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それから先輩と先生の会話はあまりなかった。
氷で足を冷やす音、先輩が走る姿が思い浮かぶ。
正直、言い知れぬ動悸に近いものを、先輩と目が合ったときに少しだけ感じた。
いつも俺が二階から眺めていた先輩。俺はその孤独なような、自分を走っているような先輩の清々しい姿から目が離せなくなってしまう。
だけど別に、他にも陸上部員はいるはずだ。どうして鳴海先輩なんだろう。でも会ってみたらより深く心に残ったのは確かだ。
きっと先輩、モテるんだろうなぁ。
どんな顔で女の子と接するんだろう、キスをするのだろう、それ以上を…あの二重はどう捉えるのだろう。
想像も出来ないけれど考えている自分にふと羞恥心が沸いた。
それに気付いては慌てるような、動揺するような、身体のモヤモヤする不調は勃起だった。そんな自分に息が上がりそうで仕方がない。
わからないなぁ。
息を整え落ち着こうと丸まってはーはーしていればチャイムが鳴った。
先生は俺を起こしに来るのだろうかと思うくらいに落ちついてからベッドから出ようと思えば、「失礼します、」と、相田さんが保健室のドアを開けた音がした。
「はい」
…何故だろう。用事は俺だろうけどと、予想はつくけれど…。
「1年7組の志波楓くんはいますか?」
はたばたはたばた。
足音が二人分ある。
「あぁ、いるよ〜」
先生の声、ベッドから降りようとすればそのタイミングでしゃっとカーテンが開き、相田さんと高木くんがいた。
「志波、大丈夫?」
相田さんが俺にそう言う。
…うるさいなぁ。
だけど直接的な感情が言葉で出ないように俺は、多分愛想が良いだろう笑みを浮かべ「心配かけてごめんね」と言っておく。
相田さんはそれに高木くんを「ほら、」と焚き付ける。
高木くんは少しむすっとしているけれど「悪かったよ、」と、目を反らし俯いてまで謝罪するのだった。
俺に対しての高木くんの雰囲気は、少しは悪かった、くらいの色が見える。
「別にいいよ」
それは本音だった。
けれど良い対応ではないだろうと自分で思う。
疲れる、溜め息が出そうだなとそれを噛み殺し、構わないで欲しいし、俺は二人に構わずに保健室から去ってしまいたいと思った。
先生に「ありがとうございました」と告げたとき、鳴海先輩と目が合った。
鳴海先輩は爽やかに俺へ笑いかけ「よかったな」と言ってくれた。
それで俺は少しだけその場で立ち止まってしまいたいと思う、けど同時に息が詰まりそうなほど照れ、嬉しい、そう思えた。
「…はい」
「よかったな」と言う鳴海先輩に違うんです、別にそうじゃないと乾いた斜陽に思う。先輩だって別にそうじゃない、俺になんとも思った訳じゃない一言だろうけど、俺には嬉しさと、後ろめたさに近い感情が沸いている。
どうかお大事にしてくださいね。
その一言を言いたいな、と思ったのだけど、一気にドキドキしてしまい、無愛想に保健室を出て行くことになってしまった。
後ろから二人の足音が聞こえてくる。
「志波、その…」
相田さんの声に振り返る。
それで二人も立ち止まって、相田さんは「教室戻ろう…?」と何故だかビクビクするようだし、高木くんからも心配のような、言葉にしない感情が見えてくるし。
居心地悪いな。
勝手に俺は疎外され悪者にでもなったような空気が出来てしまっているじゃないか。
「…戻れるよ?」
どうしてそんな当たり前なことを言うの?
あのクラスの雑踏が溜め息と共に噛み殺される。
口の中でそれが馴染んでまた俺は歩きだすけど、「志波?」まだ心配そうに溢す相田さんに、ああ俺は掛ける言葉を間違ったと察した。
それでは、冷たい核心を学級委員長の心臓の真横にピタッと当ててしまった様なものじゃないか、八つ当たりのようだ。
特に相田さんが気にすることではないんだ、そしてそういう触れ方は、どんなに自分で気付いているとはいえ察するものも生まれるじゃないか。
わかってる、俺も誰も彼も、飽和でどうだって良いんだ。
二人を連れるように教室に向かう。
うるさいな、騒がしいなと教室のドアの前で急に両耳へ流れ込むのだから僅かに躊躇う。
開け放たれた、後ろのドアのカオスなうるささは何も今に始まった訳じゃないのに、平然なのに、と雑踏への入り口から教室に3歩くらい入ると、
「おーい高木、何ぃ?許してもらえたの〜?」
男子生徒のからかうヤジが飛び、「うるせーな!」と高木くんが向かう気配、「ちょっともう!」と言う相田さんの声。
多分、和やか。でも俺にとっては騒がしい。
机に戻り鞄に教科書や荷物を詰める俺に相田さんが「志波?」と、声を掛けるのもいい加減しつこく感じた。
雑踏に書き消されるくらいの声で「早退するね」と伝える。
俺が鞄を持って立ち上がる瞬間だけは「お?」だの「帰んのか志波」だの聞こえる。
俺一人いなくたって何も変わらないのに。
「具合悪いから」
出る直前で「お前まさか志波と浮気したの?」という一言が聞こえる。
それが爆弾のようで、女子男子が騒ぎ始める。
ちょっと振り返れば「違ぇよ!」と弁解する高木くんが爆心地になっていた。
うるさくて吐きそうなんだよ、お前らなんて。
御愁傷様高木くん。
俺はドアを力任せに閉めた。響くほどの音に雑音はシャットアウトされる。
けれどそれも一瞬。また盛り上がっているけれど聞こうとも思わなかった。
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