9
それから病室に直行すると先に伊緒が待っていた。
環はまだ寝ていた。そろそろ薬が切れる頃だと思うが。
算段は、薬で眠らせてその間手術をしている、と偽っているというものだ。
もちろん危なくない程度の投与、実際には手術に使われる量よりも遥かに少ない量である。
ただやはり精神面もあるし、あれから7年も声を発していなかった。発生練習なども行っていくとして、退院までには上手くいっても1週間ほどは掛かるだろう。
「どう?」
「まだ…」
「そう、」
伊緒とそうやり取りをしているときだった。薄らと、環が目を開けた。
思わず息を呑む。がっと、前のめりに立ち上がってしまう衝動を抑え、俺は環の手を握り、「環、」と名前を呼んだ。
ゆっくりと顔を向け、虚ろな目が漸くピントを合わせて俺を見たとき、環は顎を震わせ、涙を流して声なき声で俺を呼んだ。
「 」
我慢できなかった。
思わず座った身を起こして、でも頭を過って緩く抱き締めた。「よく頑張ったね」と、頭を何度も撫でる。
顔を見れば、涙は浮かべながらも笑っていた。天気雨のような笑顔。傘のような気持ちでその涙を拭ってやった。
「長かったね、環」
頷く環に。
「でも、よかった」
もう何を話そうとか忘れてしまって。
「俺は、もう、」
視界が霞んできた、あぁ、だめだ本当に。
「君に会えて俺はよかった」
それしか言葉が出ていかなかった。
後ろで伊緒が鼻を啜ったような気がしてはっと思い出した。
「…退院したら、もう、一緒に」
環は俺の言葉一つ一つに頷いてくれている。
どうしたらいい。
自分でやっと初めて切り開いた生活がこんなにも、色鮮やかで、そしてなによりも、
眩しくて仕方がない。こんなことってあるのか。
生きていくって、堪らない。
死にたかったのが今だけは、せめて今だけは。
死ねないから、死にたくないに変転したような気がする、たったそれだけでこれだけ明るく、夜になりかけた夕方を、見つめることが出来たなんて。
- 211 -
*前次#
ページ: