とあるコンバット・スクールの訓練場で、2人の男女が向かい合っていた。男は余裕淡々といった態度で相手を見つめ、女の方は至極落ち着いた様子で手袋をはめ直している。

「トキワ!期待してるぞ!」
「応援してるよー!トキワ!」
「トキワー!」

 友人達の声援に笑顔で手を振って応える男、トキワ。対して女に向ける声援は一つも無い。あるとしても、唯一声援を送ってくれる幼馴染は観客席で横になって寝ていた。

「これより、トキワ・カルバンクルス対アレキサンダー・ブランクの試合を始める!礼!」

 2人は武器を構えて、どう先手を打とうか思案する。トキワとアレクは無意識に呼吸をひそめて合図を待った。

「始め!」

 合図とほぼ同時に床を蹴って2人は距離を詰める。先に攻撃を仕掛けたのはトキワ、槍をアレクの胴体目掛けて突き刺した。しかし、アレクはセンブランスでワイヤーを創り出して槍の一閃を止める。しばらく膠着状態が続き、押してもビクともしないワイヤーに顔を顰めながら槍を引っ張り、バランスの崩したアレクの腹に蹴りを入れた。

「…、」

 一瞬、息が止まる。吹き飛ぶ体を猫のように空中で捻らせて着地した。距離を取りつつ生成した4本のナイフをトキワに向けて投擲する。

「無駄だ」

 嘲笑と共にセンブランスを発動させるトキワ。ナイフは彼に直撃する5m程の距離で弾かれた。トキワの周りには、彼を中心に半球型の薄い膜が張られていた。
 「防御結界」それが彼のセンブランスだ。最も、厄介なのはダストの効果が付与される事と、ほぼ見えないと言っていい程の薄い結界だ。だのに、その防御力は戦車の砲撃さえも耐えると彼は豪語している。
 真偽はどうであれ、不用心に近づけば距離感を見誤って激突してしまうかもしれない。

 彼のセンブランスを解除させるには本人の意思か、攻撃で結界を破壊させる他無い。無論、後者以外の選択肢は無いのだが、アレクは他に解除する方法が無いかと頭の隅で考えた。

「どうした!このまま私が無傷で勝ってしまってもいいのか!?」

 結界の内部でトキワが笑いながら射撃を繰り出す。アレクが盾を生成して攻撃を防ぐと、観客席から「あ!私の盾!」という声が聞こえた気がした。

「受け身に回ってばかりではつまらないじゃないか!ほら!反撃してこい!」

 トキワの撃ち出した弾丸は、盾により強い衝撃を与える。大きな音を立てて弾丸を塞いだ盾は、アレクの手から消滅した。
 トキワの言い分は最もであるが、やはり迂闊には近づけない。結界の問題はそうすぐ思いつくものではない。
 常考である「結界のオーラが消えるまで攻撃を繰り返す」が無難であるが、結界をどれほど攻撃すれば消滅できるかはっきりしない以上、彼のオーラが無くなるよりも先にアレクのオーラが尽きる可能性は十分にあった。
 しかし、他に方法が思いつかない。彼相手に受身は悪手だ、アレクは行動に出た。

「…やはりそう来るか、つまらんな」

 トキワが見たのは、生成した二丁拳銃を撃ちながらこちらに向かって走り出すアレクだった。何度銃弾が当たろうと、やはり結界に傷がつく様子は微塵も見れない。

「ふん、こんな攻撃ではいつまで経っても私の結界は壊せんぞ!」

 トキワの武器が槍から蛇腹剣に変形すると、アレクに向かって振り回した。それを紙一重で右へ左へと軽い身のこなしで躱すアレクに舌打ちをしたくなるのを我慢する。

「これならどうだ!」

 素早く手首を掻き回して更に加速させる。だが、トキワの渾身の剣さばきさえも紙一重で躱されてしまい、余計に苛立ってしまった。
 必ず当ててやる。絶対に切ってやる。 躍起になったトキワは更に張り回すスピードを上げた。それでもアレクは避けて、撃つ。撃つ。撃つ。

(何故当たらない!ゴキブリのようにすばしっこい奴め!当たれ当たれ当たれ…!)

「当たれええええええええ!!!」

 渾身の振りをアレクに向かって大きく剣を振りかざす。

 瞬間、結界が音を立てて割れた。

 突然の事に、トキワは呆気に取られて棒立ちのまま天井を仰いだ。

「な、嘘だ…結界はまだ余裕だったはずだ…なのに…」

 呆然とするトキワが肩の力を抜くと、センブランスで張っていた結界を解除してしまった。

「……は?」

 結界が割れた直後に、結界を解除した。
 何故解除が?割れたあれは何だったんだ?
 上を仰いで呆然と佇むトキワの体が急に前のめりに倒れる。トキワの手首を、アレク掴んでいた。みぞおちに膝蹴りを入れられ、トキワは嘔吐く。

「っ、ぇ…!」

 不快な嘔吐感、せり上がる胃液とじくじく広がる腹の痛みは、頬に叩き込まれた拳によって失った。刺すように痛む頬を手で包ながら、アレクを睨むトキワの目と、戦闘前と何一つ変わらない漆黒の目が合わさった。

「そこまで!アレキサンダー・ブランクの勝利!」

 終わりを告げる声が響く。教師の声に続いて観客席から拍手が聞こえた。「よく頑張ったぞトキワ」「カッコよかったよトキワ」「どんまいトキワ」並べられる励ましの言葉の数々と拍手の嵐。
 それがトキワには一切届かなかった。

「ありえん…この私が、アレキサンダーの奴なんかに……なぜだ…馬鹿げてる…くそ、くそ…っ」
「おいトキワ!どこへ行くんだ!」

 教師の声も聞かず、小声でブツブツと呟きながら覚束無い足取りで部屋を出てしまう。それを見かねたアレクが「私が行ってきます」と、教師に告げて同じく教室を出た。


 教室から一直線に続く廊下の曲がり角に、トキワのマントの端が見えた。急いで追いかけると、そこにはロッカーに武器を置いてるトキワの姿があった。
 おかしい。
 彼は自分を偽り、良いように取り繕っていたとしても、教師や友人に対しては笑顔や望んでいる言葉を投げかけるその姿を一切崩さない。だと言うのに、暗い面持ちで教師の言葉を無視した彼の行動はありえないのだ。
 アレクは腫れ物を触るように、トキワに話しかけた

「トキワさん、今日はありがとうござい…」
「俺に話しかけるな!!」

 初めて向けられた悪意ある拒絶。固まったアレクの無表情に、トキワは馬鹿にしたように力無く笑った。

「今回でやっと分かったが、やはりお前の事が嫌いだ…何もかもが俺を不快にさせる、これからは必要最低限話しかけないでくれ」

 更衣室の扉の取手を握るトキワ、捻る事無く動きを止めると、アレクに背を向けたまま口を開いた。

「……あのトリックはなんだ」
「トリック…ですか」
「とぼけるな、結界を解除する前に結界が割れただろう。あれは何かと聞いている」

「…ガラスです。結界の周りをワイヤーとガラスで囲み、トキワさんが振り回した武器で割れるようにしました」
「何故それをした」
「結界を壊すのは至難だと思ったので、センブランスを解除させる為にトキワさんの動揺を誘う形になりました。もしかしたらトキワさんも結界がほぼ見えてないのではと考えたので、材質が似たガラスを使い割れたように演出をしました」

 アレクが言い終わっても、トキワは何も言わない。黙ったままのトキワに、アレクは話かける。

「トキワさん、そこまでして私を嫌う理由がありますでしょうか?私が貴方に何かしたのであれば謝…」

 バタンと、アレクが言い終わる前に更衣室の扉が力強く閉じられた。

 確かに、先程の戦闘は正々堂々を好む彼にとっては腹が立つだろう。動揺を誘う為だから仕方が無いとはいえ、だが何故そこまで嫌われるのか、アレクには理解し難かった。一時的なものだろうか、それとも永続的なものだろうか。
 なんであれ彼の気に触れたのなら謝っておこう、それが懸命だ。彼の好きな物は何だろう。手紙と一緒に贈れば多少は機嫌を直してくれるだろうか。

 扉の前で考えていると、廊下の向こう側で名前を呼ばれたのが聞こえ、その場から立ち去った。