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タバコをその辺で吸って地下まで戻るとすぐ、「あぁ、いましたか」と、
一見神経質そうな、パリッとしたスーツを着た50代の検視官が、ファイルを持って剖検室の入り口に立っていた。
剖検室が開いた、ということは司法解剖が済んだということだ。これで環の死因がはっきりすれば、捜査権を制限されている俺も、自由になれるハズだ。
本当はこうやって自分に鞭を打つ必要は、なかったのかもしれない。けれども環の所在がはっきりしない限りは曖昧に済んでしまう。それを避けるためにしたって、環への凌辱を解剖単位でしてしまった自分に、今更後悔も混じってきていた。
政宗が少し検視官に身構えたが、ちらっと俺を横目で見て「特本部の荒川です」と名乗り、俺の肩を励ますようにポンと叩いて先に一歩出た。
「この度青葉環の検視解剖に立ち会った|警察庁《けいさつちょう》|検視官《けんしかん》、|咲田《さかた》と申します」
検視官、咲田と名乗った男は、政宗に書類を渡し、俺に「お悔やみ申し上げます」と、少し嫌み混じりに口上を述べた。
そりゃそうか、俺が頼りないせいでこうなったのだから。
「詳しく聞けますか咲田検視官」
政宗は書類から目をあげ、少し強めの口調で言った。俺と目が合えば躊躇いがちである。
見るのを躊躇っている場合ではないと書類を震える手で受け取った。
だが検視結果は「不明」。これが先に目についた。
「なんですかこれは」
解剖のあらゆる結果が目に入る。
致死量の薬物接種
手首の鬱血痕
首の静脈部の注射痕
身体、外部に不明の体液
精液と膣分泌液、一部多大な損傷
どう見てもそれは、薬物事件のレイプ被害者の物でしかない。そこで何があったのかは明白化されたはずだ。
「まだ正式な捜査の書類作成をしていないので詳しく捜査に対してどのような審判が下るかは言えませんが、書類を見ていただければはっきりと、彼女がどのような状態であるか、わかりますよね?」
「…腹部に裂傷があったかと思いますが」
「こちらも解剖したので、塞ぎましたけれども」
「そうじゃなくて、臓器やらなにやら…」
「貴方が何を求めているのかいまいちわからないのですが?」
咲田は平然と食って掛かる政宗に言い返した。
何を求めているのかいまいちわからない?何を言っているのか全くわからないが。
「…俺から言いましょうか検視官」
「流星、いいから」
「このまま見立てを“薬物事件による強姦事故”とするのであれば俺は勝手に違う機関を要請しますけど」
「何か証拠はお持ちですか」
「この事件…、
エレボス事件の捜査資料を提示すればよろしいでしょうか?」
「なんのことですか?」
「は?」
「あの事件はとうの昔に終わっていますよ?」
なんだこの反応。
「もし仮に現在進行形で捜査していたとなれば、それを進言してしまえば、どこの管轄の何の部署だか知りませんが、“検視から隠れて違法捜査をしている”として然るべき対処になると思いますが、会議に掛けましょうか?」
「何言ってるんだ、あんた」
どういうことだ。この部署は…。
「…一年前の大使館、ホテル『R'e chanteur』でのテロ事件はどう」
「あんなもの、一年も前でしょう」
は?
「どういうことだ、それは…」
政宗も最早脱力したように言う。
これは警察庁、警視庁とかではなく、日本警察組織の重大事件だったのではないのか?
「貴方方が何を行っているのかはわかりませんが、こんな案件は厚労省の麻薬取締部と警視庁の凶悪犯罪捜査本部の事案でしょう?麻薬所持の疑いがある犯人を捕らえて刑を科す。違いますか?」
言葉を失ってしまった。
俺たちがやって来たこの捜査は一体なんだというんだ。
いや、待て。
そもそも俺たちはでは、どうやって捜査をしていたんだ。そうだ、そう…
違法捜査?
確かにそうだが、丸々バッサリそう言われるのは些か無理があるだろう。
それを言ってしまえば、この検視結果に『腹部裂傷』と『内臓損失』が無いことにだって、無理があるはずだ。
「…違法捜査というならば、この検視結果だって無理がありませんか」
「何故でしょう」
「…俺が環を…青葉環をここに連れてきた時点で、ふ…、腹部裂傷なんて、あったでしょう!?」
まさか。
「塞いだって、そりゃ当然ですけど、まさかそれを…、殺害の証拠を隠蔽しようと」
「隠蔽だなんて人聞き悪いですね。ですから我々でメスを入れましたのでそりゃぁ、出来るだけご遺体は元に戻」
「流星。
多分無駄だ」
諦めたように政宗は言った。
が、書類を俺に押し付けるのは荒々しく、その瞬間に検視官の胸ぐらを掴んで振りかぶり、ぶん殴ってしまった。勢いで検視官はよろけ、長椅子にぶつかるようだった。
「ま、政宗ちょっとぉ!」
「それがてめぇらのやることかこの野郎…っ、
てめぇら、環ちゃんの悲鳴を聞かなかったのか、なぁ、誰もレイプ被害者晒し上げなんてしたく…っ、」
歯を噛むように言葉を飲んで俯いた。下げた拳に籠った力はさっきより、痛々しいまでに強くなる。
…お陰で冷静さを手に入れた気がした。
ただその手も握ってやらず「政宗、」と声を掛けたが、「痛っ…」と頬を押さえる検視官を見下した。
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