6
頭の中は至ってシンプルに何もなくなってしまった。
ただただ漠然と目の前の現実を消費して車から降りたら、見慣れたような建物だった。
くらくらしたまま入っていってエレベーターに乗って考えていたら扉が空いた。衝撃を感じて隅っこに移動すると、その男の警官が「何階?」と聞いてきた。
一瞬理解が出来なかったが思い付いた単語は「特本部」だった。怪訝そうな顔をしてその警官は7階を押した。
「瀬川、どうした?」
誰だろう、この人。
「はい…?」
「覚えてねぇのか?まぁ短かったからな。
捜査一課の|五十嵐《いがらし》だ」
「はぁ、はい」
どことなく自分の舌が麻痺している気がする。自分はいまちゃんと話せたのだろうか、何を言ったのだろうか。
「顔色よくねぇけど具合でも悪ぃのか?」
「具合…?いえ…」
「お前大丈夫か?」
なんだこの人。
こんな悪人面の刑事、知らないんだけど。
部署付近で、「恭太?」と、聞き慣れた低い声が背後から聞こえた。
振り向けば、シャツにジーパンにパーカーという、ラフな格好をした部長が立っていた。その、まさかの遭遇やら普段とのギャップやらでいろいろと驚き、一瞬判断が遅れた。
だが隣にいた五十嵐さんの、「誰だあんた」と言うなんとなく喧嘩腰な一言に、頭は少し覚醒した。
「…部長…!?」
「は?」
「あれ、今日は…」
「ちょっと寄っただけだ。まぁすぐ帰る。
…そちらは?」
「あんたが特本部の部長さんか。
捜査一課の五十嵐ですよ。覚えてます?」
なんだ、この二人。
「…一課…?」
「歌舞伎町の件はどうも」
「あぁ。あんときゃぁどうも。改めまして、特本部の部長、スミダです。すんませんね、非番なんでちょっと軽い感じですが」
「へぇ、ご苦労なことですなぁ」
「で、捜査一課さんがどうされました?特に人事移動も出てないしまだ瀬川をお宅に戻すには…」
「いいえ、別にぃ。たまたまエレベーターで会っただけですよ」
なんだか二人とも凄くぎくしゃくしている気がする。
「それはご苦労様です。恭太、どうしたこんなとこ…。
お前、大丈夫か?」
僕の顔を見て部長は怪訝そうな顔で言ってくる。なんだろう、そんなに変かな。
「え、はい…」
「うーん…あそう…」
ふいに、部長に両肩をがっつり掴まれ、少し背の低い僕に背を合わせるように屈んで顔を覗き込まれた。
こんなに至近距離でこの人の顔なんて、見たことあっただろうか。
前々から思っていたがなんだか目が、濁りなくてホント澄んでいて子供みたいだなぁ。この人は世の汚いものとかその目に写したこと、ないんじゃないかなぁ。
しかし気まずくて、なんとなく目を反らした。今は少しその目が怖い。
「部長、近い…」
「充血してるけど寝てる?」
「え?」
思わず反らした目を戻した。すると部長は再び立ち上がり、五十嵐さんを見た。
「あんた変わってるって言われるだろ」
「別に。ウチの部署はわりと皆変わってるから」
「あぁ、そう…。大変だな瀬川」
「えぇ、まぁ…」
妙に心拍数が上がってしまって舌を噛む勢いだった。思わず一瞬部長が僕を見たが、再び五十嵐さんに向き直り、名刺を渡していた。
「瀬川をここまでありがとうございます。昨日の今日で大変でしょう。あとは、こいつは引き取ります」
「あぁ、まぁ。別に通りがかっただけだし…」
「あんた、煙草吸う人?」
「は?」
「いや、まぁ何かありましたら今後とも浅い付き合いで行きましょう」
「…はぁ、」
二人はお互い睨み会うようにしてすれ違った。僕は部長に手を取られ、部署まで歩く。
「恭太、」
「はい」
「まぁ、無理はしなくていいからな。経理の件もあるし。あの話どうなった」
「わかりません」
「は?」
振り向いた部長の顔が驚いていた。
「僕、今帰ってきたんで」
「今?」
疑問を挺した表情で僕を見ている部長が、それでもやっぱりかっこいいと思えた。正直、霞ちゃんの気持ちは痛いほどわかる。
「今って、お前どこ行ってたの?」
「ゼウスの鮫島さんとこです」
「鮫島?なぜ?」
「経理の、あの薬品ですよ。あれ、ゼウスから買い入れたんですから」
「待って、話が見えない」
「でしょうね」
袖を引っ張り先を歩く部長を制する。部長が見つめる先は今、僕だ。
「入手通路を辿った先がゼウスだった、そういうことです」
「それでお前が今、鮫島の所に行ってきたと」
「はい」
「なんで」
「捜査です」
「誰の許可だ」
「僕の理性です」
「本気で言ってんのか」
「わりと」
睨まれたその冷たい瞳に最早、僕はなんだか自然と笑えてきてしまった。
込み上げる焦燥が最早快楽にすり代わり、罪悪や背徳は失笑に消えてしまった。僕は今、とにかく彼の袖だけを掴んでここにいるのかと妙な興奮が押さえられずにいた。
そんな僕に部長が、あの壽美田流星が驚いたような、唖然としたような表情を浮かべたのが最骨頂だった。
この人を今すぐ手にしたい、なんならぶっ壊してしまいたいと言葉を考えて考えるも、言葉なんてものを使ってこなかった僕の天罰だ、何も、何も出ずに彼に腕を強く掴まれた。
「話はゆっくり聞いてやろうか」
底冷えするようなドスの聞いた部長の声に、流石に身の毛がよだつほど冷め冷めして、同時に血液が降下を始めた。冷や汗が一気に沸き立つ。
しかし彼はそれを見ることなく踵を返し早歩きで僕の手を導いて部署まで引っ張っていく。
多分、彼の怒りの琴線に触れてしまった。それだけはよくわかった。
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