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 それから蛍は、アイコスについて調べてみる。気になったものは気になったうちに調べておいた方がいい。
 結果、バーチャルタバコなんかではなく、ヒートスティックタバコらしかった。電気の力で火をつけるらしい。副流煙《ふくりゅうえん》も有害物質も少ないというのが売りらしい。

 疑問も解決したところで、さつきが持参した黒龍と、番台に広げられた原稿用紙を手に、居間に引っ込んだ。

 居間のちゃぶ台にそれらを置いて、取り敢えず台所に立つ。夕飯は何にしようか。ウメさんが煮物をくれたし、それにしようか。空太は何を食べるだろうか。

 来るなら来ると一声、連絡くらい寄越せばいいのに。そうは思うが正直なところ、二、三日のうちに来るだろうという予想くらいはしていた。自分はここ二週間、出版社にすら連絡を入れていない。
 連載も終了し今は何もしていない。担当から頼まれた短編も月刊誌だ。つまりはこちらからアクションをしなければ、一月ほどは誰とも連絡を取らないことになる。

 しかしインターネット注文でナミカワ書店が取り扱う出版社の書籍注文はこなされていく。

 こんな状況は多々あることだがこうなると空太は、営業と称して蛍の顔を見に来る。一応は蛍の副業が本屋の店主だからだ。

 大方空太は蛍の担当にでも、言われているのだろう。ならば担当がこの店まで来ればいいのだが、あの担当はやけに世話焼きである。

 空太も今日は居るということは、煮物だけではダメか。何か拵えてくれるだろうか、勝手に来たのだし。
 そうして甘んじる己を痛感するようにまずは酒を煽った。

 そういえば今朝、庭に茄子が菜っていた気がする。もう食べられるだろうか。そーゆーのはなんとなく、自分より空太の方が詳しい。

 自分はとにかく月刊物に手を付けよう。一日一文でも書いておかねば感性やら文章やらが鈍っていく。

 今日はさつきのせいで散文だった。手は動いても頭が、文脳《ぶんのう》は全くもって働かないただの説明的な箇条書きを連ねたのでひたすらメモ帳に単語と感性を並べ立てて終わってしまった。

 酒の入り込んだ脳がヒリヒリとして冴えている。しかしながら少しのモザイクが蛍の思考に掛かり始めていた。
 まだまだ、文を書くには足らないアルコール量だ。これに必要な物がニコチンとタールなのかもしれないが、何分今日は吸いすぎた。正直、次に吸ったら嘔吐しそうだ。

 一緒に言葉も吐ければいいが多分それは、痙攣発作のような中毒性を産み出してしまう。今書きたいのはそんなグロッキーなシーンではない。
 しかしあの冴え渡る青空のような擦れたシーンには、グロッキーの後の虚無感と切実が欲しいような、そんな気もしなくはないな、と、少し陶酔した考えが過り、蛍はセブンスターに火をつけた。

 多分自分は、どちらかと言えばそういった、少し世間からずれた作家かもしれないなと、煙をぼんやり眺めながら万年筆を持った。


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 見上げた夕暮れは酷く灰色だった。僕の心情はそう語る。金網越しのただっ広い灰色が、コンクリートが、刹那に風を感じさせる。
 僕は無駄に生きていた。こんな意味のない宇宙をただひたすらに駆け巡っていた。だから、辞表を出したのに、どうしてこんなところで呆然と立ち尽くしてまだ飛行機を眺めているのが。
 そもそも僕は、高所恐怖症だったじゃないか。何故、何故それなのにこれほどまでに飛行機が好きなのかと、己の小ささを痛感し
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 なんだこのバカみたいな文章は青春小説か。

 万年筆で×を書く。やはりうだつが上がらない。このところこんな調子だ。慣れない分野を書いているせいか。

 万年筆を置いて前髪を思わずぐしゃっと鷲掴んだ。片手で酒をちびちび飲む。思い付けば付くほど煮えきらない。
 しかしゴミ箱に原稿用紙を投げる気にはならないのは、これはこれでテーマに沿っていないだけ、わりと嫌いでもないかも…と思うくらいには思いきりがないからだろうか。

 ふと、ずらした視線の先の“上柴楓《かみしばかえで》”の文字が掠れて見える。その下の“ありし日”のタイトル。

 これは売れなかった。自分で言うのもなんだけど売れなかった。次の“手首”で漸くマイナー作家入りした。今や自分は性別年齢不詳の謎作家だ。

 だが、ファンレターは一応届くらしい。このポジションの良いところは、自由が利くところ。最早売れるか売れないかで言えば、上柴楓は売れないかもしれない方なのだから、自分の世界観を貫いていい。お題を出されることもない。

 はずだった。前回までは。

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