静寂に包まれた暗闇に1人の男が立っていた。
 力無く垂れ下がった手の先には、刀の面影が残るショットガンが握られている。青年はこれから起こる事をただ静かに待っていた。
 すると、どこからともなく短めのノイズが入る音がしたと思えば、しゃがれた男性の無機質な声が暗闇にこだました。


『坊ちゃん、本当によろしいのですね?』

 マイク越しに青年の様子を確認する声を聞いた途端、青年は少し困ったような顔を上げた。

「あのなフラッシュ…頼むからその坊ちゃんって呼び方、止めてくれないか?」

青年が暗闇の空間を見上げると、淡い光を放つ少し大きめな長方形のガラス張りの窓から、初老の男性がスタンドマイクに顔を近づけて青年を見下ろしていた。

『と、言いますと?』
「その呼び方は恥ずかしいから止めてくれ…」

フラッシュと呼ばれた男は慎ましく笑いながら、かしこまりましたと言った。軽くあしらわれた青年は拗ねたのか、大声で叫ぶ。

「早くやってくれ…」
『失礼しました…ではティール様、これより実践訓練を開始致します。』

フラッシュは言い終えると、手のひらサイズの機械の中心に付いているボタンを押す。それに連動してティールのいる空間から、大きな重低音が響いた。目の前の壁の一部が扉となり、ゆっくりと開く音は徐々に獣の唸り声えと変貌していった。

『ティール様…無茶な戦闘はお控えくださいね。もしそうした場合、私達は』
「うん、分かってる」

ティールはフードを被り、獲物を握る手に力を込めて呼吸を整える。

 暗闇からそいつらは現れた。

姿形を、唸り声を感じ取ったティールは、腹の底で黒い感情が煮えたぎるのを感じた。憤怒、憎悪、敵意、嫌悪。不快感しかない感情が泥のように混ざり合って腹の中を循環する。あまりの気持ちの悪さに吐きたくて、不快感を払拭したかった。
1匹のベオウルフがその黒い感情に反応して、大きな口から牙を剥き出しながらティールに噛み付いた。

「っ、」

ミシミシと牙が左肩に食い込むが、オーラで護られた身体に傷一つ付いていない。ティールは呻き声を上げずに、慣れた動作でショットガンの引き金を引いた。
1発の銃声が暗闇に轟く。
悲鳴すら上げる事を許されなかったグリムは後方へ吹き飛び、黒い霧となって消滅した。ティールの目の前で好機を伺っていた6体のベオウルフは、それを合図にティールへ襲い掛かった。
ショットガンの側面に埋め込まれた液晶パネルを触れると、ティールの身長程の大太刀に変形した。

「はぁ!」

赤く燃え上がった刀身は、一体のグリムを真っ二つにした。振りかぶった力を止めること無くそのまま体を捻ると、二体目のグリムを薙ぎ払う。

 死角である背後から三体目のグリムがティールに襲いかかった。
振り下ろされた爪を咄嗟に篭手で防御するも、グリムは力を込めて篭手ごと腕を引き裂こうとする。グリムの腹にショットガンを撃ち込み、怯んでる隙にバックステップで距離を取った。
続け様に後ろから襲ってくる二匹のグリムに気付き、体勢を無理矢理変えて再び刀を振るう。
 まるで子供が玩具を振り回してるかのような乱雑で乱暴な洗練されていない刀の扱いは、怒りに身を任せているのは一目瞭然であった。

「ああぁ!死ねっ!!」

先程まで使用人と話していた本人とは思えない理性を捨てた荒々しい闘い方に、六匹のベオウルフはあっという間に消滅した。
ティールは休む間もなく血走った目で叫ぶ。

「まだだッ!」

上から何かが降ってくるのは音で分かった。その正体を探るまでもなく、羽音に向かって斬りかかった。
手応えはあった。恐らく3匹殺した。
羽音がティールの身体をすり抜けると、何かが体を掠めた。肩に伝わる衝撃、それはグリムからの攻撃である事は分かってる。だからこそ腹が立った。

「あぁ!クソ鳥共がッ!!」

降下して、勢いをつけての攻撃を繰り返してくるネヴィーモアに痺れを切らしたティールは、地面に勢い良く手の平を叩きつけた。
平らなコンクリートの地面から、大の大人程の大きな鋭い針が数本出現する。突然の出来事に、勢い良く降下してきたネヴィーモア達が止まる事は叶わず、串刺しにされた。

そして最後の一匹となったネヴィーモアが、くちばしでティールの顔目掛けて飛行する。ティールは手をかざすと、ネヴィーモアのくちばしが手に激突した。オーラで体は護られていると言っても、痛みは遮断される訳では無い。苦痛で歯を食いしばり、ネヴィーモアのくちばしを掴んで地面に叩きつけて身動きを取れなくすると、手刀でネヴィーモアの腹を突き破った。

「次だ!」

グリムを殺す為ならば一切手を抜かない彼は、その身が砕けようと常に全力で闘う。一刻も早くこの手で殺して、この世にグリムが一体でも消滅していく事を実感したかった。
しかし、グリムの気配が全くもって感じない。ティールは怒りで歪ませた顔を頭上にいる使用人に向かって叫んだ。

「おいフラッシュ!次だ!!」

急かしてもグリムを出す気配が無い。それどころか、暗闇は明るさを取り戻し始め、グリムが出入りするであろう扉が閉まっていた。

「次だと言っている!!」
『ティール様、実践訓練はここまでです』
「俺の声が聞こえないのか!!」

力を入れすぎた握り拳が震える。今にも刀を喉元に突きつけてそうな程の迫力だった。

「何故だフラッシュ!俺が全部こいつらを殺す!それのどこが悪い!」
『言ったはずです。無茶な闘い方をした場合、私達は即座に止める。そういう約束を…』

フラッシュの言葉を一発の銃声が遮った。
その銃声を轟かせたのは紛れも無くティールであり、故意だった。

「俺の為?なら殺させろ…!まだあるだろ、だよな、フラッシュ、解る筈だ」
『ティール様』
「出せ!クリープを!アーサを!ガイストを!タイジツを!ボーバタスクを!べリンゲル!ランサー!ネヴィーモア!ベオウルフ!!
全部だ!全部出せ!殺させろ!」

「俺にグリムを殺させろ!!!」

トス、と、軽い音がした。

うなじから伝わる刺激と違和感を感じてそこに触れようとするも叶わず、突然襲ってきた強烈な眠気によって床に倒れ込んだ。
そこに、2人の人物が姿を現した。

「も〜、坊ちゃんてばグリムの事になるとすぐ熱くなっちゃうんだから〜!ね!ロイヤル!」

小柄の体型にミスマッチな大型のスナイパーライフルを担ぎ、ミルクティー色の髪をツインテールにした女性が、眼鏡をかけた神経質そうなプラチナブロンドの髪の男へ同調を求めた。
2人はそれぞれメイド服や燕尾服を着てることから、フラッシュと同じ使用人なのだと分かった。

「私語を慎めストレート、それとティール様はその呼び方を嫌う。止めろと言われただろ」

ロイヤルは訝しげな目線をストレートに送りつつ、眼鏡のブリッジを上げた。ロイヤルの態度に先輩であるストレートはムッとした顔で反論しようとしたが、フラッシュの言葉により中断された。

『ありがとう2人とも、ティール様を自室に連れて行ってあげなさい』
「は〜い」
「語尾を伸ばすなストレート!了解ですフラッシュさん!」

ロイヤルがティールをおぶって、訓練室から出て行く。フラッシュはため息をついた後、目頭を強く押した。

日に日に彼の訓練量が増していく。最近は連日戦い抜いて疲れ切った体を無理矢理引きずり、この特設訓練室に足を運んでくるのだ。
止めれば身内であろうと殺意を向けてくる彼のグリム嫌いはもはや性格の一部とは言い難く、病気や呪いといった束縛的な表現で言い表した方が的を得てる。
今日眠らせたのは、初めてでは無い。起きれば彼はまたこの施設にやって来るだろう。

「ティール様、私達は貴方が心配でございます」

フラッシュはそう小さく呟く。
彼はこの国を離れて別の国のアカデミーに入学する。自分達が居ない土地に、彼を制御出来る人間は居るのだろうか。
不安を拭いきれないフラッシュは、ここで考えても仕方ないとばかりに、部屋の灯りを落としてその場を立ち去った。


誰も居ない暗闇を取り戻した空間には、微かに人ならざる獣の息遣いが聞こえる。頑丈な扉越しに目を光らせたグリム達は、見えるはずの無いティールが立ち去った扉をただじっと見つめていた。