「クソが…こういう事は集金してプロのハンター雇え」

 昨日の雨で濡れた土を踏みしめながら山を登るランスロットは、不満気にごちていた。
 照りつける太陽の陽射しはじりじりとランスロットの肌を焼き、不快な汗をかかせる。坂道を登りきると、また坂が見えて帰る選択肢が頭によぎるが、再び歩き出した。

「余計な事押し付けやがって…」

 今日、ランスロットにグリム退治の依頼が来た。
 要件を聞けば、最近村の近くにグリムが出没する事が多く、木々が倒れていたり畑が掘り起こされていたりと散々らしい。そんなある日、グリムを倒した事のあるランスロットに白羽の矢が立った。
 「グリムをなるべく多く倒してくれ」
 これがランスロットに課せられた初めての依頼だった。

「久しぶりにマリスが買い物だってのに…ハンター雇え、ハンターを」

 それを断れなかったのは妹のマリスが目を輝かせて「やったねお兄ちゃん!初仕事だよ!」と、買い物に行くと伝えた時よりも嬉しそうに言ってきたからだ。マリスの眩しい笑顔を見た瞬間、断るよりも先に承諾した自分を呪った。
 この仕事が早く終われば買い物に行ける。ランスロットはとにかくこの仕事を終わらせる事しか頭に無かった。

「なるべくって何だよ、漠然としやがって……全滅させりゃ良いか」

 極端な考えとともに、ランスロットは背負っていた大剣を抜いて臨戦態勢に入る。
 整備された道から外れ、伸び切った茂みを掻き分けながら獣道を進んでいく。

 グリムが住処にしていると噂されている場所までやって来た。そこに足を踏み入れると、巨大な蛇の姿をしたグリムがそこに居た。

「─っ!」

 突然目の前に現れたグリムに息を呑む。こんな近くで見たのは初めてだ、とランスロットは冷や汗をかいた。
 幸い、蛇の姿をした巨大なグリム、キング・タイジツはこちらに気づいていないのか、背を向いている。後ろからの不意打ちはグリム相手に対して罪悪感は一切湧かない。容赦は無用、1歩踏み出して近づこうとした矢先…

 靴の裏からパキッという音がした。

「─チッ」

 運悪く踏みつけた木の枝の音に、2つの頭が振り向いた。
 ランスロットの姿を目視したキング・タイジツは、大きな口をランスロットに向ける。食われたら確実に死ぬ。そう考えていると、横から巨大な尻尾がランスロットを薙ぎ払う。

「うおっと、っぶねぇな」

 間一髪躱し、自慢の脚力で一気に後ろへ回り込みながら、大剣に連結している機関銃の持ち手を握りしめて引き金を引いた。しかし、痛がる素振りを見せない。
 銃弾を体に受けながらも突進してくるキング・タイジツの頭を足蹴に、高い木へ飛び移る。

「装甲が硬ぇのか俺の銃の威力が弱いのか…。効かねぇんなら、出し惜しみしてる暇は無いか」

 一息ついて、重い腰を持ち上げた。
 ランスロットは右手に意識を集中させる。すると、人肌が灰色の獣毛へと代わり、抑えきれんばかりの力が体の奥底からみなぎってくるのを感じた。
 キング・タイジツは再びランスロットへと飛びかかる。そして、相対するように自らもキング・タイジツに向かって飛び出した。

「ッラアアァッ!!」

 大剣を大きく振りかぶる。
 包丁を持ったかのような軽さに反して、尋常では無い重さの反動が右腕に駆け巡った。
 キング・タイジツの頭部をたった一撃で破壊した。内心優越感に浸っていると、鞭のようにしならせた尻尾がランスロットの脇腹に直撃する。

「がっ…!」

 地面に叩きつけられた身体を起こそうとするも、咳が止まらずうずくまってしまう。
 格好の餌だというのに追い打ちをしてこない。顔を上げれば、破壊した頭部の重さに巨体を傾けながらも凄まじい速さで逃げていくキング・タイジツが目に入った。

「あっ!てめっ…ゲホッ、逃げんじゃねぇ!」

 奴が逃げた先は整備された道に繋がる筈だ。もしそこから村まで逃げられたら大惨事になってしまうだろう。
 そうなってはいけない、今のうちに早く仕留めなくてはならない。

「…仕方ねぇ」

 ランスロットは覚悟を決めて、身を屈めたまま走り出した
 オーラが全身を駆け巡る。
 青色がかった灰色の獣毛に体は覆われ、目は反転する。骨格は人から逸脱足は後ろ脚に、腕は前脚に変わり、狼の姿へ変貌していった。
 体長がおよそ190cmにもなる巨躯の狼は、蛇を仕留めるために駆けた。

 長くこの姿で居たくない。森から出る前に、何としてでも仕留める!

 風の如く速さで接近し、キング・タイジツの背中を鋭い爪で何度も深く切り裂いた。

 ギィィ────ッ!!

 キング・タイジツの叫声が、森中に響き渡る。反撃しようにも、速さに特価した今のランスロットの形態についていけずに疲弊する事しか出来なかった。ランスロットは右手以外のセンブランスを解除して、再び剣を抜き取った。

「とっとと、っ!くたばれェッ!!」

 獣毛に覆われた右手で力いっぱい大剣を薙ぐ。みしりと軋む音がしたのは斬る物か斬られる物か。しかし大剣はキング・タイジツの硬い装甲を破り、見事胴体を真っ二つに切断した。

切り落としたキング・タイジツの胴体が地面に落ち、黒い霧と化す。

「意外とあっけねぇな」

 不満げに呟いたランスロットは、先程までいたキング・タイジツに向けて軽く蹴り飛ばす。無論、手応えなど一切なく、土埃が舞うだけだ。
 望み通り早く終わったでは無いか、早く帰ろう。マリスが待っている。
 ランスロットが不完全燃焼のまま帰ろとしたその時、1匹のベオウルフが顔を出した。

「あぁ?んだてめぇ邪魔だ」

 再び獲物を構えると、その後ろからベオウルフがまた1匹現れた。

「あ?」

 1匹、また1匹と次々に現れるベオウルフを追っていくうちに、ランスロットはいつの間にか囲まれていた。無意識に口角が上がる。なんて燃える展開なのだろうと、ランスロットは至極喜んだ。
 騒ぎを嗅ぎつけたベオウルフ達は一斉に飛びかかる。

「そうこなくっちゃあなぁ!」

 嬉々としてベオウルフの群れへ大剣を振るうランスロット。既に妹の買い物の事など忘れていた。



「悪ぃマリス…街に行けなくて」
「ううん、いいの。お兄ちゃんが無事に帰ってきてくれるだけで嬉しいから」

 すっかり日の暮れた時間、ボロボロになった姿で謝るランスロットは余計悲壮感を漂わせていた。約束を破ったランスロットを笑顔で街の入口で出迎えてくれたマリスに、ランスロットは愛おしそうに頭を撫で回した。今日がいかに暑かったとはいえ、夜は冷え込むだろう。少し触れた肌の温度で、彼女がどれだけ外に居たか想像に難くない。

「それに街はいつだって行けるから、お兄ちゃんが気にする事じゃないよ」

 そう健気に言うが、マリスは学生で休日は自分達が食い繋いでいく為働いている。遊びに行くなんてほとんど無い彼女にとって、この日はどれだけ楽しみだったのだろうと思うと、罪悪感が心を蝕んだ。
 申し訳ない気持ちのままマリスと歩いてると、そう言えば久しぶりに並んで歩いたなと気がついた。

「なぁマリス」
「どうしたのお兄ちゃん」
「…俺、ヘイヴン・アカデミーの入学が決まった」

 ランスロットの言葉に、マリスは口元を抑えて驚いた。

「えぇ!凄いお兄ちゃん!本当!?」
「嘘ついてどうする」
「あ、疑ってたわけじゃなくてだってお兄ちゃん頭そんな良くないし、ちょっとそれだけ心配だったから……」

 なんて素直な妹だろうか、乾いた笑い声が出てくる。しかし自覚はしているので否定はしない。認めたくはないので肯定もしないが。

「…お兄ちゃん、これ持って行って」
「ん、なんだ」

 マリスが差し出したのは、いつも使っている髪留めだった。確か6歳くらいの時だろうか、ランスロットが初めてマリスにプレゼントした玩具のアクセサリーだ。菓子のおまけに付いていた物を、自分が要らないからとマリスに横流しにしたものなのに、マリスは嬉しそうに今でも持っている。

「大切にしてんだろ?俺が持って行っていいのか?」
「大切にしてるから、お兄ちゃんに持っててほしいの。向こうは危険がいっぱいでしょ?それを大事に…ずっと持って…無事に卒業したら、私に返して?」

 いつもの様にマリスは明るく笑うが、どこか元気が無い。理由は分かっている。先程のボロボロになったランスロットの姿を見て一瞬見せた怯えるような顔、それを隠すような笑顔。マリスは不安なのだ。
 ランスロットは黙ったままマリスの頭を掻き乱す。驚くマリスの手に持っていた髪留めを自分の手で握りしめる。

「…必ず返しに来る」

 マリスがランスロットに体当たりしたかと思えば、小さな手が、ランスロットの手を握った。

「おい、ガキじゃねぇんだから」
「いいでしょ、久しぶりに!…約束、また破ったら許さないからね」
「……おう」
「歯切れ悪いなあ」

 大切な物を離さないと言わんばかりに握りしめたお互いの手は、幼い頃を思い出す。
 2人は家に着くまで、他愛のない話で笑い合った。