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 そして、年明けも過ぎて間もなくの頃だった。

 時世では江戸城坂下門さかしたもんで、磐城平いわきたいら藩主、老中ろうじゅう安藤あんどう信正のぶまさが水戸藩浪士に襲撃される事件が早速勃発した。

 なんでも、あの「東禅寺とうぜんじ事件」に参加した者や、医者などもいたようだが、桜田門外の変に於いて警備は厳重となっていたようで、安藤正信は怪我で済み、襲撃した6人全員は討ち死にしたと言うことだった。

 それはすぐに、翌日京でも大々的に話題になった事件となった。

 幹斎は、ちらっと手紙を受け取った。

「…正気の沙汰でないな」

 それは京からの「攘夷協力要請」と銘打たれていた。
 1月16日、幹斎は皆を集めてその旨を話すに至った。

「…攘夷協力要請とは…、どういうことでしょうか」

 無論、各々その声は上がる。

「…恐らくは大分昔にしても、儂が武家の出で、処罰ではなくこの待遇だからであろうと思う。世も末だ。
 しかし儂は考えた。具体的に何が、というのは書いていないようだ。何も戦争と言うわけでも、なかろうと」

 ではどういったものなのか。

「…とにかく世の中はこうらしい。少し時間も掛け、考えようと思う」

 それでその場は解散したが、間もなくして藤嶋宮治が似たような紙を持ってやってきたのだから、動揺が走って当然だった。

「…残念ながら、どうにも使えない役人ばかりのようで椅子が余って仕方ないようだ。
 俺の場合は最早、勅書ちょくしょとして来ちまったんだが、幹斎、あんたはまだましか」
「…そうだなぁ」
「…んまぁまだ期限は伸ばせるかもしれないが、風潮的には今年か来年かで俺もどうにか戦地に行くかもしれないな」

 二人は、縁側で話していた。

「まぁ、だからやっといて損はなかっただろ、幹斎」
「…見越していたか、お前」 
「そんなに優しくもねぇ、偶然だ。俺も一応やりたくないからな。やはり協力して爆薬作ってるくらいが、楽じゃないか」

 そう提案するのにも、藤嶋はどこか遠く、ぼんやりしているようだった。

「…誰にも何も残していない、関係もない俺たちにピッタリじゃないか?因果応報かねぇ」
「…確かにな」
「…だが、まぁな。例えば子は親の墓を立てる、親は子を育てる。俺には無縁だと思っていたよ。やってこなかったもんっつーのは、どうにも返ってくるんだな、坊主さんよ、」

 当たり前に探して通りかかった朱鷺貴は藤嶋が来ていることに、疑問と、事の大きさを実感した。

「あ、いたいた。
 …いらない者までいたようだな。あんた相当暇だろ」
「ようクソガキ坊主。仕方ねぇだろ。悪いが親共は大変なんだ」

 なんとなく、話は聞かなくても分かるような気がする。

「…大方あんたの所にも来たのか」
「まぁな。まぁ爆薬作っとくくらいの貢献が良い気がしてるが、どうせそれもその場しのぎですぐ終わっちまうだろう」
「…本気で言ってんのかあんた」
「お前らに酔狂と言われるくらいは別にいいよ。しかし子供の言うことを聞けないくらいには大変なんだよ」
「…あんたさぁ」

 珍しく朱鷺貴は藤嶋と話す気で隣に座り「どう見るんだ」と、聞くのだった。

「ははっ、」

 …藤嶋は案外、複雑な表情をしては「子供に言われちゃホントに店じまいかもな」と言った。

「……どう見る、か。混沌だ。皆誰でも良いのが本心だろうが、抗えないものもある。
 幹斎、爆薬の話をしたが近々薩摩の島津しまづ久光ひさみつここへやってくるよ。もっとも、薩摩には積年の恨みがあるだろう、反幕ではあるな」
「…そんな世の中になったか」
「奪還も藩単位になってきた。しかし軍事力はいまのところ薩摩が一番強い」
「…俺にはなんの話をしているか」
「あぁ、もういいや、お前は背を見ておくのが正しいんだよ朱鷺貴・・・

 …それだけで朱鷺貴は急に、不安やら哀愁やらと、けして良い感情でもないが、黒くはないものが押し寄せた。

「…何を、」
「ははっ、うん、そうだ。あいつにも言っとけ。お前らはよく見とけよ、舞台には上がらずに、」
「…何で俺に言うんだよあんた。
 なぁ幹斎、」

 だが求めた幹斎も、最早腹を括ったとでも言うような、やはり決めた顔で「そうだな」と言うのだった。

「…朱鷺貴。
 信じるものがけして正しいなど、仏様でも言わないものだ。そうだっただろう?」
「…なんだそれ、」
「いつか言ったな。逢仏殺仏逢祖殺祖と。その教えだけは間違っていないと儂が唯一思うものだ」
「……はぁ?」
「神さんもたまには良いこと言うよな。流れることも正しいが、正しいと決定出来るようなヤツは自己満足しか持ち合わせていないんだよ」

 二人がそう悟るように言うのだから「あり得ねぇ、」と、それでも出てくるのは反抗心でしかなかった。

「あんたらそれで、」
「いざとなったらお前らに首くらいやると教えてきたんだ朱鷺貴」
「……やめろ、」

 だが低く唸るのに幹斎はやはり昔から変わらない、いや、昔以来の暖かくも寂しくもある、そんな表情なのだから言葉を、途切るしかなくなった。

「…そんなにあんたは全て捨てるのか、殺したいのか…、」
「勝手だとわかってるよ」

 なんだか。
 虚しさばかりで穴が空くことに気付けば。

「…の、バカ弟子」

 恐らくは幹斎も初めて見た。

 込み上げて込み上げて、だが何か、悔しさか、憎しみか、悲しみかすらぐちゃぐちゃに混ざり、却って無になりそうな、そんな透明な気持ちが溢れて来るようで。

「…いいぞ、馬鹿野郎。早く死ねば良いよっ…、」

 それを託そうなど。

 昇ってくるのだから「世話掛けたな」と、去るしかない。

 部屋に戻った朱鷺貴の初めて見た感情に、翡翠も「トキさん、」と戸惑ったように見える。

「………」

 けして何かが言えるものではなかった。

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