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「何やってんだお前ら」
朱鷺貴の声がした。
翡翠はそのまま鋭い、嘲笑ったままの横目で朱鷺貴を見て「あぁトキさん」と言う。
現実味のない声色と光景に、朱鷺貴は黙って翡翠の言葉を待った。
「ええとこなんで邪魔伊達しないで頂けます?」
「まっ、」
短く漏らした禰宜を見て翡翠はそのまま股関あたりを膝蹴りした。
「うぉっ、」と悶えて踞った五条を冷たく見下ろしては、翡翠は右肩を足蹴にした。
奥の襖から女が裸だろう状態に千早《ちはや》を羽織っただけの姿で覗いている。娘は唯一目が合った朱鷺貴に、気まずそうにして襖を閉めた。
それに状況をなんとなく把握した朱鷺貴は流石に動き出し、翡翠に「おい」と声を掛ける。
苦無をしまい足を五条から退けた翡翠は、朱鷺貴をはっきりと見る。
「…何してんのお前」
「わては女を泣かせるような男は嫌いなんです」
悶えて何か言う禰宜はなんだ、「違う」と言ったのだろうか。
「…翡翠、」
「なんですかトキさん」
「取り敢えず何があった。大方検討はついたが」
「…さぁ。この人に聞いてくださいよ」
「あのなぁ、」
「どいつもこいつも人のことバカにしやがって」
俯いた。
…そうか。
「…バカにしてねぇよ、翡翠」
「あ?」
「取り敢えずわかった。発とう。
正直神社にいるのは落ち着かないんだ法師はな。
んなわけで五条禰宜。申し訳ないがいますぐ発つ。安心してくれ、何も他言はしない。
翡翠、悪いが山を降りたら即野宿だ」
翡翠は何も返事をしなかった。
ただ五条を見下したあと、朱鷺貴の方へ歩む。前までくれば強情に睨むのだが、朱鷺貴はただ小さく頷いてから
「言いたいことがあるならはっきり言えよ」
と、案外優しく言うもんで、翡翠は気まずくなって目をそらした。
「荷物まとめろ。
悪いな、ウチの従者が無礼をした。お宅らの神域を汚す前に去る。世話になったな」
皮肉のように朱鷺貴は冷たく五条に言い、俯いたままの翡翠を促すように肩を抱けばパシッと払われ「触んなクソ坊主」と言われ、朱鷺貴は深く溜め息を吐く。
「うるせぇ。さっさと出てくぞ翡翠。てめぇの不機嫌面倒くせぇんだよ」
それは強めに言った。
何故だか翡翠が肩の力を抜いたのがわかった。
お前って器用貧乏だなと心の中で翡翠に話し掛けては、二人は早々に振り返りもせずに部屋を出て、橋まで渡って真ん中、丁度翡翠が吐いたあたりで立ち止まった。
「すんまへんね、トキさん」
俯いて言う従者にいい加減腹が立ち、朱鷺貴はその場で橋に凭れ掛かり開き直った態度だった。
「何がだよ」
「こんなやつが神さんに近いあんたといることですよ」
「はぁ?なんなのお前」
「そのままですけど」
「神さんに近いとか誰が言ったよ」
「はぁ?」
「バカじゃねぇの、お前。お前神さんもわかんねぇクセに調子こくなや」
「そりゃわかりませんよ!」
睨み付ければ。
かったるっ。
とでも言いたげに煙管を吸い、あろうことか灰を湖に捨て始めた朱鷺貴に、「なにしてるん?」と翡翠は呆れてしまった。
「なにしてるん?て、即鎮火ですけど」
「いや…あの」
「こんなんお前がゲロ吐いたし、ただの自然現象だろうが。有り難くもなんともねぇじゃん」
「え、えっと…」
「違いますかぁ?」
「…怒ってますな」
突然恐る恐る言い始めた翡翠に「あたりめーだろ」と朱鷺貴は突き返す。
「大体自意識過剰なんだよ」
「…否定しませんが、」
「俺が何を気にしてる言うねんこのタコ」
「はぁ?」
「どーでもい、マジどーでもい、」
「そう真っ向から否定しますか普通」
「否定なんてしませんよ、信仰は自由ですからね!」
何?
また口下手かなんかかこれ。
だが睨む朱鷺貴はただ一言「アホ」と吐いた。
「自分を信じないで何を信じるか、お前らが言ってることよくわかんねぇんだけど」
「…はぁ、」
「俺は自分が見た物しか信じない宗教なんで、残念ながら苛まれるのは自分しかねぇんですわ」
「…」
なるほど。
意外と坊主を気に病ませたらしいな、どうやら。
「愛せるのも守れるのも、自分だけなんだよ。お前が何に苛まれようと、感情でしかな、」
「すみませんでした」
「あ?」
「あんさん、恐ろしく素直なの、忘れてましたよ。
わてかて同じです。自分の信念は曲げませんから」
今度は朱鷺貴が何故か気まずそう、
いや、気恥ずかしそうにそっぽ向き「なんだよっ」と気付く。
「俺が勘違いしたみたいじゃんか」
「多分してませんよ。見たまんま。それでいいです。
見たことないものなんてたくさんあるから今旅してるんでしょ」
「そうだけど、じゃぁ」
「はい、」
漸く翡翠が自然に笑った。
「神域なんて犯してませんよ、全く。水も不味かったし」
間抜け面をする。
良い性格してるよ。そんなに根に持ってたのかよお前。
「…悪かったよ無理に連れてきてぇ〜」
「いいですよ。見聞は増えました。
確かに、見てみないと、見ようとしないとわからんもんです」
なんだか。
「…お前の方が坊主向いてねぇか」
「嫌ですね。アホ臭くて」
何があったかは知らんが。
あの時お前、マジで人殺しの目だったよ。
見ていないものもどうやら事実だ。
漸く二人で途中の橋を渡る。
なんにせよ、どうやら間違いはなかったなと、少しだけ朱鷺貴は安心した。それは、翡翠も同じで橋を渡り終える。
さて、女神には会えなかったなと二人はそれから下山した。江戸まで、あと少し。
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