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 それが、昨日の話。

 それがあって真樹は現在普通に学校に毎日通うこととなった。その初日にまさかの事態が発生中である。

 そして問題は去りつつあり、一之江は事件の加害者っぽい、半殺しにされた生徒と奏を、あのホテル病院に連れて行けと言っているのだ。

 未だにナトリと文杜にはこの非常勤講師がいまいち掴めていない。
 だが一之江はペースを変えて自分達に合わせようとしてくれない。あくまでも自分のペースで事を着々と進めていく。

「天崎、お前は落ち着くまで俺とここでカウンセリング」
「…やだ」
「じゃぁ石田から聞くしかねぇけど」
「…わかりました」

 奏は渋々といったように頷いた。それに一同が思わず石田を一点集中的に見つめた。

「…彼は、僕を助けてくれました。僕が嫌がっていたことを、止めてくれたんです。僕、弱いから、彼を守ってあげられなくて」
「ちょっと、」
「天崎うるさい」

 なんとか庇おうとする真樹を一言で一之江はバッサリ切り捨てた。それに容赦がない。

「織田くん北郷くん直江《なおえ》くん」

 奏が、ソファーにダルそうに凭れていた三人に放つ。更に続け、「どうして、僕なんですか」と、震えるような声で問いかけた。

「…は?」

 織田は、凄くダルくて仕方がない、最早助けてくれと言わんばかりの目付きと反抗的な口調で奏に短く返事をした。

 それで悟れたわけではない。けれど奏は言う。

「僕は君達が嫌いです。でも本当は嫌いかどうかもわからないまま3年やって来てるんです。だって僕は、2年まで君達と同じクラスでも、君たちの性格、知らないじゃないですか。でも怖いんです。学校がクソつまらないんです。おかげで自分が嫌いになりました。青春を返してくださいとは言いません。ただ虚しい。それは知ってください」

 三人共、奏のその淡々としたセリフにただ、俯いてしまった。そして奏は真樹に微笑む。「真樹…さん?」

「ありがとう。
 文杜くん。君が置いていったあの本、僕、昨日トイレの鏡台に置いといたら、今日には無くなってました。電車の上の新聞みたいな感覚だね、きっと」
「奏、君は、」
「クソつまらなかった、学校。この3年間ずっと。
 何度も、何度も死んでやる、みんな死ねばいい、どうして僕だけ、誰にわかるか。そう思って、閉じ籠って。
 でも、話すべきだったのかもしれない。僕がきっと間違ったんだ。
 きっと排他的って言うのは、苛めだの疎外だのそんなのは、理不尽だけどこうして僕みたいに、本人にも、多分問題があるから、エスカレートするのかもしれないですね」
「…それは間違っちゃいない理論だ。
だが石田、お前な、」
「先生。
 僕ずっとびしゃびしゃでした。漸く気付きました。僕が気付いたから周りもきっと、」
「石田」
「病院行ってきます。一人で行けます。皆さん、ありがとう。また明日」

 そう言って一人早々に保健室を去る奏の背中に不穏を感じて。

「待て、待った、」

 初めて一之江が大きな声を出した。そして保健室の扉を荒々しく開けて回りをきょろきょろ見てから一度振り返り、

「悪い、抜ける」

 それだけ言って走ってどこかへ行ってしまった。

 何事かと唖然としていると、ふと真樹がびくっと立ち上がり、窓の外を驚いたように見て。

 そして、ボスっと言う音が聞こえてナトリと文杜も振り返る。

もしかして。
嫌な予感がする。

 真樹がそのまま飛び付くように窓へ行こうとするのを、「待て、」とナトリが押し止める。しかしなかなか真樹も興奮状態。押さえ込むのが大変だ。

 ふらふらと、文杜が、窓を開けて外を見る。

「…っぅあ、」

 唖然と立ち尽くし、少ししてから目を逸らす。

 その瞬間全てを察した。真樹の力が急に弱まり、今度は落ちていくのを支えるのに尽力。

 外には。
 生きた人間には不自然な曲がり方をした首と足。手は投げ出され、深紅が広がったそれのまわりの新緑。まだそれでも形が留まっているのはこの新緑のおかげか。生きていた人間だと察っせて、それが奏だとわかってしまうのがグロテスクだった。

「まさか」

 織田がそう呟いたのが文杜の導火線に火を点けた。文杜は拳を、手の平に爪が食い込んで血が出るような勢いで固く握りしめ、震えたかと思えば即向かっていき胸ぐらを掴みあげ、「てめぇ…っ、」と、しかし言葉に詰まり、顔を歪めて耐えるように涙を流したそれすら凶器で。

 脱力したように、振りかざした文杜の拳は下げられた。
 それからぶん投げるように胸ぐらを解放した文杜は立ち上がり、「…行くぞ病院」と、低く唸るような声で告げた。

「文杜…」
「立派だ。これも、一つの殴り合いだよ。
 俺に暴力を残したのは、金とヤクザと…奏だけだな。とんでもねぇ顔面ストレートだ」
「奏さん、は、」
「真樹」

 真樹の目を見るそれすら冷たい。こんな時の文杜は酷く、傷付いている。

「見ない方がいい…」
「どして」
「いいから」
「…でも」
「うるせぇなぁ、チビ。
 お前に救えなかったあいつを見るんじゃねぇよ、はしたない」

トゲがある。錆びている。
それでもやはり。

「…だからだよ」
「は?」
「はしたなくも、そんでもカッコいいと、彼は言って、くれたから俺に、文杜に、ナトリに。
 それを今見届けないんじゃ、彼の過ごしたそのクソ、つまんねぇマンネリ、変わんないじゃん。誰がまた聞いてやんだよ。誰がまた愛せるんだ、よ」

 錆びた水道の水のような声。溢れる言葉。

 だから出会えたといつか言いたいんだ。だから自分を愛せたよと、クソほど時間が掛かろうが俺はいつか、君にだけは言ってやりてぇよ。嘘でもいいから、間違いでもいいから。

 ナトリの腕をすり抜け、3人集が葬式面を並べ、文杜が対峙しているその間を通り、真樹は窓の前に立つ。

 震えが来た。こんな時の深呼吸。やっぱりあの安定剤、安定なんかしねぇよ。なにがコントロールだ、でも。

 叫びそうなのを噛み締めて窓の外を見た。

 夕焼けは優しく昼間からオレンジへ。赤い残像は歪まなく。ただ、過呼吸になった真樹を後ろから文杜が抱き止めたのを、保健室にいつの間にか帰って来て眺めた非常勤は最早黙って見つめていた。

 こういうガキは、悲しいほどに単純だ。どうしてこんなに必死なんだ。

 あと一歩踏み出せない、それは人間に与えられた贅沢すぎる精神疾患だ。青春なんかじゃない。これは。

「怠惰だよ」

 多分誰も聞くことのない呟きを、震える溜め息と供に一之江はぼんやりと吐き出し、捻って閉めた。

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