その女を見た瞬間、運命の人だと第六感が、魂がそう呼び掛けた。




「大典太もカンストした事だし、出陣が無い余った時間は己の為に使ってくれ」
「…どうせ俺の事なんて、」
「違う違う、そういう意味じゃないって!また頼みたい事があれば大典太に声掛けるから」
大典太を使役する審神者に下された休暇。
彼らの強さが上限に達した際、伸びしろのある他の刀剣を部隊に編成するのがここの審神者の方針だ。
霊力が高い彼に対して「不要だから」という意味で下したものではなく、ただこの本丸の取り決めのようなもの。
現に、大典太よりも先に来た刀剣たちもまた、同じように余った時間は自由に過ごしていた。
自由に過ごすと言っても刀剣によってそれぞれだ。万屋に行っては時間を潰す者、趣味に費やす者、遊郭の類に行く者、ネットを駆使して無駄な知識を増やす者、驚きに命を賭けて重傷を負う者。
突然出来た休暇に、大典太はどう時間を使おうか考えあぐねていた。
長期的な休暇を貰う事など今まで1度も無かったので、時間の使い方を参考にしようと聞いてみる事にした。
しかしながらすぐに問題に直面した。
どう時間を潰しているか誰かに聞ける程、彼の度胸も無ければ親しい刀剣はあまり居ない事である。
兄弟刀であるソハヤはまだ出陣に駆り出されているし、前田も極めてからは大忙しのようで暇という暇は無い。
天下五剣のよしみで多少会話のある三日月は常に徘徊してるのか姿が見えない。たまに「迷子になった」と政府に呼び出されては回収されているのをよく聞くし、あまり参考にならなそうだ。
数珠丸に聞けば「法話をいたしましょうか?」「瞑想すれば良いのです」。食い気味に言われたので「きょ、今日は良い」と大典太は逃げるようにその場を去った。
鬼丸に関しては最近顕現された刀だ、出陣で忙しいのかすれ違う事さえ無い。

「ならば俺と勝負しろ!!!」
「…まあ、良いが…」
時間の使い道について悩んでる事を小耳に挟んだ大包平に連れてこられたのは道場だ。
己に投げられた木刀を難なくキャッチし、刀を交えた。お互いの力は互角、大包平が負ければ「もう1度だ!」と吠えられ、勝てば「天下五剣がそんなもんか!」と吠えられる。何度も打ち合いをさせられた大典太は赤疲労が丸1日取れなかった。
もう少し穏やかな時間を過ごしたい大典太は、その日を境に大包平に見つかる前に逃げる事にした。敵前逃亡?いいや違う、戦略的撤退だ。

「はぁ…何なんだ…」
大典太が向かったのは万屋街だった。世間一般で言う商店街のような所である。
人通りの多いこの場所ならば、大包平に見つかる可能性が低いと感じたからだ。特に目的は無いが、今までちゃんと店を見た事が無かった為この機会にゆっくり見ていく事にした。
幸い、金ならある。毎月審神者から小遣いは貰っているし、趣味というものも無いので貯まる一方だったのだ。この機会にパーッと使うのも良いかもしれない。
甘味処や雑貨店、本屋とまあ色んな出店が並んでおり、情報量の多さに少し頭が痛くなってくる。目頭を指で優しく揉みながら、近くにあったフリースペースの座席にどかりと座って休息を取る。
そうしてる間も、刀剣や人々が行き交っている。ぼんやり見ていれば酔いそうだ。自分には万屋街は合っていないのかもしれない、そもそも俺みたいな大男が店内に入ると邪魔になるのではないか?
「…はぁ、帰ろう…」
大包平の対策については…まあ数分後の自分が良い案を出してくれる筈。
足に力を入れて立ち上がり、人の隙間を掻い潜る。
行き道でチラリと視線で追った古本屋が目に入った。
その前に立ってる女が目に入った。
「…ッ!?」
鼓動が尋常では無い程高鳴った。体の血液が駆け巡った。頭が沸騰する程に熱くなった。
怪異も病も俺を恐れるというのに、妙な体の変化。何なんだこれは。大典太の頭はパニックに陥っていた。
人の身を持った以上、俺でさえも病に罹るというのか。大典太はザワザワする胸を押さえ、足早に本丸へと戻った。

[newpage]
パニックになったままの大典太は、執務室に走っては審神者に相談を持ち掛けた。大きな足音を立てながら突然部屋に入ってきた大典太に驚いた審神者も、彼の異変に仕事を放り投げて話を聞いた。
結論から言えば、病では無かった。いや、ある意味不治の病と言っても良いかもしれない。
「恋だね」
「こい?」
「そっか〜大典太にも春が来たか〜そっかぁ〜」
「…コイ?」
「そこから…?」
人の身を持ってまだ5年以下である大典太、つまりは赤子同然である。審神者は恋というのは何たるかを大典太にも分かりやすく説明する。
「…恋」
「うん」
「…」
ボンッッッ!!!
爆発した。大典太の顔は茹蛸のように真っ赤になり、頭からは湯気が立ち上っていた。
その姿を見た審神者は「可愛いな〜」とのほほんとしており、たまたま近侍だった前田は「本日はお赤飯にしましょう!」と1人で盛り上がっていた。
その日の晩御飯は言わずもがな赤飯で、厭に注目された大典太はその日布団から出てくる事は無かった。

「うう…俺なんて…」
大典太が嘆いてる場所は、件の古本屋の向かいにある店ののぼりの隙間。その道を通る人々は大典太をぎょっとした目で見てはそそくさと通り過ぎていく。対して大典太は、見てくる人達の視線など気にならない程度にはある一点に夢中であった。
のぼりを握りしめながらじっと見つめる先は、昨日見たあの女の背中だ。
「女1人にも声を掛けれない刀だよ…俺は…」
根暗な大典太からすれば声を掛ける度胸など無い。ただひっそり、女に気づかれないように見つめるしか出来ない。
「あの、店内をご利用でしょうか…?」
「…い、いや…」
遂にのぼりを上げている店の人に声を掛けられてしまった。別の場所に移動して見つめようと足を動かした矢先、女もその場から立ち退いた。
サラリと髪を靡かせ、長い睫毛が影を落としている。首筋に吸い付いた髪が鬱陶しいのか、頭を振った女の香りが大典太の鼻腔をくすぐる。
伏し目がちだった目がパチリと開き、道を確認するように頭を動かして確認する女が、たまたま大典太を捉えた。
「あ、ぁ…うぅ…」
「…?」
眩しい。眩しすぎる。横顔で惚れた大典太では正面から見る顔はとても刺激的だったらしい。腕で顔を覆っている間にも女はその場から立ち去ってしまった。

「はぁ!?声を掛けて無いぃぃ!?」
「どうせ俺は声を掛ける度胸の無い刀だよ…」
「わ、悪かったって兄弟!あー…えっと…明日は頑張ろうな…!」
同室の兄弟刀、ソハヤノツルキに恋愛話を持ち掛けられたのが発端であった。会話力の高いソハヤからしたら大典太など赤子同然。あれよあれよと話を引き出されてしまい、未だに彼女が素性の知れぬ女だという事が知られてしまった。
女の話をする時の大典太は乙女のように比較的楽しそうな表情を浮かべていたのに対し、声を掛けていない事を指摘すればどんより湿度を纏って部屋の隅でじめじめし始めた。そんな大典太の背中を叩いてフォローするソハヤに、大典太はプルプル体を小刻みに震わせながら涙を浮かべて言う。
「ど、どうやって話しかければ…」
「普通に話しかければ良いんじゃないか?」
「ふ、普通に…」
にこやかな笑顔を浮かべ「よお!ここで何してるんだ?」…いや、そんなの俺じゃない。
「いつもここに居るけど何しているんだ?」…そんな事言ってみろ、いつも見ている事がバレて最悪お縄についてしまう。
「本が好きなのか?」…本を読む時間さえ無かった大典太が話を振っても知識など無い。話題が広がる気がしない。
そもそも俺のような会話が下手な奴に話しかけられても嬉しく無いのでは?蔵に仕舞われ、霊力が有り余って外に居る鳥を落とすような、こんな刀…
「うぅ…」
「あーーー!?兄弟が倒れた!?」
考えすぎてキャパオーバーした大典太は、その日布団の虫になった。

[newpage]
声を掛けれる気はしないが、かと言って諦めきれるようなものではない。恋というものはそういうものだ。
布団の虫になってる間も、大典太に支配されるのはあの女の事ばかりだった。頭にぐるぐる女の顔が浮かんでは消え、浮かんでは消え…
彼女にどう声を掛けるかも考えた。脳内では大多数の案が出ては彼女と円滑に会話を出来る姿を考えた。何なら付き合って夫婦になる所まで妄想をした。現実はどうか?
「…普通…普通か…普通…普通って何だ…?」
普通のゲシュタルト崩壊が起きていた。
昨日の店の1件隣にある店ののぼりの隙間から、大典太は女の背中を見つめていた。真後ろの店じゃない分少しだけ顔が見え、心臓がドクドクと高鳴っていた。
可愛い。形の良い唇から発する言葉を聞きたい、髪を撫ぜ、あの華奢な体を抱きしめたい。傍に居たい。
色んな欲求が脳内を駆け巡るが、現実は顔見知りでさえ無い。
もっと、近くで顔を見たい。変に思われないだろうか、ただ本を見るだけなら決しておかしくはない筈だ。
こ、この機会に本を読むのを趣味にしてしまえば、彼女と会話出来るだろうか?
意を決して彼女の隣に並んでみた。
「あ、すいません」
「ッ!あ、あぁ…」
隣に並んだ己に対し、彼女が声を掛けて少し避けてくれた。正直それだけで天に昇りそうな勢いであった。
やった、やったぞ兄弟…!遂に言葉を交わした…!(※交わしてません)
いつもの根暗はどうした事か、彼の脳内はお祭り騒ぎであった。脳内では既に結納一直線である。決してそんな気配は全くない
アドレナリンが分泌され、多少怖いもの知らずになった大典太は彼女に話しかける事にした。
「…ほ、…本が、好きなのか…?」
「?ええ、まあ。気になるものが多くてどうも考えあぐねてしまって」
「そ、そうか…」
「ええ」
会話が終了した。会話は広がらなかったものの、大典太からしたら自分から声を掛けれた事が重要であった。
「そろそろ失礼します」
「あ、あぁ…」
頭を軽く下げて去る女の背中を、目視出来なくなるまでずっと見つめていた。

「お、どうした?兄弟。いやに嬉しそうじゃねえか」
「兄弟、俺は遂にやったぞ…」
部屋の扉を開けた大典太は、猫背気味の背中はいつもよりピンと伸び、やけに満足気な表情を浮かべて立っていた。
ソハヤはそんな大典太を見て驚きながら、放っておけばずっと突っ立っていそうな彼の腕を引っ張って座らせた。
根暗な彼がこんなにも満たされた表情を浮かべるだなんてとても珍しいではないか。今日は高い酒でも開けるかと頭の隅で考えながら、大典太の話を聞く体制に入る。
「…あの娘に話しかけれた…」
「良かったじゃねえか!」
話しかける事に緊張して布団の虫になっていたあの兄弟が、たった1日で話しかけれるとは思っていなかったのでソハヤの脳内では祭りが始まっていた。
その間、大典太はその娘がいかに可愛かったかを熱弁していた。
一向に会話した内容を話す流れにならないが、ソハヤにとっては重要な事では無く、兄弟が楽しげにしてる姿を見れるだけでお腹いっぱいであった。
「それにしてもその娘、ずっと本屋の前に居るんだろ?店員か?」
「…いや、多分店員では無い筈だ。本が欲しいと言っていたからな…俺を見て恐れないから、怪異でも無いだろうさ…ふふっ…」
「なら別の店の店員かもしんねーな」
「…ああ…今度何処の店に入るか見てくるとするさ…」
「それって後をつけるって事か?やめといた方が良いと思うぜ」
「…そうか」
少し気が落ちてしまったようだが、大典太の奇行を止めるには自分しか居ない。使命感に駆られたソハヤは、兄弟の奇行を止めながら良い具合にその娘と良い雰囲気になるように手を回したい。
が、生憎出陣で立て込んでる自分は大典太に口でのアドバイスしか出す事が出来ない。歯痒い気持ちを胸に抱え、次の行動に出るよう促した。
「じゃあその子の事もっと知っていこうぜ兄弟!まずは連絡して飯でも誘ってみたらどうだ?」
「いや、連絡先は聞いていないんだ…」
「…」
前途多難である

[newpage]
「れ、連絡先を聞けと…?そんな無茶な…」
胃が痛いと言わんばかりに腹をさすり、いつもより猫背気味の大典太が古本屋の前に立っていた。女の姿は無い。
「…い、いや…俺は昨日会話出来た刀だ…連絡先だって…うぅ…」
顔色が悪い大典太であるが、本と対面している為に誰も気づく事は無い。
ただ、スマホを震える手で持ちながら腹をずっとさすっていれば、顔は見えずとも流石に様子がおかしいと気づく。
「大丈夫ですか?」
「…ぇ、あ…だいじょぶ、です」
ニュッと隣から現れたのは、恋焦がれたあの娘。大典太は突然の事に敬語で対応し、手の震えは余計に酷く今にもスマホを落としそうだ。
「お腹痛いんですか?何処かで休んだ方が、」
「だ、大丈夫だ、ほんとに」
あなたの連絡先を聞きたくて緊張してました、だなんてとても言えるものではない。
「あまり無理はしないで下さいね」と言う彼女の言葉に、大典太は顔のパーツを中心に寄せて「ン”ン”ッッッ」という声しか出なかった。
「お兄さんも本が好きなんですか?」
「…あ、いや…その、読まないが…」
「そうなんですか。暇潰し用にでもお探しで?」
「…あ、ああ…ちょ、長期休暇が出来て…」
「へえ、成程。ならばここのシリーズおすすめです。お暇であれば読んでみて下さい」
「こ、これか…買おう…」
最早連絡先を交換するという任務など忘れ、大典太はおすすめされた本を手に取り購入を決意した。大丈夫だ、金ならある。
「あまり本を好きな人が周りに居なくて寂しかったので、お兄さんが良ければ感想教えて下さい。」
「…わ、分かった…」
次に会う約束まで取り付けてしまった。つまりこれは結納一直線では?(※違います)
大典太は天に昇る気持ちだった。いや、ここが天国なのかもしれない。ああ…蔵から出た末路が…これか…兄弟、俺はもう帰れそうに無い…
「るじーーー!!!ある…!!!あるじーーー!!!」
「そろそろ帰りますね。それでは失礼します。」
「あ、あ…待ッ」
そうだ、連絡先!何処かに飛んでいた魂を己の肉体に戻して足早にその場から逃げるように立ち去る彼女を呼び止める。
「…どうかされました?」
「あ、あの…れ、連絡先…!」
「主ぃぃいいいい!!!おんしゃあ何処に行っちゅぅぅううう!!!」
「やべ。」
土佐弁で叫びながら一直線にこちらに向かってくる刀剣と、しくじったという表情を浮かべる娘。
え、まさか。もしかして…
「お兄さんまたね」
「あっ…」
「待てやーーーーーー!!!!」
お兄さんまたね…お兄さん…またね…またね…次も会ってくれる気らしい彼女の言葉に、大典太は夢うつつのまま本丸に帰った。


大典太光世が恋した相手は、怪異でも何処かの店員でも無い、審神者でした。