8


 運転席から降りると真里はヒロさんに軽く会釈をした。

「初めまして。遥子の夫の博孝と申します。光也くんもお世話になってるみたいで。
 ちょっとお茶でもどうかなって話しててね。車は僕が運転するよ」

 ヒロさんは、真里が名乗るのも待たずに運転席へ乗り込んだ。
 ふと真里が、「あいつ、俺嫌いなタイプかも」と俺に耳打ちをする。

「あーゆー飄々としたやつなんか嫌いだわ」

 俺はそれには何も返さなかった。

 俺は助手席、真里は後部座席。俺たちが乗るとすぐ、ヒロさんは車を発進させた。

「今日は非番ですか?」
「うん。やっと取れたよ」
「せっかくの休みにすみません」
「まぁたまにはこーゆー日もいいよね。
君たちは今日は?」
「とりあえずは引っ越しというか…荷物運びです」

 ヒロさんはそれには無言だった。真里も特に何も話さない。

 そんな状態のまま喫茶店に着く。俺たちは店員さんに窓際のテーブル席に通され、席についてすぐにヒロさんはコーヒーを頼んだ。

「君たちは?」
「俺もコーヒーでいいです。真里は?」
「紅茶で」

 ヒロさんが店員にそれをオーダーしてくれて、すぐに運ばれてきた。

「ヒロさんとこうして話すの珍しいですね」

 これには何かある。そう思って聞き出そうと思って話を振ってみた。

 ヒロさんはコーヒーの水面をじっと見て、優雅に一口飲んで俺と真里を含みあるようにそれぞれ見てきて。

「引っ越しって言ってたけど、小夜ちゃんと住む為にあそこを引っ越すのかい?」
「いえ、取り敢えずは、あそこのままですが…小夜の父親を探してみようかなって。父親が見つかるまで援助じゃないんですけど、真里が一緒に住んでくれるって言う話で」
「見つかる保証は?」
「…今のところはない、です」
「…小夜ちゃん、いい子だよね」

 ヒロさんはふとそう言った。

「昨日もずっと君のことを気に掛けてたよ。大丈夫かなって。最近はあんまり一緒にも居れなかったそうじゃないか。ずっと仕事してるって。8才の子がいい大人を案じているんだよ。
 わかってるかな?君はもう学生じゃないんだ。勢いに任せて何かをやってもいい。ただ失敗するリスクも考えなきゃいけないんだよ?」
「…全くもってごもっともです」
「まぁこの辺の話は遥子もしたんだろう。このくらいにしておくとして。
 君はどうして、出来ないかもしれないことをやろうとしたのか」

 こうきっぱり出来ないと言われてしまうと反論もしたくなるが、現に迷惑をかけた以上、今は言えないなと言葉を飲み込んだ。

 真里が腕を組んだのが見なくてもわかる。真里がイライラしてきたときの合図だ。

「答えられる?」
「…確かに小夜を拾った時は勢いでした。けど今、それじゃあやってけないって思い直したし身に染みたから、自分なりに少しずつ状況を打開しようと、」
「じゃぁ体調管理くらいちゃんとしないとね」

 何も言い返せないな。

「…嘘もやめた方がいいしね。
 君が今やってることはまだ学生みたいなもんだ。進路に悩んで勉強をがむしゃらにやってるのと変わらない。
 真里くんだっけ?君は見たところ学生だね?だったら分かるよね?でも光也くん、君はそれじゃダメだろ?
 そんな幼稚な二人が一緒になって一人の少女を助けようなんて、無理に決まってる。他に甚大な被害も食うだろう。現に、うちの遥子が被害を被ってる」
「今回の件は本当にごめんなさい。俺がもうちょっと体調管理さえしっかり」
「体調管理じゃないだろ?本当は」

 …もしや。

「君の器じゃ抱えきれなかったのに抱えてしまって自棄を起こしたんじゃないのか?僕ね、医者の友人がいるんだよ」

 あぁ、バレてんな。

「それはやってはいけない。今回のことでどれだけ遥子が気に病んだと思ってるんだい?聞いたら昔からだそうじゃないか。君が見てないところで遥子がどれだけ君に手を焼いてると思ってるんだ」
「なんかなぁ、」

 真里がヒロさんに、まるで嘲笑うかのような一言を漏らした。

「あんたらの家庭環境なんて知らねぇけど今見て思うのは、あんたにはさ、何も見えてねぇんだな、自分以外」

 それにヒロさんさ睨み付けるように真里を見る。真里は、それにも動じずにヒロさんを睨んで返した。

「ねぇちゃんがあんたにそれ言ってくれって頼んだのか?だとしたら冷たい女だな。勝手に世話焼いたくせに。
 それって例えるなら光也さんが、小夜を勝手に引き取ったのに、小夜にすっげぇ文句言ってるって感覚と大差ねえよな。
 あんたが独断でやってるんだったらはた迷惑な話だ。さっきから何も光也さんから話を聞こうとせず一方的に責め立ててよ。虐めみてぇ。てか、ねちねちねちねち陰湿なんだよ。
 この人だってあんたに言われたことわかってるから、なにかしら努力しようとしてんのに一切聞こうとしねぇで否定ばっかしてる。ねぇちゃんに言われたにしても独断でやってるにしてもあんたには間に立つだけの器がないんじゃない?
 自分に酔ってカッコつけることなんて今は後回しにした方が解決策に繋がると思うけどね」
「君は、真里くんと言ったっけ」
「神崎真里だ」
「いくつだい?」
「聞く前にあんたがいくつだい?」
「いいねぇ、君らみたいな若さは。
 光也くん、この子はなんなんだい?
 とにかく僕が言いたいのは、うちの遥子を悩ませないでくれって言いたいんだ。確かに遥子は好きでやってる。今日のこれはその子が言う通り僕の独断だ。別に見えてないと言われても痛くも痒くもない。だからこの子と話す気はない。
 ただ君の将来が心配なのも事実だ。君と僕の付き合いはその子より長いはずだからね。だから言いたい、君は遥子の優しさに甘んじてるんだよ」
「付き合いが長い?だったら尚更見えてねぇっつってんだよ。
 この人がな、どんな思いでねぇちゃんに今回だって、」
「もう会いません」

 俺は、真里を遮ってヒロさんに断言した。

 空気が凍る。一瞬、二人ともわからなかったようで、ポカンとしていた。
 だから、できるだけ笑顔で言おう。

「姉ちゃんと連絡を絶ちます」
「えっ…」
「はっ、何言って」
「それが一番いい。常識で考えたらそうなるだろ?
 旦那さんがいて子供がいるのに弟の世話焼いてんだぜ?
 こっちが絶てばあっちは何もしてこない。昔からそうだ。なんだかんだほっといてくれって俺が言えば、どんなにこっちが精神崩壊してたって歩み寄ってこない。俺達はそーゆー姉弟なんだよ」

 そうやってバランスを取ってきたつもりだった。二人の時は。だけど今は、二人だけの環境じゃないんだ。

「ヒロさんに任せてよかったです。うちの姉、いざってとき弱いから」
「光也くん、あの…」

 俺はその場で姉貴へのメールや電話を着信拒否にしてやり取りを全て消去した。それをヒロさんに見せる。

「待って光也くん、そーゆーんじゃないんだ」
「いや、いいんです。俺は、もう…」

 言葉が見つからなくて席を立った。

「真里、行こう。
 最後に小夜は迎えに行きます。いずれバレるけど姉には、今日のことは内緒にしておいてください。定期的にテキトーに、俺は元気だと伝えてください。じゃないと、家に来ちゃうから、あいつ」

 ヒロさんに背を向ければ「光也くん!」と呼び止められたが無視をした。

 吐き捨てるように真里が、「てめぇが勝手をした結果だバーカ」とヒロさんに言ったのが聞こえた。

- 37 -

*前次#


ページ: