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 ごめんよ、

「…大丈夫ですか?」

 私の意識は駅のホームの、点字ブロックに手をついていた。
 背後の電車の扉がまだ開いていて、そうか、私はいまきっと倒れたんだと気が付いた。

 晴れた日差し、目眩がキラキラと輝いている。

「ちょ、大丈夫!?」

 動揺したような女の人の声が掛かった。

 冷や汗に少しの吐き気、急降下する血圧を感じれば息を意識し始めた。
 まだまだくらくらして頭痛はするのだけど、頭に響くその声の顔を見ようとしたが敵わず、誰か他者の力で、重いのか軽いのかわからない私の身体は助けられ、“黄色い線の内側”へ移動されたようだった。

 冷めていく頭と風景、通勤時間の余韻。
 雑踏は私が招いた混乱だと知った。

「大丈夫!?」
「いま、倒れたよね?」
「ちょ、椅子あるから」

 何人か、男の人と女の人がいるらしい。

 意識が徐々に徐々に晴れてきた。

 その何人かの足元から顔を上げて確認するに至るほどの酸素はあともう少し必要だが、「水を買ってこようか?」の合間に放つ「大丈夫です、」と言う返答は、我ながら弱々しかった。

「あの、椅子あっちにあるんだけど、」

 電車は何事もなく閉まり、動き始める。
 ここが何駅かは、いまいち把握していないがなんとなく、更に巡ってきた。

「えっと、ダイジョブです…」
「え、だって、
 いやほら、立てるの、椅子、ある」
「水かな、ちょっと買ってく」
「すみません、大丈夫です、」

 他者の喧騒、焦燥を少し蹴れるほどの事は出来るようになってくる自制を掴んできた。まだ、頭は痛いし視界はチカチカするが、正直それでも自分の状況が3割ほど、わかっていない。

 少し無理矢理だがせめてその人数くらいは確認しようと漸く視界をあげてみた。

 まず私はいま這いつくばっていて、前方に三人、初老の女性、トレンチコートの通勤だろう女性、同じく通勤らしい男性。こちらの男性は「大丈夫?貧血かな?」と私を見下ろすが、少し早足で現場を今然り気無く去って行ったようだ。

「いや、貴方だって今、」
「すみません、よくあることなので、ご迷惑をお掛けしました、すみません、大丈夫です」
「椅子に…座ったら」
「いぇ、まだ…」

 立てないので、は言う前に二人の女性はその気で誘導させようと言う雰囲気。

 微笑むしかない。

 私には「すみませんでした」「なんとか大丈夫です」「ありがとうございます」を、少し苦し紛れに連発するしかないのだ。

 3分感覚の電車アナウンスが聞こえた。通勤の女性はそわそわしつつ何かを言ってくれようとするけれど。

 確か、ここから数駅前だったな。頭が冴えてきた。非常に気持ち悪かったんだ。

「大丈夫なんで、すみません」
「取り敢えず、危ないから…」
「はい、すみません、大丈夫です」
「駅員さんを…」

 仕方がない。
 這うようにして階段の手摺を借りて立てば、なんとか安心したようで。女の人はそれからやはり、忙しそうにその階段を降りていく。
 どうやらここはまだ、人通りのない駅らしいと見渡した。

「えっと、この近く、なのかな?」

 初老の女性が言ってくれる。
 有り難いけれど。

「あ、大丈夫です。乗るので…」
「あ…そうなのね。まだ乗らなくて」
「すみません。なんとか大丈夫です、ホントにありがとうございました」

 電車がやって来る。
 正直、申し訳ないが少し、構われたくなかった。

 「そう…」と心配そうな女性に頭を下げ電車に乗り込み、なんとか、閉まるドア側に凭れることが出来た。空席はないが立っている人もいない。

 今日の天気は、それなりに晴れている。爽やかな、日差し。
 
 まだくらくらするけど、そう言えば、この駅はどこだったんだろうと降るようなアナウンスに耳を傾けることにした。

 『次は、上野、上野。お出口は左側です』

 上野の…前の駅か。何駅だったかな。多分普段降りない駅だろうな。

 どこから気持ち悪かったのか覚えてはいないが、うっすらと記憶がある。多分、人混みだった。座っていたのに急速に気持ち悪くなった。
 酸素が急に薄くなったような気がしたのだ。

 …西日暮里《にしにっぽり》あたりだろうか。何駅か我慢すればと思ったのに、入れ換えが激しかったのかもしれない。
 具合が悪い中の耳鳴りと、ダメだと思って急に立ってしまった起立性貧血に酸素の薄さ。

 そう、よくあること。あれほど目眩があったのは、今この瞬間にも余程自分は具合が悪いのかもしれないなと、こう考えられるほどには頭に血が巡ったような気がした。

 学校につく頃には何事もないだろう、取り敢えず私はどうにか落ち着こうと、鞄に感触を感じたペットボトルを取り出した。
 レモンティーだった。

 記憶がどうも、低酸素で曖昧だったが、私は先生の家を出て最寄り駅までついたらしい。しかし降りない駅で降りてしまったよう。

 よく、あることだった。

 多分、いつも通りの平日、学校に行く日課としてここにはいるのだけど。

 先生はこの不調に気付いてくれたのだろうか、それとも先生の家を出る時は元気だったのだろうか。

 ケータイで然り気無く日にちと曜日を確認した。

 10月3日の水曜日。

 そうか、10月を過ぎたのかとぼんやりと考えた。9月最終、大学が始まってすぐの28日、夏休み明けの飲み会を思い出してみた。
 確かアルコールですっ飛んでしまったんだよなぁ。

1日、2日のノートは鞄にある。

 そうだ。学校についたらまず、予習をしておこう。けど、電車を一本見送ってしまったから時間はあるだろうか。
 今確認するべきかなと、日差しの微睡みにぼんやりと考え、私は鞄からノートを、出した。

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