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ごほっ、げはっ、うぇっ、
布団の上で魘されている。酷い汗だ。
桶の水が冷たい。布を絞る己の手は皹ている。
もう数日はこうしている。自分も危ういかもしれない。
しかし病床の母が「ごめんよ貴之」と弱々しく切れ切れに言うから、「心配しないでください、母上」と、その汗を拭ってやるが、母の素肌に覇気がない。
あの日、母ははっきりと言った、「貴之、お坊様を」と。
「お坊様なんて、何故…」
「お坊様なら助けて…くれるから」
その時の母の視線は頬がこけたにも関わらず、意思があったように思えたから。
「わかりました、行ってきます」
そのまま家を出てしまったんだ。
それから、我が家は…。
はっと目が覚めた。
|行灯《あんどん》の火が消えた微睡みに、朱鷺貴は自身の身体が汗で冷えていくのを感じた。
息が止まる前に目覚めたようだ。
陽はまだ上らない。暗い宿の室内に現実を見る。
…胸糞悪い。
たまに見る、幼い頃のあの日の夢。もう今晩は眠れまいと…。
「ん?」
気付いたが、右腕がやけに生暖かい。
隣を見れば、翡翠が朱鷺貴の右腕にしがみつくように背を丸めていた。どうにも、苦しそうな表情で眠っている。
というか、やけに右腕が圧迫されるのは…こいつの足に挟まれているのか。
「おいお前」と起こすのに朱鷺貴が体勢を変えたとき。
「ひぅっ、」と息を吸いきり飲み込むような翡翠の声と、朱鷺貴の手の甲に何か、生暖かいようなひんやりしたような、少しの弾力ある柔らかい肉感が一瞬ピタリと触れ、すりすりされて寒気がした。
おいこれどう考えても逸物だよな、おい。
「おいてめぇ…」
気色悪っ。
朱鷺貴が引き剥がそうと躍起になれば「はぁぁぅ、」と雄叫びを上げ翡翠は目を覚ました。
「は、」
「…あのなぁ、」
「ばっ、」
状況がわかったらしい。翡翠は身を硬直させた。そして己で勝手に掴んでいた両手をばっと離し、「いややぁぁ!」と勢いよく朱鷺貴をぶっ叩いたのだった。
「いっ、だぁっ!」
その瞬間ソレを撫で上げたらしい。翡翠が「ひぃっ、」と情けない声を上げる。
「ちょっ、あんさん、なんやねんな!」
「俺が聞きてぇよアホタレがぁ!
うわなぁ、ちょっ、ばっち、ばっちい!何ぃ!?お前何ぃ!?」
「ばっちいってふざけないでくださいまし!変態!死にあそばせ煩悩坊主ぅぅぅ!」
互いに混線していた。
「なんで俺批判されにゃならん、お前人の手ぇ使ってなにぃ?なんかしたかおいぃぃ!」
「いやらしい人。なんやそれ、死ねぇ!」
つくづく理不尽なヤツだ、腹が立つ。いやそれより。
「お前って本気で淫乱。最悪、もうゴミ」
「はぁ!?」
「人が寝てる間に普通やらん」
「何言うとんねんさっきからぁ!」
「あ?てめえ寝ぼけんなやゴミカス。人の手に股間すりすりしてよく言うわ下品だわアホ!」
朱鷺貴が捲し立てれば翡翠は「はぁ…?」と怪訝な顔。本気で覚えてない、無条件無意識ならこいつ相当キテいるおかしいヤバい。
しかし間を置き、「えぇ?」と本気で驚愕していて。
「え、何ホンマもんの天然なの?」
朱鷺貴もそんな翡翠に驚愕だった。
「え、そ、なっ、」
それから顔を真っ赤にし、
「恥ずいわぁぁぁ!」
布団を顔まで被ってしまうが、そんなもので無罪放免なら、坊主はいらない。
「どーだ俺の手は、腕は!」
「あはぁ、聞かないでそれ」
「なんだその反応は、ちょっ、お前、」
「わりとよかった」
「えぇぇ!な、なにそれぇ…聞かなきゃよかった普通答えないだろうよ…!」
「せやからその、は、恥ずいんやないかぃなぁ…」
ホンマか…困るやん〜、それどんな反応を示せって言うんだよ〜。何故か罪悪感。ぜってぇ俺悪くないのに〜。
「ま、あの、その…。
すんまへんとしか言えまへん…」
「やめてよ〜ぉ!それおかしいやん!なぁ!」
「うへぇ…」
「なんでお前が気持ち悪がってんだよ…っ!」
「いやすんまへん、あの、その話やめて頂けんやろか」
確かに。
釈然としないが釈然としないとならないらしい。
「も〜褌して!人並みになって!」
「あぃ、あぃ…」
「ったくぅ…」
朱鷺貴は溜め息をついて翡翠に背を向け再び寝転ぶ。
これ、身が持たないけど。まだ京を出てないんだけど、寺ありすぎて。
「…あのぅ、」
「あ?」
「お許し頂けましたでしょうか」
「もーいいわ!」
「その…そんなら今晩だけ抱きついて寝てもええやろか」
「はぁ!?」
再び朱鷺貴が振り向くと、伏し目を布団から出し見つめる小動物のような翡翠がいた。
なんだこいつ。
「あの…」
まぁ確かに。
凄く苦しそうだったなと思い返す。
「わりとよかったと言うわりには苦しそーに寝んのな、お前」
それに翡翠は黙っている。
気まずいらしい。そりゃそうだ。
「なんだよ夢で魘されるとか」
「…いや昔の夢を」
それは奇遇だ。
「ったく、」
特に返答をしないまま朱鷺貴が背を向けると「それは…」と翡翠が弱く呟く。
仕方ないなと「勝手にしなさい馬鹿野郎」と返すしかなくなくなったのだが。
「ふっ、」
つい、翡翠は笑ってしまった。
「あんだよクソ野郎」
「いぇ、なんでも」
朱鷺貴の了承を得たので遠慮なく、芋虫のようにもぞもぞ移動して背中に額をくっつける。
人にはこの温もりがあるもんだと、考えたらまた背にすがり付くように着物を握る。
「…少々嫌な夢でした。昔の…墨を入れたときの。
わりと痛いもんで、数日魘されたんですよ」
「…あぁそう」
「そんなときのぬくもりとはまた違うもんやね、これは」
あの時はそれで。
浮かされた頭の中で…だけどやりようもない身体の変化が悔しくて、舌を噛んで死んでしまおうかと考えた程だった。
『苦しいか、翡翠よ』
と、半笑いで背中からなぞられ、それから荒々しくあのヤクザは自分を汚した…まだ10にも満たなかった頃を思い返すだけで…吐瀉しそう。
「寝れたら寝ろ、うるさいし」
思いの外、優しくもある落ち着いた朱鷺貴の声色に「あい…」と夢見心地に答える。
まぁいいか疲れたわと、朱鷺貴もまた背中の鼓動に安堵はして、気付けば互いに寝てしまった。
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