第二話 開拳
第一章 入門編



 
 翌日、月曜日。

 長方形に広がる一室に、気持ちのいい朝日が窓ガラスを通して差し込んでいる。 

 長年使われて煤けた黒板、その手前に立つ傷だらけな教卓、そしてその前面に広がるように並んだ学生机が、日光を受けてその姿を現している。

 その場所、朝の一年三組の教室には、すでに多くの生徒が集まっていた。

 だがまだ高校という新しい生活空間に慣れていないのか、早々に固まったいくつかのグループを除いて、何をしたらいいか分からずに呆然と着席している生徒が多かった。

 そんな中、彼らと同クラスに所属している工藤要は自分の席――窓際から二列目の先頭――で頬杖をつき、窓の向こうに広がる空と雲を眺めながらじっと座っている。

 要はその体勢のまま彫像のように動かない。だがその胸中では感慨深いものを感じていた。

 とうとう今日から、本格的な崩陣拳の修行が始まる。

 この日をどれだけ心待ちにしたことか。待っていたのはたった一年弱のはずだが、待っている間はそれが二、三倍長く感じられた。

 だが、どれだけ長く感じようと、時は流れるもの。その流れのゴールに、自分はとうとうたどり着いたのだ。

 いや、厳密に言うとまだゴールではない。むしろこれからがスタートなのだ――武術修行の。

 去年、小畑たち九人を一人で全滅させた易宝の姿が、まるで昨日の出来事のように鮮明に思い出される。 

 これこそが自分の理想像だ。

 達人になりたい……とまではいかなくとも、今よりはずっと強くなりたいと思う。

 これからどんな修行をするのか、まだ想像がつかない。もしかすると、凄まじく大変なものかもしれない。

 でも、もしそうだったとしても、耐え抜きたいと思う。

 いや、きっと耐えられると信じよう。

 強くなりたい。あの時湧き出したこの気持ちは、決して半端なものだとは思えないから。

 だがその前に――まずは学校を切り抜けなければならないのだ。

 まだ入学したてなので、今日から一週間の間は半ドンで下校出来るのだが、それでも、それまでの時間が長いように感じてしまう。よほど修行が楽しみなのか自分は。

 ぶっちゃけてしまうと、要は崩陣拳の修行ばかりが楽しみで、学校でどう過ごそうかなどはあまり考えていなかった。

 学生としては、かなり失格かもしれない。優等生になる、とまではいかなくても、勉強などに関してもそこそこ考えなければ。要は自分で自分をたしなめる。

 要は教室の丸い掛け時計を見た。ホームルームまでまだ二十分近くもある。

 一階行って飲み物でも買ってくるか。新たに行動方針を決めた要は、座り続けて少しだるくなった腰を上げる。

 うつむきながら気だるそうに歩を進め、後ろの出入り口から教室を出ようとした時、

「痛っ!」

 人と軽くぶつかる衝撃とともに、ぶつかった方向からそんな声が聞こえた。男の声だ。

 要はぶつかった勢いでたたらを踏み、数歩後ろへ下がる。

 いけないいけない。下を見てて前に注意がいってなかった。自分の非を感じた要は顔を上げて素直に謝ろうとしたが――




「ってぇな! どこ見て歩いてやがんだこのタコ! 死ね!!」




 その前に、そんな怒声が要の鼓膜をつんざいた。

 気が抜けていた時に大ボリュームを浴びたため、そのショックで一瞬ひるんでしまう。

 ――死ね? ちょっとぶつかっただけでそこまで言うか、普通?

 なんだか理不尽なものを感じた要は、相手の面を拝んでやろうかと顔を上げる。

 そこには、金髪の大男がどっしりと立っていた。

 百八十センチは確実にいくであろう身長に、広い肩幅。それらを包む学校指定の詰襟はボタンを全開に着崩され、下に着ている血のように真っ赤なTシャツを露にしている。
 金色に染められた短めの毛髪は前髪がトサカのように逆立っており、その下にある鋭い瞳から発せられる眼光は、自分へ突き刺すように向けられていた。

「……何見てやがんだよ? なんか文句あんのか? え?」

 その大男はチンピラ臭い見た目通りの汚い口調で言ってくる。

「いや……別にないけど」
「じゃあ早くどけ。通行の邪魔だボケナス」
「なっ……!」

 なんだコイツ、すっげームカつく! 大男の物言いに要はムッとする。

 なんか言い返してやろうと口を開きかけたその時、大男の後ろからブーイングのような罵声が飛んできた。

「オラ、なに棒立ちしてんだ! さっさとどけやコラァ!!」
「鹿賀(かが)さんが通れねーだろ!!」 
「ハネ殺すぞチビ!!」

 突然の怒鳴り声に、要は再度ビクッと反応する。

 見ると、大男の後ろには、他にも男子が三人立っていた。

 中途半端に染色された頭髪に、トランクスが見えんばかりに下ろされたズボン。不自然な甘い香り。三人とも同じような特徴を持っていた。いかにもソッチ側といった感じの連中だ。

 三人は要に罵声を浴びせ終えると、大男の顔色を伺うかのようにチラチラとそちらへ視線を送りだす。見たところ、この大男の手下といったところか。

 そんな風に分析していると、不意に――腹部に重い衝撃が突き刺さった。

 後ろへ向かう運動エネルギーに合わせるように、要の華奢で軽い体は後方へと押し流され、煤けたリノリウムの床に尻餅を付いた。

「いってぇ……!」

 痛む腹部を右手で押さえながら、要は衝撃が向かって来た方向を薄目で睨む。大男が右足を軽く上げてこちらへ突き出していた。蹴られたのだ。

「邪魔だっつってんだろ、聞こえねぇのかツンボ野郎」

 大男はそう吐き捨てると、手下三人とともに尻餅を付いた要を捨て置いて通り過ぎ、ズカズカと教室へと入って行く。手下三人はすれ違いざまにこちらを見て「バーカ」とでも言いたげに嘲笑をうかべていた。

 ――あの野郎!

 頭がカーっと熱くなった要は立ち上がり、大男の後ろ姿を睨みつけ、歩みを進めようとした。

「わ!」

 だがその瞬間、後ろから誰かに右肩を掴まれる。

 振り返ると、クラスの男子の一人がこわばった表情で要の肩を掴んでいた。昨日の自己紹介でちらっと見た顔だ。名前は覚えていないが。

「君、工藤くんだっけ? 知らないかもしれないだろうから言っとくけど、あの男には関わらない方がいいよ。危険な奴だから」

 その男子は小刻みにかぶりを振りながら、耳打ちするような小さな声で言ってきた。

「そうなの?」
「うん。あいつは鹿賀達彦(たつひこ)っていう、この辺じゃ有名な悪党なんだよ」
「ってことはあいつ、強いのか」
「強いだけじゃないよ。すごい凶暴で、一度手を出したら救急車出動レベルになるまで殴るのを止めないって話。あいつのTシャツ赤かっただろ? あのTシャツは元々真っ白だったんだけど、ケンカで相手を半殺しにするたびに返り血を浴びて真っ赤に染まっていったって噂があるんだよ。本当かどうかは知らないけど」
「噂だろ?」
「でも、危ない奴だって事に変わりはないよ。縁を作らないのが一番だって」

 いいから関わるな、そんな感じで念を押してくる男子に、要は何も言えなくなる。

 要は遠くにいる大男こと、鹿賀達彦を睨んだ。

 窓際の最後尾の席でふんぞり返っている。さらにその周りには三人の手下が集まって何やら談笑していた。

 ――彼もこう言ってくれてるわけだし、落ち着こう。

 要は熱くなった頭を無理矢理クールダウンさせる。もう中坊じゃない。少しはおとなしくしよう。








 ◆◆◆◆◆◆








 易宝養生院の台所の隅には、段差とともに鉄製の軽いドアが一つ取り付けられている。

 そしてそれは、母屋に隣接した中庭に直結する勝手口だ。

 開けた途端、土質の地面が正方形状に広がっており、その周囲は縦二メートル程度の木塀によって囲われている。
 母屋の手前にはホース付きの蛇口が設置されており、その横にはススだらけのバーベキューセットなどが並んでいる。おそらく、時々ここでバーベキューなどもするのだろう。

 だが、今その中庭で行われているのはバーベキューではなかった。

 中庭の中心では、大木を抱くような腕の形を取りながら中腰の姿勢――『頂天式』を保っている工藤要と、それを隣で神妙にして見ている黒い唐装の男、劉易宝が立っていた。

 上には白いTシャツ、そして下には黒いカンフーズボンに黒革のカンフーシューズという風貌の要は、額に汗を作り険しい顔をしながら、苦痛を伴う『頂天式』の姿勢を維持したまま静止していた。

 正午の日差しがほのかに肌を焼き、毛穴という毛穴が汗を放出する。

 天から垂直に降り注ぐ重力は自分をいじめにかかり、その負荷で膝が笑っている。

 『頂天式』は、その姿勢を長時間維持しなければならない。
 足腰の鍛錬の意味合いも強いが、苦しい体勢を維持するのには他にも理由がある。
 人間というのは、苦痛を伴って覚えた感覚は忘れにくくなるものだという。
 全身に『繋がり』を持った状態を苦痛とともに長時間キープすることで、自身の肉体を崩陣拳専用へと無理矢理変革させるのだ。
 言ってしまうと、要はこの地味で苦しい練功法があまり好きではない。

 半ドンの授業を終えてから急いでここへやって来て、着替えてからすぐにこの『頂天式』をやらされ始めたが、足腰に感じる苦痛のせいで時間を数える余裕がないため、立ち始めてもう何分経ったか分からない。 

 いい加減キツくなってきた。早く終わらないだろうか。

「――起来(チーライ)」

 易宝が静かに告げる。「立ち上がれ」という意味らしい。先ほど本人に聞いた。

 ようやく来た指示通り要はゆっくりと立ち上がる。

 膝が伸びきると疲労感を吐露するように深くため息をつき、額から湧水のように流れる汗を拭いながら隣の易宝に力なく問うた。

「師父(せんせい)…………もう『頂天式』って終わりなんじゃないの……」

 『頂天式』は、全身の『繋がり』を作る修行だ。

 そして昨日易宝は、自分の体にはもう『繋がり』ができている、そう言ったはず。

 ならもう『頂天式』をやる意味はないんじゃないのか。要の問いには、そんなニュアンスがこもっていた。

 それを読み取ったのか、易宝は何を言わんやといった顔で答えた。

「アホぬかせ。『頂天式』は崩陣拳の基礎であり、命ともいえる練功法だぞ。それに終わりなどあるものか」

 要は生気が抜けたような顔をする。うそ。続くの? このキツくて地味でカッコ悪いポーズが? 永遠に?

「言っておくが、『頂天式』の役割はただ『繋がり』を作るだけではないぞ? この練功法には、まだまだ秘密が隠されているのだ。掘り下げて鍛えれば、おぬしの崩陣拳の精度は格段に上がるはず」
「うぇー……?」
「それとも――強くなりたくないのか?」

 要はハッとし、ブンブンとかぶりを振った。そうだ。俺は何のために修行を始めた? 強くなるためだろ。この程度でくじけたら、この先どうする? 自分自身を叱咤激励した。

「よしいい子だ。安心しろ。今日の『頂天式』の修行はもうこれで終わりだ。これからはお待ちかねの攻撃技術を教えてやる」
「攻撃技術?」

 易宝は軽く咳払いすると、語り始めた。

「前にも言ったが、崩陣拳は『繋がり』を持った全身の筋肉を動作させて強力な力を生み出し、それを打撃力として相手に叩き込むという攻撃方法をとる。そしてこのような技術を『発力(ファーリー)』という」
「ふぁーりー?」
「「『力』を『発』する」と書く。個々の筋肉の力は弱く矮小だが、それらの筋肉に『繋がり』を作り、まとめて動かすことで、小柄な、あるいは線の細い者でも、大柄な相手を跪かせる強烈な一撃を放つことができるというわけだ」

 そう言うと易宝は揚々とした顔で、自身の細い体型をアピールするように腰に手を当て胸を張る。

「わしを見ろ。スマートだろう? 発力ができるようになれば、こんな体でもデカい小僧どもを吹っ飛ばしまくれるんだ」
「……俺でも?」
「当然だろう? 武術とは本来、弱い人間が強くなるための技術の集合体で、中国拳法ではそれが特に顕著だ。ひどい虚弱体質だった者が名だたる達人になった例も多いくらいだからのう。強い人間にしか使えないようなら、その時点で存在価値はなくなるさ」

 要の胸のうちに熱いものが宿る。

 嬉しかったのだ。

 自分は昔から体が大きくなく、よくそのことでからかわれた。
 そいつらと衝突し、ケンカもよくしたが、勝てたことはあまりなかった。

 そんな自分でも、強くなれるというのだ。

 そんな希望の言葉を聞いて、俄然やる気が湧いてきた。

「だが、その発力を身につけるには、まずはそのための方法を覚えなきゃならん。これからやるのは、それを覚えて発力を身につけるための練習だ。その名も『開拳(かいけん)』」
「『開拳』?」
「今から見せてやる。よーく見ておけよ」 

 要は力強く頷いた。

 易宝は構えをとる――右拳を脇腹に、左拳を前方に構え、右足を軸足にして腰を落とす。眉間と鼻先は前の左拳に向ける。
 そして右足を一気に伸ばし、左足で前へ力強く踏み込む。それと同時に前に出していた左拳を脇腹に引き、右拳を鋭い風切り音とともに突き出した。

 易宝がやってみせたのは、驚くほど普通の正拳突きだった。

 だが彼のそれは、素人目で見ても群を抜いていることが分かった。

 無駄な力みの無いしなやかさの中に針のような鋭さが混じったような、疾く、そして力強い拳打。有象無象には出し得ない強大な何かが、そこからは感じられた。

 見入ってしまっていることに気付き、要はハッとして我に返った。

「これが『開拳』だ。腰と引き手の力、そして後ろ足で地を踏み切る力、これらを一拳に乗せて打つ。一見単純な正拳突きだが、この技には発力のエッセンスが含まれている」
「エッセンス?」
「『上半身と下半身の動作の一致』だ。カナ坊、おぬしはなぜ猫があれほど優れたジャンプ力を出せるのか、わかるか?」
「……脚力が強いから?」
「まぁ……間違いではないが、より厳密に言うなら、足と背中に『繋がり』があるからだ」

 『繋がり』という聞き覚えのありまくる言葉に、要はピクリと反応する。

「ニャン公はその骨格の構造上、足と背中を連動させて使うことができる。それによって、脚力に脊椎のバネの力を加えたより大きな力を使えるから、あのジャンプ力を誇れるんだ」

 要はようやく、猫の話を引き合いに出した理由に気がついた。

「……まさか崩陣拳は、人間の体でソレをやるのか?」
「察しがいいのう、その通りだ。猫が『繋がり』を持った足と背中を連動させて高く跳ぶのと同じように、崩陣拳では筋肉間の『繋がり』を持った体を利用する。全身の動作を連動させ、それによって生み出された運動エネルギーを一つにまとめ上げ、その力で打つ! これこそが崩陣拳の発力だ」

 なんだか、だんだんすごい話になってきた。

「――さて、そろそろ『開拳』を実際にやってもらおうか。はなっから全部一気に叩き込みたいところだが、この技は少々特殊な拳の出し方をするからのう。まずはそれから教えよう。わしの真似をして構えろ」

 易宝はそう言うと、右拳を脇腹に、左拳を鼻先の延長上に突き出した形を作る。

 要もそれに倣い、両拳を構えた。

「よいな? まずは肩の力を抜く」

 易宝の指示通り、要は肩を脱力させる。

「脇腹に構えた右拳の行き先は、鼻先の延長線上だ。そこに意識を集中。そのまま右拳は動かさず、へそ周りの捻りと引き手である左拳の引き込みを同時に行え。さあ――打(ダ)ッ!」

 易宝の「シュビッ」という拳音を耳にすると同時に、要も動作を開始。
 鼻先の延長線上に意識を集中。
 そしてへそ周りを捻ると同時に、前に構えていた左拳を脇腹へ引いた。



 すると――右脇腹に構えていた右拳が、矢のように前方へ突き出された。



 ――えっ、何だ今のは!?

 不思議な感覚に要は目を丸くする。

 拳が「勝手に前へ進んだ」のだ。

 腰を捻り、左拳を引いた瞬間、右拳はまるで前側から強く引っ張り込まれるような勢いで伸びていった――自分の意思に関係なく。

 ……これは一体?

 そんな要の疑問を読んだのか、易宝はいきなり答えを出してきた。

「言ったろう? おぬしの体にはもう『繋がり』があると。その『繋がり』によっておぬしの両腕、両肩も、腰背部の筋肉を介して繋がっておる。いわば、滑車についた一本の紐のような状態だな。その状態で引き手を引き、腰を捻ることで、反対側の手に反作用力が伝わり、その手は自然に前へ進む。「通背(トンベイ)」という技術だ」
「へぇー……なんかすげーなぁ」

 自分の両腕をまじまじと見て、要は感嘆の声をもらす。

 易宝はそれを見て納得したように頷くと、

「よし、覚えたな? これを覚えればあとは簡単だ。こいつに足の動きを加えてやればいい」

 そう言って易宝は、足の動きのみをやってみせる。

 片足を軸足にして腰を落とし、それを一気にクッと伸ばしてもう片方の足で踏み込む。しなやかだが勢いのある歩法。

「こいつは後ろ足の踏み切りの力を使うための歩法だ。これによって生まれた足の力とさっきの「通背」の力、この二つを合わせて『開拳』は威力を発揮する。さあ、やってみろ」

 要は言われるがまま、両拳を構え、腰を落とす。気を引き締め、意識を鼻先の向かう先へと集中。

 そして自重の乗った後ろ足で大地を踏み台にし、腰と引き手を使って拳を突き出す。

「ダメだ。手足の協調ができていない。順序をこなすように動かすのではなく、手足の動きを終始合わせるのだ。踏み込みとともに全ての動作が終わるように全身をコントロールせよ」

 早速、易宝から注意を受ける。

 要は重心を移した足にもう片方の足を引き寄せ、言われたことに気を配りつつ再び拳打。

「足が少し早い! もう少し足をゆっくりと動かすのだ!」

 易宝の檄も再度飛ぶ。

 足をゆっくり、足をゆっくり…………脳内で反芻しながら要は踏み込み、三度目の突きを放つ。

「今度は手が早すぎるぞ! 慌てるでない、遅くてもいいから協調を意識するのだ!」

 ちくしょう、今度は手かよ。

 じりじりした気持ちを抱えながら、要は再び拳を振るうが、そんな精神状態でうまくいくはずもなく、また注意を受けてしまう。

 十回、二十回、二十五回、二十九回、要は易宝から大なり小なり注意を受けながら、どんどん回数を積み重ねていく。

 そして、三十回目の拳を突き出した時――――

「――えっ?」

 突然感じた違和感に、要は思わず足を止める。

 足を踏み込んだ瞬間、突き出した拳に不思議な感覚を得たのだ。

 拳が急に――ズシッとその重量を増した。

 それは刹那的な感覚だったが、気のせいでは断じてない。確かに一瞬ながら我が拳に感じたのだ。

「カナ坊」

 正拳突きのポーズのまま惚けていた要に、易宝が呼びかける。

「……師父」
「どうした?」
「今、俺の拳が――」
「重くなったか?」
「……!」

 見透かしたように微笑む易宝の指摘に、要は目を丸くして驚く。

「成功したな。その感覚こそが、全ての力が一箇所に集まった証拠だ。その感覚を忘れるな」

 要は嬉しそうにこくんと頷く。

「通背」といい、今といい、今日は不思議な体験ばかりだ。

 だが易宝は要の背中を軽く叩くと、

「安心するのはまだ早いぞ? おぬしは三十回やって、やっとその感覚を得られたわけだが、打った回数全部でその感覚が得られなければ合格ラインとは言えん。大変なのはこれからだぞ?」
「……マジ?」
「当然だ。技というのは確実に成功させられてナンボだろう。戦場にジャムを起こしまくる銃なんぞわざわざ持って行きたくはなかろう?」
「まあ……そうだけど」

 ぐうの音も出なくなる要。


 ――それから、その日の修行は夕方まで続き、『開拳』に終始した。


 終わった後、汗だくで息を切らせながら中庭で大の字になり、春の夕日を眺めつつ思った。

 先はまだまだ長いなあ、と。


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