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 潤んだ瞳は綺麗な灰色でシンプル。

 なのに零れたオルタナティブ、グランジのような渇水、それが俺の中のエレクトリックで、青紫の透明、君の見た色と俺の見た色はどうやって染まるのだろうと、静かに傾聴した4年があった。

 ゲイバーで出会った楓は俺よりも小柄で、「結構モテないよ」と後に言っていた。

「まぁ、ちょっと休憩、くらいの相手だと思う、普通だと」

 そんなことはどうだっていいけれど、「じゃあ何年休憩しようかな」と裸でベットで抱き締めた夜があった。

 始めからけして抱き心地がよかったわけでもなかったけれど、例えば掛かる息がいつでも小さくて切ないし、「まーさ」と引っ掛かりもなく呼ぶ舌足らずで曖昧な発音も刻みが滑らかで。

 笑った顔は穏やかだし、だから口元、眉の吊りや顔の傾け方ですぐに複雑な気持ちが入ってくる。楓はそんな人だった。

 いつか、楓と二人で買い物に行った日を思い出す。白くて、袖口が黒いシャツを楓に選んだ日に、「似合うかなぁ…」と曖昧に笑った日。

 それはまぁ、ちょっとな、という表情だったと思う。

「白ならまぁまぁなんでも合わせられるんじゃない?」

 と言った俺に楓は一瞬困って「…そうかな?」とそのシャツを眺めてみて。

「これなら…パンツは黒なのかな?面接、遊びすぎてるかな?」

 曖昧な返答にピンと来て、「あれ?もしかしてちょっと違うのかな?」と尋ねたら、「まぁ、どうだろ」と言いにくそうだった。

「シックでいいかなぁと思ったんだけど、ちょっと違う?」
「あぁうん、シックではないね」
「果たして何色なんだろうか」
「ん?」
「薄めの色に、ちょっと弱いんだ俺」

 そう言った俺に楓は「そうだったんだ」と少し興味深そうだった。

「特に緑と赤系」
「へ〜、知らなかった」
「まぁね」
「あ、思い付いたよ、白と黒のシャツにする」
「ん?」
「いやその意見で思い付いたよ、確かにシックでいいね」

 楓の、たまにやる年上らしい、ニヤっと楽しそうな微笑み。
 俺の頭をくしゃっと一回やっては「ありがとね」と言う少しの悪戯顔にちょっとドキドキするもんで。

 それは優しいなぁ、とか、愛しいなぁ、とかよりも眩しくて曖昧な、説明のつかない感情。でもはっきりと「好きだなぁ」が沸いてくる。

 かと思えば、一緒に住む場所を探しに行った王子の桜に「雪みたいだよねぇ、桜って」と春の、どことなく暖かいけれど散るような寂しい風が吹くことだってある。

 同じ好きだなぁ、が、センチメンタルな暖かさに変わることだってある。好きだよ、楓。この心地良さはいつまでも、肺まで浸して血液に流れ込むんだよ。

 君と同じ景色を見ていたい、それは諦めなければならなかった欠損だとしたら、それを受け入れられなかったのだろうか、俺は。

 朝の、カーテンから溢れる斜陽と白い天井に、隣の冷たい一人分のスペースを感じる。

 楓はここから出て行ってしまった。
 横向きでその空いたスペースに手を伸ばして、抱き締めるようでも何もなくて。

 俺は同じ色に染まっていたと溺れていたのかもしれない。水は誰にでも透明だ。白に染まった君を何色にしてしまおうと、俺は違う色を見ていたんだと、倒錯してしまったのかもしれない。

 ゲイバーのおっさんを思い出し、そんなことを考えた。

 別れないよと言った日から3日後の平日、ここは知らぬ間に楓の脱け殻になり、通帳と鍵だけが置かれていた。

 電話することも、メールすることも敵わずに音信が不通になっていた。

 俺の気持ちは伝えられなかったと脱力してソファで考えた、そもそも俺は本当に楓の気持ちを分かることが出来ていたんだろうか、と。

 ハッキリとした俺の感情、曖昧で繊細だった楓の感情。
 始めて、色弱を呪った。

 シーツに余る手の感触に思い出す、滑らかで色白の背中、背中には右の腰骨あたりに小さな黒子があって、少し体温が低い温もりがあったはずで。これを手放したくないという切なさと、あぁ一緒に起きられてよかったという幸せがあった。

 突然消えてしまった楓に思い浮かぶのは、楓の母親の結婚話だっただろう。そればかりが幸せなのかはわからないじゃないか。
 そこに居続ける理由も拾おうとする理由もあった。

 …悲しい話という価値観が、先入してしまっている。違うはずだ、「幸せの話」が先を越してしまっていたのだ。多分。

 諦めきれたかと言えば、また俺はあの平坦さに戻っていた。
 自然現象を眺める心境な癖に全く自然の摂理に逆らっていた。
 そんな不感症な自分が酷く嫌いだったはずなのに。

 土曜の夕方、今日は休日。
 あれから半年か、一年かはわからない夏前。じめじめした灰色の日にタバコを吸おうとベランダにのろのろと出る。

 気管支が弱くなった楓のための蛍族。それだけは、面倒なのにどうしてもやめない習慣で、

「髭は嫌いだけど、まぁ好き。タバコの苦さも苦しくはないかなぁ」

 苦かっただろうキスに、楓はそう言った。タバコの紫の方が、青や緑よりハッキリしている。

「マーサ、似合うしね。俺、タバコ吸う姿、好きなんだ」

 思い出がくゆるようにふいに視界をぼやけさせる。不感症かな、心は痺れてどうも、止まっているよ。

 気分転換にあの店に行ってみようかなぁ…。
 荒治療な気がしたけれど、ぼんやりした涙の先に、あの日の楓の視線が浮かび上がる気がした。

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