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「…伊織ちゃんの為にじゃぁ言っとこう。業務連絡として、マスミツトシという男から伊織ちゃん宛に電話が来たことを本人に伝えたから」
「…は?」
「うん、恐らくそいつだよ。まぁ、会社回線なんてまわらないしあれはもう来なそうかな。電話に関しては安心して欲しいが」
「…マジで連絡先消したんかあいつ…」
「なるほどね。桝くんはかなりサイコパスだなどうやら。だからって君とはじゃぁもう接点はないな?終わった話だな?割り切るぞ俺は」
「…あぁ、はぁ」
「伊織ちゃんはきっと君にはこの事実を言わない。何故なら君は多感症だからだ。頼れるとか以前の問題。言わなくて良いことは言わないというコミュニケーションの基本だな」
「…あぁ、あぁ、なるほどね…」
「なのでその辺の軟禁は解いてやってくれ、とお節介を言っとく」
「…まぁ、はい」
「俺に出来ることはこれくらいさ」
「なんか…ははっ、きっと俺がいなかったら…いや、順番が違ければ、吉田さんですねマジで」
「勝ち取ったのは君だ、誇りたまえ」
婚活を本格的に始めなければならないかもしれないな。和らいだところで吉田はそう思った。
昼休みはそんな話で終わってしまった。
明日にはこの空席に伊織は何事もない顔をして出勤しているだろう。
これでセフレは終了してしまった。
振り返ってみても、どこか夢のようだった気がするな。
伊織は終わったあと、よく、ぼんやりとどこかを眺めていた。
そこにキスをするのは唇だったり額だったり、ソフトに接していた。
自分と目が合ったその瞬間だって、もしかすると現実に戻ってきていただけだったのかもしれない。
それでも確かに、その黒目が自分と絡んで同じ色を見つけたと感じる時は静かな世界に浸るように、透明な物だった。
「この後抜けない?」
初めて誘った時も彼女はぼんやりと新歓の、各々が楽しく過ごす様子を眺めていたのだ。
吉田のなかでもそれは、意を決したのか、前から持っていたがアルコールで少し外れてしまっていたのかは今となっては覚えていない。
側にあったその、自分よりも小さくて綺麗な手に沿わせるくらいには、ぐいっといっていたのは確かで。
そのとき伊織は確かに自分を見てくれたと思う。
だが、確かあまりにも間があり、これは聞こえなかったとしても終わった、と、「ごめん、今のはなんでもない」と言ったのだけど、
「いいですよ」
と言ったのに「へっ?」と喉が動きそうだったが、伊織は、その手に掌を重ね、握ってくれたのだ。
アルコールと夢見心地で、ホテルに着いてからも、「えっと、いいんだよね?」と聞くほどに非現実的な気がしたのだが、
「いいですよ、先輩、」
そう言って少しにやっと笑った伊織に、夢中になるようにキスをすれば、結構濃厚に返してきて。
ずるずるとそのままベッドまでいって組敷いたとき、彼女ははっきりと自分を見てにこっと笑ったことに、初めて笑顔を見たような気になり萌えて、やめるという選択肢はなくなっていたのだ。
そんなときにはきっと、同じ色を見ていて、混ざりあって、透明な世界が存在していたと確信する気がする。
他にもたくさんあった。ウエスト辺りの黒子にキスするとくすぐったそうに笑うとか、はぁと果てそうな瞬間に「先輩、」と笑って抱き締めてくれるとか。
伊織ちゃん、あの時はマジだったと思うんだよね。
順番さえ違えば、確かに早く言ってしまえばよかったのかもしれない。例えその頃だって、鷹峯竜二とマスミツトシと出会っていたのだとしても。
いや、本当にそうかな?
彼女自身も、どこを眺めているのかなんて、恐らく知らないものなんじゃないか、思う。
今更彼女の瞳の違いに気付くだなんて、結構未練はありそうだ。
婚活だって、本当に他の、良いと思う相手を見つけられるのかどうか自信はない。
…そもそも、伊織だから結婚したいなと思ったのだから。
それでは本末転倒だし、本当に押し付けではないか。
考えるのはやめようか。どうせ碌なこと、ないから。あの連絡通路でペコリとお辞儀をした伊織が思い浮かぶ。
ぼんやりと吉田はどこかを眺める。夢のような、幻のような空間を。けれども幻想よりも確かに、この手に血が通っていたはずだ。
18時の時計を待った。
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