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それは四半時にも満たなかったかもしれないし、一刻程のことだったかもしれない。
一晩にしては明けなかった、それだけは確かであり。
「…………っ!」
声を失った。
盲のような狭い、僅かな隙間から見える母は口から血を一筋流して絶命している。
開けようにも重みでそれから動かなかったその押し入れの戸に刃が突き立てられたのは理解し、やっとで開けたらやはり、凭れて亡骸となった父の胸に刃の跡があった。
姉はその場から消えている。
自分の生活に、噎せ返るような血の臭いがした。
「……っ…くっ、」
少年は立ち尽くす。
声は出しちゃあかんよ、姉さんが此処におるから怖くない。
蛍冴《けいご》、出てくるなよ。
そして苦し紛れで自分と目が合ったかはわからないが、ダメ、と首を振った母がいま。
「……んぅ…っ!」
噛み締めても噛み締めても歯噛みしてもきつく握る拳に指が噛む、喉の底から吐けない声が洩れる。
何より散々涙が気狂いのように出ては「ぅっくぅ…!」と、少年は押し入れから這ったまま立ち上がることも、出来ない。
一家が無くなってしまった。
少年には何もすることが敵わなかった。
何故自分は生きているのだろう。
膝から崩れた自分の身体が重いか軽いか。少し手を伸ばした先には母の顔がある。ぼんやりして震えてきたら発狂しそうで、だけどそうだ母さんの裸を隠してあげようだとか無駄なことばかりに身体が動いて、どこかで気付いているのかもしれない、僕は今何かが外れていて多分触れた。
叫ぶ自分の声が次第に空気のようで聴覚から消え失せていく、喉も痛いのかはわからないが頭の中に、漠然と赤黒いものがとぐろを巻いていて気持ち悪い。
意識のある動けぬ屍となったというものすら遠くなり、何度も意識が戻り朝になる頃の自分には確かに思考もなく、動く気があるかないかの問題も灰になる。少年は意思を垂れ流す、
早く死んでしまえば良い。早く死んでしまえば良い。早く、早く死んでしまえば良い。饐えて早く死んでしまえば良い。死ななくても良い、なんでもいい、無くなったのなら止めが刺さってしまえばいい。
じゃぁいつそれが、
「最近な、お店にお侍さんが来るんやけど、なんも買っていかんのよ」
姉の言葉。
「あらなんやろね」
「なんや、気持ち悪いんよ」
盲の母が心配そうに姉を見て「そら、お父さんに言うたん?」と訪ねる。
自分は母の手を誘い、少し冷ましたお茶を渡したのだが、それに母は頭を撫でてくれて、「蛍冴が姉さんを守ったらええんよ」と言ったら、二人とも空気は柔らかくなったのに。
「お侍さんは姉さんに悪いことをしてるんやろ?」
「んー。なんやにたにた笑いよってな、美人やねぇ、いつ終わるん?てな」
「あかんね。母さん、明日から向かえに行こうよ」
「蛍冴、大丈夫やで姉さんは」
「ふふふ、そうやね。蛍冴は立派な男や」
「母さんは蛍冴が連れてくよ、姉さん」
「…まぁ、お父さんにも言うてみるな。蛍冴は母さんを守ってあげてな」
そう話していたのに。
母の目は閉じられていて、冷たくて。
蛍冴は入ってな、いざとなったらお母さん守るんやで。
大丈夫や姉さんはここにおる、怖くないで。
声を出したらあかんよ、蛍冴。
光も見えない、母より盲になってしまった押し入れは声だけで少年に全てを見せつけて、この戸棚を、たったこれだけだった。
延々とその日が頭から垂れ流される。
そう、そろそろ暗くなると、少年の思考が、例えるなら外を歩く砂利のように意味をなさなくなった頃。
玄関を入ってきた物は、知らない、身綺麗だがお侍と変わらないような黒い着物で。
「生きとるなぁ」
見上げることは少年自身の気力ではなかった。
少年の前に、蛇のような目をした厳つい男がしゃがんでにやけている。
危険かもしれない、そんな自己防衛が消え失せているのに、男はにやけ面のまま少年の髪をひっ掴む。
「……っ、」
痛い。
漸く生きているという負の感情が沸き上がった、思い出した。
「いい目だな小僧。なあ?」
いままで見てきた誰よりもその面も目付きも目も、それに対して不穏しかないが何に対しても言葉が尻尾を巻いていく。この男は恐らく自分を殺すだろう。
恐怖に近いのか喜びに近いのか少年の麻痺しそうな思想が動き出す。
それで少年が男へ吐こうとした言葉は「死なせてくれ」だったが、喉は風しか通さなかった。
通さない、通さないと気付けば急に心へ砂利や泥の濁流が流れ、無機質に、涙が溢れて壊れたようだった。
声はどこにいった。
「はは、泣けるくらいには生きとるようやで、ネズミのような童やな」
多分こけにはされている。だが何をやる気力も体力もなくなっている。
鼠、動物は強者の前では本能が遥かにへり下っていくものだ、それに身震いがして鳥肌が立ってゆく。
「お前の姉ちゃんは生きとるで」
「……っ!」
それは、希望なのか、絶望だったのか。
後に知る、自分は三日も一人でじっと生きていたのだと。
自分をそこから出した大鷲は「藤宮一真《ふじみやかずま》」という、一門を抱えたヤクザであった。
自分を助けにきたのだと言う言葉にある意味嘘はなくなる。
姉が生きていると言う一言に声なく涙が溢れた八つの自分は、幼かったのだ、何をするにしても。
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