ブックエンドサウンドノイズ
午前深夜の短編集ねくすと!





「爽君おかえりなさい」

仕事から帰ってきて、家のドア鍵を探そうとした時だ。カチャリと戸が開き姉さんが出迎えてくれた。

「どうしたんだい。これから何処かに出掛けるのかい」

「いいえ、今日は父さんと母さんは同窓会旅行で居ないもので。
退屈なので玄関で爽君の帰りを待っておりました」

「退屈であるなら、もう少し有意義な過ごし方もあるのでは無いだろうか」

「あら、人を待ち焦がれるというのは、とても素敵な事だと思います。
さあさ、いつまでも玄関で立ち話も冷えるでしょう。中にお入りなさい」

「それもそうだ。ただいま姉さん」

「おかえり爽君」

姉さんはニッコリと笑い、台所の方へと歩いていった。

僕はというとコートをハンガーに掛け、居間のソファーに腰掛けようとしたのが、
口寂しさを覚えたので掛けたコートのポケットから煙草を取り出し火を付ける。

ふぅ。と煙を吐き出しソファーに腰を降ろせば、
そこへワンテンポ遅れて、もう古くなった空気清浄機が、やかましく音を立てた。

「また煙草ですか。そんな物を吸ってはお身体に障ります」

台所から非難の声がする。
空気清浄機の音ですぐに気付かれていけない。

「そう言わないでおくれ。僕から帰宅後の一服を取り上げようものなら、身体より先に気が触れてしまうだろうよ」

「爽君は真面目な方ですので、多少おかしくなられた方が、真実ひとのバランスが取れて良かろうと思います」

どうだか。

僕は吸い終わったものを灰皿へと消し置いた。
すぐ風呂に浸ろうという気分でも無い。本棚から読みかけの文庫に手を伸ばす。

棚の並びにまだ隙間があり、目的の小説は倒れて寝ていた。大変だ。好きな作家の本であったからして、もし傷や折れ目など付いていては残念に気が沈んでしまう。

「よかった。どうやら無事のようだ」

本の装丁を舐めるように確認して一安心である。
そのまま読書に耽ってしばらく、空気清浄機の煩い音はなりを潜め、代わりに包丁のトントンと軽快な音が台所から聞こえてくる。
なんとなしに本を閉じ、そのリズムに耳を傾けていたら、見越したように姉さんから言葉を投げ掛けられた。

「簡単なものですが、すぐに出来ますからお待ち下さいね」

「おっとすまない。実は外で済ませてきたんだ。
僕の仕事といったら、いつも何時終わるか、てんで検討が付かない。
だから、普段は外で食べて帰っている事なんて知っているだろう?」

「男の子なのですから、まだ食べられるでしょう。
爽君はもっと、人の手料理というものを食べなくてはなりません。
それとも、貴方をずっと待っていた私に、一人寂しく食事を摂れと言うのでしょうか」

「いや、いや、僕の胃もどうして、ここに来てまだ少々食べ足りないなと訴えてきていたのだ。
確かにひとり外食ばかりだと、人の温かみを忘れてしまいそうでいけない」

「それは何よりです」

コトリとテーブルに料理を置いて姉さん。
運ぶのを手伝うと言えば、どうかそのままでゆっくりして下さいとの事。
簡単な物と言った割には、いくつもの副菜が並び、感心と共にせわしく運ぶ姉さんに申し訳ない気持ちも沸く。
せめてサラダに掛かったサランラップを取る手伝くらいはするとした。





「お味は、いかがでしたでしょうか」

食事が済んで料理の感想を訊ねられれば、そのままを伝えるとした。

「正味おどろいたよ。僕は姉さんに気を利かせて、実際は大して空いてもなかった腹で臨んだのだ。
それがどうだ。派手でなくとも素朴で繊細な味に舌鼓を打てば、いつの間にか皿から料理が消えていた。まさしく美味しかったのだ。
いやあ、特に薩摩芋の入った味噌汁は初めてだったが、これがまた良い」

「それはよろしゅう御座いました。教室に通い料理を習った甲斐があるというものです」

「おや、いつの間にそんな習い事を」

「爽君を驚かせようと、先月から週に二回ほ」

その時だ。ブツンとした音と同時に、町という町から灯りが消え、辺りは暗闇に閉ざされた。
この家とて真っ暗な有り様となっている。

「まいったな。どうやら停電してしまったようだぞ」

僕はポケットをまさぐり、灯りとしてのライターを探した。

「確か蝋燭が本棚の横にあったように憶えています」と姉さん。
おそらく立ち上がったのであろう衣擦れの音に、「どれ、危ないのでライターを点けるまで待ちなさい」とたしなめる。

だが注意が遅かったかな、火を付ければ「きゃあ」と姉さんが机に足を取られ、転ぶ瞬間であった。

すわ一大事とライターを放り捨て、危機一髪に暗闇の中で肩を掴み支える。

「ああ危なかった。このような時こそ注意を怠ってはいかんというものだ」

「え、ええ。そうですね」

姉さんとはいえ、年頃の乙女を抱きすくめたままは憚られよう。
軽く力を入れ、掴んだ肩を離そうとしたが、なにやら離れない。
夜目を凝らし、どうしたことだと首を捻れば、姉さんが僕の袖を掴んでいるではないか。

「そうされると動けようにも動けない」

「それでよいのです。これこう暗くては心細くて仕方ありません。今しばらくこうして傍に居させて下さい」

「困ったものだ。まるで童の言い草ではないか」

「このような暗闇の中での事。私の心が童子に戻ろうと、誰に見咎められましょう。
それに、爽君が幼い時分、停電や雷などの時はいつも私に抱き付いて離れなかったではありませんか。そのお返しです」

「そんな昔の話、もう忘れてしまっている」

「私が懐かしいのです。これは我が儘ですが、大切な思い出です。爽君にももう一度あの時のようにして欲しいのです」

「どのようにすれば」

「もっと強く、抱き締めて下さいませ。あの頃の爽君ときたら強くしがみ付いてきたものです。
ともすれば、長年に私の心に潜む切ない寂しさも埋まるように思えます」

僕はたまらず、姉さんの肩に置いた手を腰にまわし引き寄せるように抱き締めた。

僕たちは、あの本棚に挿さった文庫本と同じだ。
今までは危なげでも互いに支え合っていた。
それがふとした切っ掛けで、いとも簡単に寄り掛かって倒れ込む。

「姉さん」

「ああっ、このままずっと世界が闇に閉ざされればいいのに。こんな幸せ、夢にまで見ておりました。そうです。これはきっと夢なのです」

「夢であればこそ、僕も素直になれるというものです」

前も見えない闇の中、一組の本が崩れようと誰が気付くものか。

だが現実は無情、夢は儚いもの。
ここぞとばかりに電気は再開し、カッ、カッ、ぴかっと蛍光灯に明かりが戻る。
*ぅぅんと家電たちも小さな声で低く復活の音を告げた。

なんということか。

暗闇の助けがなければ、僕たちは唯の家族という光に晒されてしまう。
ああ本が倒れたねと、元の位置に直さなくてはならないのだ。

「いいえ、そうではありません」

姉さんは、離さないと言わんばかりに、今度は僕の背中に腕をまわしていた。

「爽君。私は今、両の目蓋を閉じています。
ああ困った。困りました。これでは停電が直ったかどうか、判断ができません」

余りに見え透いた言い訳であった。けれども、姉さんの閉じた瞳から伝う涙にこそ、隠せぬ真実が見てとれたのだ。

「そうだね。きっと停電したままなのだろうよ。こうしていないと、また転んでしまうかもしれないから」

僕は、か細い腰にまわしていた手に再び力を込めた。

「あっ、だ、だめ。爽く、今はお腹、が」

ぷぅっ。



ああ、姉さん。


味噌汁に薩摩芋なんて入れるから。


どうしたものか。ムードも何もあったもんじゃあない。


「かっ、風の音でしょうかね」

目を閉じたまま顔を真っ赤にした姉さん。
存外心臓が強いのかも知れない。

もう、こちらとしては、黙っていれば知らない振りも出来たというに。

だけれども、恥ずかしがっている様子が可愛くて、大層に愛しくあって。
まるで本能に操られたのか、僕の手は姉さんの髪を撫で、顎を寄せ、


ガータガタガガガタガガ。




あっかんわー。


ここに来て空気清浄機が主張しちゃったわー。


風の音()に反応しちゃってるわー。



空気清浄機の音だけが支配する沈黙に、とうとう僕は耐えきれなくなって口を開いた。

「ほら、聞こえるよね空気清浄機の騒音」

「えっ、ええ。はい」

未だに瞳は閉じたままだったが、まわされた腕の力は抜けてしまっていたから、
そのまま自然に腕は解け、互いに手は下がっていた。

「知っているとは思うのだけれど。空気清浄機とは電気で動いているらしい」

姉さんは頑固に目を閉じ、頬を膨らませて拗ねているようだ。

「もう、停電って、苦しいのでは無いだろうか」

「え、あの、あ、あっ。しからば耳の鼓膜を破っ」

「おやめなさい」

僕は文庫を手に取り、姉さんの頭をスパコーンと叩いた。








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