全部顔に出ている。

「おおかた動物言語の授業用の犬だろう。早く教室に連れて行け」
「わかりました」

 ヒトハは犬を抱え東の方角へ向かおうとしたが、一歩踏み出したところで後ろから声がかかった。

「すみません、その犬見せてもらってもいいですか」

 声を掛けてきたのはハーツラビュル寮の副寮長、トレイ・クローバーだった。眼鏡を指で押し上げながら、少し疲れた様子である。

「やっぱり、トレイン先生が探していた犬ですね。次の動物言語の授業で協力してもらう予定だったので助かりました」
「はい、どうぞ」
「見つけてくださってありがとうございます」

 トレイはヒトハから犬を引き取ると片手に抱え、「では授業が始まるので、失礼します」と丁寧に言ってヒトハが向かう予定だった方角へ駆けていく。
 クルーウェルはその姿を見送りながら昼休み終了の鐘を聞く羽目になり、結局、一分も休むことができなかった。

「……ナガツキ」
「はい」
「次に魔法薬学室に来る時は、図書館から『動物言語学の基礎T』を借りてくるように」

 ヒトハは何か言いたげに何度か口を開けたり閉じたりした後、ややあって「はい」と答えたのだった。
list
2022.02.27