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その頃はまだそれだけの印象で、次に会ったときに謎が解明され、少年の凄惨さを知った。
間もなくして奥方、律子が自殺を図った。
雨は特に葬儀にも参列する気はなかった。しかしふと少年が気になって訪問しようかと思ったが、やめた。そもそもそんなに防衛大臣と近い間柄ではなかったし。
だがそれから数年後、思いがけないところで雨は彼との再会を果たすことになる。
当時の雨の上官、|有島《ありしま》|一等海佐《いっとうかいさ》が、ある日突然、あの少年を連れてきたのだ。
数年ぶりに見た彼は、なんと言うか、当時より最早何かに吹っ切れた感が漂っていた。
相変わらず童顔ではあるが、少年には年齢のわりに妙な大人っぽさがあり、そこに追加された艶っぽさが謎を深めた。なんというか感覚的には売春婦のような、そんな印象を強くしたのだ。
「遠い親戚でね。たらい回しにされていたので喜んで買い取ったよ」
その有島の一言が全てを物語っていた。彼はどう考えるのか。
やはり生きた心地のしない少年だと思えてならなかった。
彼はどうやら、海上高校へ通うのを目的として、そのために実務経験と銘打って訓練所で有島の付き人のような役割を任されたようだった。
これでは本当に、寺小姓と言うやつで、それは訓練所にもあまりいい結果は呼ばなかった。
彼はどんな無茶ぶりに対しても拒否をしない。誰がどんな仕事を頼もうが、「はい」としか言わないのだ。訓練所の連中もそれを面白がって彼を構うが、何事もそつなくこなしてしまうし、覚えてしまう。しかし不思議にも衝突やらは起きなかった。
裏で有島が何か手でも打っているのかと思えば、そんなこともどうやらない。
そして有島は、放任主義といえば聞こえは良いが、何より彼を野放しにしているも同然だった。
掴めない少年と言う印象は訓練所の生徒も同じ感想で、彼をどこか敬遠する風潮が出来つつあった。
だが彼が来て少し立てばそれも収まりを見せ、露骨さは無くなっていったかのように思えた。
雨はたまたま彼を廊下で少年を見かけたことがあった。特に変わった様子もなく、普通に書類を抱えていたのだが。
ふと彼が更衣室の前に差し掛かった時、誰かに呼ばれたようで、そちらをちらっと見て立ち止まった。彼が頷いてそのまま入っていったのを見て、雨は疑問を抱いた。
果たしてあの書類はなんだったのだろうかと。
少しだけ引っ掛かったが、なんとなく寄って見るだとか、前を通ってみるだとか、そんなことはしなかった。
その後すぐに有島に会うも特に何事もなく、話題に触れることすらなく、あっさりと用事が済んでまたその廊下を歩いていく。
更衣室の方の曲がり角は恐ろしいくらいに静かに見えた。
それから雨が海佐室へ戻ると、一時間くらいしてからドアを叩く者があった。開けるとそこには潤が書類を持って立っていて、軽く会釈をされた。
あの書類は自分のものだったのか。
そう理解すると、随分と長いこと掛かったものだ。
「熱海…さん。この書類に判子をもらってこいと有島に言われました」
「そうですか。急ぎですか?」
「いえ」
「わかりました。夜までには終わるでしょう。ご苦労様。
それにしても、さっき渡してくれればよかったのに」
「え?」
「有島さんに今会ったばかりなんですよ。効率が悪いなぁ。追加書類かなぁ」
一番上の書類を見る限り、そんなこともなさそうな、雑用じみた紙切れだった。まぁ確かに、その当時の雨の官位は|三等海佐《さんとうかいさ》。端くれとはいえ上官の分類である。大体は判子だけだが、必要な書類ではある。
だがこの書類はどう見ても自分に押し付けられた仕事だ。
内容は生徒の履歴書。こんなもの、有島自信の管轄だろうに。
「それとも、押すだけなのですぐ済みますよ。お待ちいただけますか?」
「あぁ、はぁ」
「ではその間、暇でしょう。お話でも」
雨が椅子を促すと、少年はちょこんと静かに座った。
「今日の業務はこれで終わりですか?」
「はい、まぁ…」
「じゃぁゆっくりやっててもいいかなぁ。こんな書類正直後回しにしたいんですよね。
あ、これ。
潤くんでしたっけ。これ、この書類。後で有島さんに返しておいてください。あ、これも」
「…はい?」
「いやぁ、これ僕の仕事じゃないし。あの人、人使い荒いなぁ。あ、…人事移動の書類もある…なんで回してくるんだか」
雨はそうして幾つか書類を分類しながら、潤に渡していく。潤は、初めてのそんな対応にただ、ぽかんとしてしまったのだった。
「え、でも…いいんですか?」
「あ、知りません?
僕わりと仕事選ぶタイプなんですよ。有島さんもわかってるだろうに喧嘩売ってんのかなぁ」
「…なんか…」
「ん?」
「いえ…」
「いま、変な人だなって思いました?」
「え?まぁ」
「僕も思います。こんなやつ他にいたら多分凄く関わりたくない。けどまぁ仕方ないですよね。他人に好かれようとやってたらこの仕事勤まりませんから」
「はぁ…そういうもんですか」
「そういうもんです。
てか、退屈じゃありません?
君、船乗ったことありますか?」
「いや、ない…かも」
「試しに乗りましょうか。船酔いしたらごめんなさいだけど」
俯く彼の姿はまだまだ、15歳、高校生。
雨は微笑んで、「サボタージュといきましょう」と、立ち上がって潤に手を差しのべた。
その一瞬、潤が怖がるようにキツく目を閉じたのが雨には印象的で、手のやり場に困ってしまいつつも恐る恐る少年の頭を撫でると、
「…」
無言で見上げてくる少年の目には警戒心のようなものがあって。
「はい、もしよければ」
再び手雨が潤に手を差しのべれば、恐る恐るといったように手を伸ばしてきて、何もしないとわかれば、それでもまだ恐る恐る手を借りて立ちあがるのだ。
案外曲がった子である。実はもう少し、真面目な子なんじゃないかと思っていたが。
少し少年に興味を抱いた。
そのまま二人、船に向かう。
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