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「頼む、少しだけやから」

 少年は困り果てていた。
 確かに、場所柄もあり少々幼く女顔だと少年に自虐心はある。

「いやぁ…」

 武士階級の男は壁に両手を付き、自分はそれで身動きが取れない。あと少し上を向けば男の顎に少年の口が触れそう。

 それにもへらへら笑って対応している自分に少年は、たまに嫌気が差す。こんな時は特にそうで、それでもどうしたらいいかとわからない。

「…もう少々で朱雀すざく兄さんもいらっしゃいますさかいに…」
「その少々の間で構わへんねん」
「ホンマにもう間もなくやから、」

 武士の表情は朱色で、少年は知っている、身に染みている、情欲というやつで吐く酒臭い息の湿りは三分さんぶ増しだ。

 壁から離れたその男の指が、少年の左足の腿辺りから股付近でスッと這うのも、少年には慣れたことで焦燥ばかりが煽られる、だけ。

 ここにいくらでも人の声がある。それでも死角、隅で誰も来ない、誰かが例え気付いても一人で現状打開が出来ない。
 わかっているならこの指、手に身を預けた方がまともなのかもしれないが、この男は男娼である朱雀の客なのだから面倒だ。

 いざと黙っていれば男は少年に口付けようとする、顔をそらせば首筋がそれで滑る。
 「あの、せやから、」と本当に少年が嫌がったとしても、ぴちゃぴちゃ、耳に男の唾液の音が響く。

「…お侍さん、あきまへんよ、」

 押し飛ばすまでは出来ないのは店の客だからである。
 離しても腿をねっとり触られ酔った熱い目で少年は捉えられ、「なぁ、頼んますぅ」と上気した声で男に誘われる。
 なんなら、男の硬くなりかけた陰茎の先端を腿に軽く擦られるのだ。

「待ち時間だけやてぇ、」
「いや、わてはそう言った手合いではのうて」
「そのわりに首は感じるんやな?」
「…規律もありますさかいに」
「大事ない、誰も来ぅへんしあんさんかて、気は変わるやろ?こんな、ところにおったら」

 こんなとは、些か侵害だが、それは世論と一般の常識か。

「…それはないです」
「いじらしいなぁ、なんなら、朱雀よりかあんさんの方がええねん。俺は優しいで?大事ない。お互い楽しくやろうや」

 誰も来ぅへんし。
 言われてしまえばそう、誰も助けてなどくれないだろうと、少年にはふいに悲しくなることだってある。

 耳元で更に続けられる「騒がれたら困るやろう?」と、脇差しに手を掛けられたところでこのクソ野郎と思うも、声に出ずにそのまま手と首筋とを絡め取られてしまう。

 いっそその脇差しを男の腰から抜き取り、殺してしまえたら良いのだけどと、息を殺した時に「おい」と、店主の声が心なしか響いた気もした。

 男が焦るように、急に冷静で少年から体を離したのだから声は間違いない。

 少年がぐったりしたような視線の先に見た店主は腕を組み、いつものように何を考えているかわからぬ目で傷の付いた頬を上げ、「どうかされましたか」と、客に訪ねた。

「あ、いや、その、」
「その者何分私の小姓故、すぐ左手側に厠があると未だに案内が覚束無い。不都合がございましょうか武智たけち様」
「えっと…」
「朱雀が空きましたと伝えさせようとしたのですが、道を迷っていたようですな」
「そ、そうか」
「三分で如何でしょう」

 店主は間髪いれずにそう、男に吹っ掛けた。
 何事かは、少年にも掴めない。

「は、」
「朱雀は他にも客がおります故、よろしければそちらの小姓、翡翠ひすいを三分でお貸ししようかと」
「…店」
「さ、三分!?」
「ご不明でしょうか」

 至って淡々と言う店主の言葉が漸く少年にも理解出来てきた。三分。随分な額を提示したものだが、その程度か、自分は。
 店主の意味合いは三分を稼げ、なのか、払えぬなら往ね、どちらもあるように翡翠は捉える。
 まさかそうも、店主が簡単だと、翡翠は夢にも思っていなかった。

 ならばと少年には反抗心、少し自棄になりつつも、武智という侍の項へ腕を回してただ、息を吹き掛ける手合。
 先程とは打って変わって驚いた表情…から少し怒りの入り交じってきた武智に「武智様」と、少年は舌足らずに吹き込むのだった。

 物欲しそうな目に変わる少年のいじらしさは、16の歳のわりに酷く妖艶。武智は状況を掴めず訳がわからなくなりそうだった。

「…なんや、初めからそのつもりかこの店は、」
「お客さんの要望に合わせるのが我々の仕事ですから」
「要望って、」
「合わぬなら朱雀の元へご案内します」

 武智は翡翠の目を再び眺める。
 そうは言っても、どこかあどけなさがあるのは、慣れた手合いよりも魅力に感じるのは事実。
 伏し目がちに俯き店主を気にする翡翠の様に、「あぁ、わかったわ」と武智は少し了承へ傾いたようだった。

「それほどか、」
「さあ?意外と良いのではないかと思いますけれども」
「…小姓を売り渡そうなど、洒落てますなぁ店主」
「御贔屓に。
 翡翠、厠は左手だ。粗相のないように。
 何分その者不馴れですのでご不満があれば私めにどーぞ」
「へぇ、そないに自慢がありますか」
「翡翠、早くいってらっしゃい。お客様がお待ちだ」

 翡翠は武智から離れ店主の先の左手にある厠へ向かう途中にぼそりと、「人でなし」と呟いた。
 すれ違う瞬間の店主の目を横目で見れば、酷く冷めたような、更に都合の良い解釈をすれば怒りが見える気がするのに、彼は「では、三分で一晩受けとりましょうか」と商談を始めるようだから、捨てた呟きも虚しくなるばかり。

 ここに来る前の義兄や義父を思い出す。
 確かに根っから自分など、己を大切にはしていないけれど。
 この、新たに義父となった人でなしは如何様にして人を抱くのだろうか、考えただけで腹立たしかった。

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