「せや安吾、自分もええ歳やし、見合いしたらどうや?」
「…いえ、結構です。」
「そんな事云わんと。ちょっと話するだけでええねん」
名前さんの次は僕か。安吾は安直にそう思った。
仕事について少し話す機会があっただけであったのに、退出しようとした矢先に自分を縫い止めるその言葉は、先刻の重要な話とはだいぶかけ離れた話題であった。
縁談といえば、少し前に同僚である名字名前にもそういった話があった。縁談があっただろう次の日に出勤してきた彼女はだいぶ疲弊しており、それ以上深入りする事は出来ず破談したという結論しか安吾は聞いていない。否、直接的な言葉を聞いた訳では無いが、彼女の雰囲気や返事からすれば恐らくそうであろうと推測しただけである。
ただ、その結果が不満であったのかただのお節介か、種田山頭火は次のターゲットを別の者に移し替えたようだ。確かに坂口安吾には恋人は居ないしそもそも作る機会など無い。そんな事を考えるよりも仕事の方が立て込んで暇は無く、立場上敵も多いのでそういったものはあまり作りたがらない主義であった。
何度断っても食い下がってくる種田に内心溜息を零し、先に折れた安吾は「仕事なら承りますが」と伝えればニヤリと笑みを浮かべた。
「ほな次の日曜空けといてな」
「はあ。」
坂口安吾は少し面倒臭そうな雰囲気を纏いながら、その場を後にした。

「え、先輩が縁談!?」
「静かにして下さい。全く、無賃残業をさせられる気分です」
「そう思ってるの先輩だけじゃないっスかね」
「はぁ…」
退出する前に押しつけられた見合い写真は、開ける事も無くデスクに放られていた。白を貴重とした綺麗な写真台紙を手に取り、本人の許可も無く勝手に開いては見物した。
「おぉ、結構美人…本当に興味無いんですか?」
「何処かの莫迦とは違って外見で選ばないので」
「ほほーん、成る程」
これは面白そうな気配を察知したと云わんばかりににこやかな笑みを浮かべて安吾を見る村社と、それを全く見向きもせずに業務を遂行している安吾。きっと仕事に勤しんで動かないだろうと判断した村社は、その写真を手に持ったままある人物の所に軽やかに足を向けた。
「名前せーんぱい!」
「なーにー」
「うわー…眠そう…」
目的である名字名前の所まで行けば、彼女は頭をデスクの上に置いて眠そうに机と一体化していた。最早目も開いておらず、寝落ちする数秒前といった舐め腐った勤務態度に村社が慌てる程だ。こんな姿、同僚である安吾が見れば確実怒られるだろう。村社は安吾を一目見てこちらを見ていない事を確認し、胸を撫で下ろした。
「日差しがねぇ…善い感じにねぇ…」
「安吾先輩に怒られるっスよ」
「あんごー?あー…バレなきゃらいじょうぶ…」
「そんな眠気に抗えない先輩にとっておきの物を見せてあげるっスよ。絶対眠気も吹き飛ぶ優れ物!」
「なあにそれー危ない気配…」
「はいこれ見て下さい!」
完全に寝る体勢に入ってる名前に、村社は見合い写真を開いて彼女の前に出す。目を開ける事すら億劫だと云わんばかりに目を半分こじあける名前の顔にズイッと写真を見せびらかせば、彼女は次第に目を開いてその写真をガン見し始めた。
「美人さん」
「先輩、綺麗な人に対しては見境無しっスよね」
「女性だろうが男性だろうが目の保養になれば何でも善いよ。アイドル的存在って感覚だし。所で、この写真何処で貰ってきたの?私貰って善い?」
「駄目っスよー、これ安吾先輩のだし」
「後で安吾から貰うわ」
未だ少し目尻が垂れ下がっているが、先刻より眠気は吹っ飛んだのだろう彼女はデスクから顔を上げてそれを渡せと村社から強奪しようとしてくる。見合い写真の攻防戦をしている時、村社は用件を云うのを忘れていたと奪われそうになる写真を必死こいて守りながら彼女に投げかけた
「これ安吾先輩の見合い写真だから駄目ですってば」
「え、安吾見合いすんの!?この美人と!?何で!?」
おうおう、善い反応するではないか。村社はこれが欲しかったのだと口角が上がりそうになるのを押さえながら名前の反応を見ていた。彼女の表情には驚愕で染まっており、写真を奪う事も忘れて村社の顔をじっと見つめている。
「こら、返しなさい」
「あ、先輩」
「安吾!何で…」
切なげな表情を浮かべ下を向く名前と、ポーカーフェイスを決める安吾。村社はそんな2人を見つめて大変愉快な気持ちになりながら、名前の言葉を待った。
「何で安吾がこんな美人と!私と変われや!連絡先教えて下さい!」
ずっこけた。村社は盛大にずっこけた。正直見合いをしないで欲しいといった回答が欲しかったのだが、全く以て見当違いの返答に思わず芸人のようなリアクションをしてしまう。安吾は安吾で呆れた表情を浮かべて村社から見合い写真を奪っては彼女の頭に振り上げた。パシッと善い音が鳴りながら名前はまたデスクに頭を一体化した。
「はぁ…全く、村社君は何をしてるんですか」
「面白い事になるかなって」
「なりませんから」
安吾は気怠そうに席に戻り、机に齧り付いたのだった。この後名前は寝落ちたのか机から30分程浮上する事無かった。

時は流れて月曜日。
安吾の縁談が執り行われた次の日でもあった。安吾はいつも通り業務を遂行しており、名前も名前で眠気が抜けきらないと云わんばかりに欠伸を何度も零しながら仕事に勤しんでいた。
そんないつも通りな2人、特に名前を見て村社は痺れを切らした。
「何で!!!気にならないんですか!?」
「え、何が?」
村社は名前に詰め寄って言葉を投げた。近しい人間が縁談と云った通常執り行われないビックイベントに反応しないとは何事だと、見たい反応を全く見せない名前に最早怒りに近い感情を抱いていた。
「安吾先輩の縁談の話っスよ!」
「縁談?」
「見合い!み・あ・い!」
「あー…あー…?そういやすっごい眠い時にそんな話してたような…?」
「え、まさか覚えてない感じ…?」
まさかの眠気で覚えて無いと来たでは無いか。怒りを通り越して呆れしか出ない村社はその場で項垂れ、名前は思い出そうとうんうん悩んでいた。
「結構美人だった覚えがあるぞ…連絡先教えてって云ってたような…」
「そうっス、合ってます」
「安吾ー、美人さんの連絡先貰った?」
名前は資料片手に近づく安吾に言葉を投げかけた。
「貰ってませんよ。そもそも、見合いの場で丁重にお断りしました。」
「え、勿体無ーい」
「はぁ、こっちは仕事で忙しいんですよ。他にかまけている暇はありません。」
ふと村社は安吾の言葉に引っかかった。仕事が忙しいとか云う割には名前の様子をよく確認しているし、割り振る仕事が無い時も何かと気に掛けているのを目撃するのだ。今までの反応の思い浮かべながら村社は少し口角を上げた。矢張り、もしかして彼からしたらそういう事なのだろうか。
「所で、その資料は?」
「名前さんの仕事です」
「うわー…多くない…?」
「出来る子なんでしょう?頑張って貰いますよ」
けろっとした表情で全く気にも留めていない名前は、特にその話を掘り下げる事も無く縁談よりも気になっている安吾の手元にある資料を見て表情を強張らせる。きっと名前からはそれ以上縁談の話など持ち上がらないだろう、話は風化されて村社だけが現在不完全燃焼のままであるが、色々と愉しめそうな気配を察知し仕事に取り組んだ。