14-3.受け止められるということB
目を覚ました時、最初に感じたのは、すぐそばにある体温だった。
腕の中に、ひよりがいる。
その事実をぼんやりと認識してから、ゆっくりと意識が浮かび上がってくる。静かな寝息が、すぐ近くで聞こえた。やわらかい温もりが、腕の中に収まっている。
――離れようとは、思わなかった。
どうすればいいのか分からなくて、そのままじっとしていた。こんな風に誰かを抱えたまま眠るなんて、今までなかった。けれど、不思議と落ち着いていた。
ひよりが、わずかに身じろぎをする。それに合わせて、無意識に腕に力が入った。逃がさないようにしたわけでも、引き寄せたつもりでもない。ただ、そうなった。
「……恵」
ゆっくりと目を開けたひよりが、小さな声で名前を呼ぶ。
「……起きたのか」
声に出してみると、思っていたよりも落ち着いていた。
ひよりは少しだけこちらに寄ってきて、そのまま自然に体を預けてくる。
その距離の近さに、わずかに意識が揺れる。嫌じゃない。けれど、慣れていなくて戸惑う。どう扱えばいいのか分からないまま、視線を逸らした。
「……あのさ」
口を開いてから、少しだけ言葉に迷う。頭の中にあるものを、そのまま出していいのか分からなかった。
「……悪い」
結局、それしか出てこなかった。ひよりは少しだけ目を瞬かせる。
「何で?」
本当に分からない、という顔だった。その反応に、言葉が詰まる。
「……何でって」
うまく説明できない。けれど、このまま黙るのも違う気がして、ぽつりと続ける。
「……ああいうの、軽くやっていいことじゃねぇだろ」
言いながら、自分でも整理できていないのが分かる。
責任とか、関係とか、そういうもの全部をうまく言葉にできないまま、ただ形にしているだけだった。
ひよりは少しだけ黙って、それから静かに言った。
「恵は、軽い気持ちでやったの?」
「……違う」
即答だった。迷う余地なんてなかった。ひよりはそれを聞いて、小さく笑う。
「じゃあ、大丈夫だよ」
「……何が」
ひよりは少しだけこちらを見上げて、言葉を選ぶように間を置いた。
「私ね、恵が見つけてくれなかったら、きっとあのままだったと思う」
その一言で、空気が少しだけ変わる。子供の頃のひよりが、死んだような目で座っていた場所の光景が、かすかに頭をよぎる。
「誰にも気づかれないまま、いなくなってたかもしれない」
淡々とした声だった。けれど、それが本気であることくらい分かる。
「でも、恵が見つけてくれて」
ひよりの手が、そっとこちらに触れる。
「五条先生にも助けてもらって」
言葉が続く。
「高専に入ることもできて」
そのひとつひとつが、過去をなぞるみたいに静かに積み重なっていく。
「虎杖にも、野薔薇にも会えて」
ほんの少し、声が柔らかくなる。
「ちゃんと、今ここにいられる」
その言葉に、息が詰まる。
「それ全部、恵のおかげなんだよ」
まっすぐに見上げられて、言葉を失う。
そんな風に思われているなんて、考えたこともなかった。
ひよりは少しだけ距離を詰めて、穏やかに笑う。
「恵が、全部受け止めてくれたから」
その言葉が、静かに落ちてくる。
重いはずなのに、なぜか拒めなかった。
「だからね」
ひよりは、迷いなく続ける。
「今度は、私が恵を受け止めたいと思ったの」
その言葉に、胸の奥がわずかに揺れる。
受け止める、なんて。
自分がされる側になることなんて、考えたこともなかった。
「……何で、そこまで」
自然と口にしていた。責めるつもりでも、否定するつもりでもない。
ただ、分からなかった。
ひよりは少しだけ目を細めて、優しく笑う。
「だって、恵がそうしてくれたから」
それだけだった。
あまりにも簡単で、当たり前みたいに言われたその言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
自分がしてきたことなんて、そんな風に返ってくるようなものじゃないと思っていた。ただ、やるべきことをやっていただけだ。そうしなければいけなかったから、そうしてきただけだ。
それを――受け止められる側に回るなんて。
ひよりはそのまま、そっと体を寄せてくる。
逃げることも、押し返すこともできたはずなのに、そうしようとは思わなかった。触れられているだけなのに、どこか落ち着かない。けれど、嫌ではなかった。
むしろ――そのままでいられることに、わずかに安堵している自分がいる。
今までなら、こんな風に誰かに触れられたままでいることなんてなかった。何かを返さなければならない気がして、すぐに距離を取っていたはずなのに。
何もできないまま、ただ受け入れられている。
それでも、ひよりは何も言わなかった。責めるでもなく、求めるでもなく、ただそこにいる。それが、ひどく不思議だった。
――こんな状態の自分でも、いいのか。
ふと、そんな考えがよぎる。
何もできていない。支えてもいない。ただ、受け止められているだけの自分を。それでもいいと、言われている気がした。
腕の中の重みが、さっきよりもはっきりと感じられる。
離そうと思えば、いつでも離せる。それでも、離さなかった。理由は分からない。ただ、そのままでいた。
――悪くない、と思った。
そう思ってしまったことに、少しだけ戸惑う。
全部が整理できたわけじゃない。それでも、初めて何も背負わなくてもいい場所にいる気がした。
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